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東日本大震災からの自宅再建【Part 3】沿岸部から内陸に移転した両親のための《大郷の曲り家》
長年暮らした家を津波で失ってしまった両親のために、建築家である息子さんが家を設計。親子で力をあわせて新しい暮らしを築いていった道のりを取材しました。
Miki Anzai
2017年3月7日
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、東北地方に甚大な被害をもたらした。多くの命や家屋が失われ、今でも被災地(岩手県、宮城県、福島県)ではプレハブ仮設住宅に4万人近くが暮らしている(復興庁の調査によれば、被災者全体では、2017年2月13日現在、全国各地の民間賃貸、仮設、公営住宅において10万5000人近くがいまだ避難生活を送っている)。
Houzzでは、被災者の方々が、どのように自宅を再建されてきたかを取材してきたが、津波の被害を受けても、以前よりさらに海辺に近い場所に家を新築したご夫妻(「東日本大震災からの自宅再建【Part 1】」)、地震の揺れで壊れた古民家を再生させたご家族(「東日本大震災からの自宅再建【Part 2】」など、それぞれの思いや事情は異なる。
今回は、津波で宮城県東松島市の家を流され、失なった前見文三さん・文子さんご夫妻が、次男で建築家の〈前見建築計画〉の前見文徳さんの設計で、同じ県内の内陸部に新築した《大郷の曲り家》をご紹介する。
人口約4万3千人の東松島市では、住人の5人に1人が命を落とし、市内の全世帯の約40%が全壊した。津波でほぼ全域の家屋が流出した地区もある。震災発生時、海岸線から約300メートルに建つ自宅にいた前見夫妻は、すぐにご主人の運転で、避難所に指定されていた小学校の体育館に避難。学校は、内陸に2.2キロメートルに位置していたが、ここにも波が入り込み、犠牲者が出た。
数週間後、自宅跡地の惨状を目のあたりにしたとき、夫妻は「二度と海の近くには住みたくない」と痛感したという。2011年5月に市内に完成したプレハブ型の仮設住宅に入居直後、たまたま新聞で、同県内陸部の黒川郡大郷町が、若者向け定住促進住宅用地を、被災者向けに無償譲渡に切り替えたことを知り、すぐに申込んだ。運良く抽選に当たり、慣れ親しんだ沿岸地域ではなく、農村部に、心機一転、東北の伝統民家風の家を新築した。少しずつ新しい生活のペースをつかみつつある前見夫妻と、設計を担当した文徳さんに、これまでの道のりを聞いた。
Houzzでは、被災者の方々が、どのように自宅を再建されてきたかを取材してきたが、津波の被害を受けても、以前よりさらに海辺に近い場所に家を新築したご夫妻(「東日本大震災からの自宅再建【Part 1】」)、地震の揺れで壊れた古民家を再生させたご家族(「東日本大震災からの自宅再建【Part 2】」など、それぞれの思いや事情は異なる。
今回は、津波で宮城県東松島市の家を流され、失なった前見文三さん・文子さんご夫妻が、次男で建築家の〈前見建築計画〉の前見文徳さんの設計で、同じ県内の内陸部に新築した《大郷の曲り家》をご紹介する。
人口約4万3千人の東松島市では、住人の5人に1人が命を落とし、市内の全世帯の約40%が全壊した。津波でほぼ全域の家屋が流出した地区もある。震災発生時、海岸線から約300メートルに建つ自宅にいた前見夫妻は、すぐにご主人の運転で、避難所に指定されていた小学校の体育館に避難。学校は、内陸に2.2キロメートルに位置していたが、ここにも波が入り込み、犠牲者が出た。
数週間後、自宅跡地の惨状を目のあたりにしたとき、夫妻は「二度と海の近くには住みたくない」と痛感したという。2011年5月に市内に完成したプレハブ型の仮設住宅に入居直後、たまたま新聞で、同県内陸部の黒川郡大郷町が、若者向け定住促進住宅用地を、被災者向けに無償譲渡に切り替えたことを知り、すぐに申込んだ。運良く抽選に当たり、慣れ親しんだ沿岸地域ではなく、農村部に、心機一転、東北の伝統民家風の家を新築した。少しずつ新しい生活のペースをつかみつつある前見夫妻と、設計を担当した文徳さんに、これまでの道のりを聞いた。
どんなHouzz?
居住形態:新築・平屋建て(更地譲渡)
家族構成:69歳、64歳(2011年当時)の前見夫妻+愛猫さと
所在地: 宮城県黒川郡大郷町
構造: 木造
設計: 前見建築計画一級建築士事務所
延床面積:75.20平方メートル(23坪)
敷地面積:483.19平方メートル(146坪)
設計期間:2011年9月~2012年3月(基本設計)、2012年3月~2013年2月(実施設計)
施工期間:2013年2月から2013年7月(約5ヶ月)
竣工:2013年7月
震災後、前見親子は自宅跡地に残されていた塀の一部や瓦礫の中から、昔の家の名残を探し集めた。それらを再利用した家は、以前の家の動線を熟知している文徳さんが、「両親の体が覚えているリズム」を保てるような間取りにするなど、隅々まで心配りが行き届いている。
居住形態:新築・平屋建て(更地譲渡)
家族構成:69歳、64歳(2011年当時)の前見夫妻+愛猫さと
所在地: 宮城県黒川郡大郷町
構造: 木造
設計: 前見建築計画一級建築士事務所
延床面積:75.20平方メートル(23坪)
敷地面積:483.19平方メートル(146坪)
設計期間:2011年9月~2012年3月(基本設計)、2012年3月~2013年2月(実施設計)
施工期間:2013年2月から2013年7月(約5ヶ月)
竣工:2013年7月
震災後、前見親子は自宅跡地に残されていた塀の一部や瓦礫の中から、昔の家の名残を探し集めた。それらを再利用した家は、以前の家の動線を熟知している文徳さんが、「両親の体が覚えているリズム」を保てるような間取りにするなど、隅々まで心配りが行き届いている。
震災前の前見邸は、築35年を越える平屋建ての日本家屋(次の写真左側)で、海岸線から約300メートのところに建っていた。しかし、震災と津波で建物は跡形も無く流されてしまい、(写真手前の)玄関ポーチの2本の柱の基礎と土台部分(次の写真右下)だけが残った。
(右上写真手前の)大谷石でできた外塀の一部も、かろうじて流出を免れた。少し離れた場所からも、運良く門灯として利用していた船舶灯も見つかった。これは、「父がかつて商船乗りであった証であり、新しい家でも大谷石とともに、必ず再利用したいと思った」と文徳さん。残念ながら、船舶灯の横に佇むのが好きだった愛猫ラック君は助からなかった。
前見夫妻は、大震災から2ヶ月後の2011年5月に、市内にできた仮設住宅に入居した。このプレハブ住宅は、遮音や断熱性能が低く、結露が激しく、畳もすぐにカビてしまったため、宮城県の追加負担で改修や補修工事がされた。
過酷な冬が過ぎ、夏を迎えると、住宅の周囲には樹木や植栽がないため、厳しい暑さが、両親を始めとする仮設住宅居住者を襲った。住み慣れない窮屈さに不満も不安も募ったが、「全国のNPO団体からの支援物資や催し物開催、本の寄付、市職員の見回りなど、手厚い支援をしていただき、ありがたく思って暮らしていました」と文子さん。
震災翌日に現地入りし、その後、何度もここを訪れた東京在住の文徳さんも、変わり果てた故郷の姿に心を痛め、少しでも両親たちが快適に暮らせるように、大学時代の後輩らの協力を仰ぎ、仮設住宅の共有通路に、可動式日よけテントを設置して喜ばれた。前見夫妻は、新居の竣工の2013年7月までの約2年間、この仮設住宅に暮らした。
過酷な冬が過ぎ、夏を迎えると、住宅の周囲には樹木や植栽がないため、厳しい暑さが、両親を始めとする仮設住宅居住者を襲った。住み慣れない窮屈さに不満も不安も募ったが、「全国のNPO団体からの支援物資や催し物開催、本の寄付、市職員の見回りなど、手厚い支援をしていただき、ありがたく思って暮らしていました」と文子さん。
震災翌日に現地入りし、その後、何度もここを訪れた東京在住の文徳さんも、変わり果てた故郷の姿に心を痛め、少しでも両親たちが快適に暮らせるように、大学時代の後輩らの協力を仰ぎ、仮設住宅の共有通路に、可動式日よけテントを設置して喜ばれた。前見夫妻は、新居の竣工の2013年7月までの約2年間、この仮設住宅に暮らした。
新しい家を建てることにした土地は、大郷町が、被災者向けに無償譲渡を決めた農村集落だ。軟弱な地盤の水田地帯のため、震災後、地元自治体が約2年をかけて盛土造成をした。さらに、地盤強化をすべきか悩んだ文徳さんだが、「最終的には、自然石積みで法面補強し、平屋にすることで、地面への負荷を減らすことができました。高齢の両親にとっても2階建てのメリットはあまりありませんし、土地への加重負担と、両親の体への不必要な負担を回避できました」と話す。
設計上、最も困難を強いられたのが、土地の形状だ。上空からこの造成地を見ると、周囲の濠や田んぼによって切り離された浮島のような三角地となっているのがわかる。「三角の鋭角部分は、盛土ということもあり、建設用地に適さず、建築可能な平地は敷地面積の3分の1しかなかった」と文徳さん。限られた不整形なエリアを逆手に取り、LDKと主寝室が納められた馬蹄形のワンルーム棟と、水廻りと客間のある棟をつなぎ合わせたユニークなデザインを考案した。
設計上、最も困難を強いられたのが、土地の形状だ。上空からこの造成地を見ると、周囲の濠や田んぼによって切り離された浮島のような三角地となっているのがわかる。「三角の鋭角部分は、盛土ということもあり、建設用地に適さず、建築可能な平地は敷地面積の3分の1しかなかった」と文徳さん。限られた不整形なエリアを逆手に取り、LDKと主寝室が納められた馬蹄形のワンルーム棟と、水廻りと客間のある棟をつなぎ合わせたユニークなデザインを考案した。
もともとは、難しい敷地形状から考え出した間取りだが、還暦を過ぎて、いきなり地縁のない内陸地に移り住む前見夫妻が、少しでも地元住民と仲良く、違和感なく暮らせるように、あえて東北の伝統民家である「南部曲り家」をイメージして設計した家でもある。
「南部曲り家」とは、18世紀前半から中期に東北地方で建てられた上層農家住宅のこと。通常、土間を挟んで母屋と馬屋を配置し、小屋裏があらわしの(天井が高い)平屋建てだ。前見邸も、土間的役割を持つ玄関を軸に、2棟をつなげた平屋で、屋根も片流れにして、小屋裏を無くすことで、「粗野で豪快な架構の雰囲気」をつくりだしている。まさに「現代版曲り家」だ。
写真:模型は、検討段階のもの。最終的に個室の位置は変えたが、馬蹄形のLDKの構想を活かしながら、コスト削減に努めた。
「南部曲り家」とは、18世紀前半から中期に東北地方で建てられた上層農家住宅のこと。通常、土間を挟んで母屋と馬屋を配置し、小屋裏があらわしの(天井が高い)平屋建てだ。前見邸も、土間的役割を持つ玄関を軸に、2棟をつなげた平屋で、屋根も片流れにして、小屋裏を無くすことで、「粗野で豪快な架構の雰囲気」をつくりだしている。まさに「現代版曲り家」だ。
写真:模型は、検討段階のもの。最終的に個室の位置は変えたが、馬蹄形のLDKの構想を活かしながら、コスト削減に努めた。
前見邸の場合、移転・新築のため、東松島市の補助は得られず、被災者生活再建支援制度の加算支援金として150万円、火災保険、もとの自宅のあった土地の売却費用が得られたのみ。不公平感についての報道もなされたが、それでも補助制度に始まり、定住促進事業を被災者向けに譲渡する施策に切り替えるような大郷町の機転を利かせた方針転換がなければ、被災者の生活再建が立ち行かなかったのも事実だろう。
一方、震災以前と比べて、建築の基礎工事代は2倍近くに跳ね上がり、新しい家の建築コストは、附帯費用含め約1700万円になった。ただし工事は、内陸部の工務店や地元の業者が請け負ってくれたため、予定より早く約5ヶ月で竣工した。
一方、震災以前と比べて、建築の基礎工事代は2倍近くに跳ね上がり、新しい家の建築コストは、附帯費用含め約1700万円になった。ただし工事は、内陸部の工務店や地元の業者が請け負ってくれたため、予定より早く約5ヶ月で竣工した。
現在、前見夫妻は、日中の大半をこの馬蹄形のように屈曲させたLDKで過ごしている。「移動するごとに、変わる内外の風景の変化を楽しめるので、とても気に入っている」と文三さん。「4畳半2間の窮屈な仮設住宅暮らしからは考えられないほど、のびのびと暮らせます」と文子さん。
快適な空間づくりに寄与しているのが、自然の木材だ。天井や一部壁には地元産の杉、梁はベイマツ、床は、無垢のミズメザクラを使っている。
撮影:西川公朗
快適な空間づくりに寄与しているのが、自然の木材だ。天井や一部壁には地元産の杉、梁はベイマツ、床は、無垢のミズメザクラを使っている。
撮影:西川公朗
又この家で、なによりも驚くべきことは、考えつくされた部屋の方位や部屋と部屋の距離感である。もちろん間取り自体は、罹災前の家屋のそれとは異なるが、リビングの方角を以前の家と同じにし、各部屋間の行き来に必要な距離感を、「なるべく両親の身体が覚えているリズムや感覚に合うように計画しました」と語る文徳さん。家にさし込む太陽の光も、起床時間に朝日が入り、夕方以降にお風呂に入る時に夕暮れが感じられるように、両親の一日の行動パターンに配慮した光環境を整えている。
薄いベージュの優しい色で仕上げた外壁や、片流れの屋根が、周囲の山並みや田園の中に、自然と溶け込んでいる。
津波の被害を、かろうじて免れた大谷石の塀の一部は解体し、石材屋で加工してもらい、薪ストーブの後ろの炉壁や、炉台に再利用した。これは、前見夫妻にとって懐かしさを感じられるだけでなく、効率良いエネルギーの源でもある。
大谷石の炉台は、なんと高さ30cm程度の塊を床下に蓄熱体として充填しており、炉壁の裏には、壁内とは別に通気層を設けたので、石に開けた通気口からファンを使えば、リビングや水廻りの床下に余熱を伝えられる。そのため、「ファンを止めていても、床冷えを強く感じることはないし、就寝から起床まで、ストーブが消えた後も、保温されているので、目覚めも穏やか」だそうだ。
撮影:西川公朗
大谷石の炉台は、なんと高さ30cm程度の塊を床下に蓄熱体として充填しており、炉壁の裏には、壁内とは別に通気層を設けたので、石に開けた通気口からファンを使えば、リビングや水廻りの床下に余熱を伝えられる。そのため、「ファンを止めていても、床冷えを強く感じることはないし、就寝から起床まで、ストーブが消えた後も、保温されているので、目覚めも穏やか」だそうだ。
撮影:西川公朗
造園師の免許も保持し、定年後は他家の庭仕事も請け負っていた文三さんは、早速、自動薪割り機を購入し、地域の建築廃材を無料で分けてもらい、既に5年分ほどの薪をカットして保存している。写真左奥の白い屋根付きピザ焼き窯は、文三さんの手作り。
窯の左横に立つランプは、かつて門灯に利用していて、瓦礫から見つけ出した船舶灯だ。
窯の左横に立つランプは、かつて門灯に利用していて、瓦礫から見つけ出した船舶灯だ。
罹災した高齢の両親が、全く知らない土地で快適な生活を送れるように配慮しつくされたこの家を、「復興の家」とは呼びたくないと語る文徳さん(写真右)と文三さん(写真左)。
家の設計を任された文徳さんは、両親のこれからの人生を考え、「復興」という概念にとらわれるのではなく、「これまで慣れ親しんできた家から何を受け継ぎ、何を未来に向けて更新できるか」を重要視してこの家を設計したという。
家の設計を任された文徳さんは、両親のこれからの人生を考え、「復興」という概念にとらわれるのではなく、「これまで慣れ親しんできた家から何を受け継ぎ、何を未来に向けて更新できるか」を重要視してこの家を設計したという。
被災家屋には新築まもない家もあれば、以前の前見邸のように増改築を繰り返した老朽家屋もあったが、いずれも、未曾有の大津波に見舞われた後は、食器1つすら残らなかった家庭のほうが多かった。瓦礫の中から見つけた大谷石や船舶灯などを再利用できた前見邸は、不幸中の幸いかもしれない。しかし、もし何も残らなかったとしても、そこからいかに未来に投資できるか、あるいは、いかに慣れていた「不便さ」を、新しい家で改善できるかが、それぞれの罹災家庭の家づくりのポイントとなるだろう。
「住めば都と言いますが、終の棲家になろうこの家に越して、3年半になります。お陰様で、津波の心配もないので、安心して暮らしています」と語るのは文子さん。とは言いながら、「またいつか避難しなくてはならなくなったときのことを考えて、物を増やさず、シンプルに暮らすことを心がけています」と付け加えた夫人の言葉からは、あの日、着の身着のままで家を出て帰る場所を失うという、想像を絶する経験が、心のどこかで尾を引いているようにも感じた。
文徳さんは、現在も思いや事情の異なる被災者の再建のための設計を続けている。新たな実家となったこの《大郷の曲り家》にも定期的に訪れ、少しづつ回復していく復興の形を見守り続けている。
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下のコメント欄にてご感想をおきかせください。
「住めば都と言いますが、終の棲家になろうこの家に越して、3年半になります。お陰様で、津波の心配もないので、安心して暮らしています」と語るのは文子さん。とは言いながら、「またいつか避難しなくてはならなくなったときのことを考えて、物を増やさず、シンプルに暮らすことを心がけています」と付け加えた夫人の言葉からは、あの日、着の身着のままで家を出て帰る場所を失うという、想像を絶する経験が、心のどこかで尾を引いているようにも感じた。
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