5分でわかるデザイン様式:遺跡の発掘から見直されたネオクラシックスタイル
よく知られた歴史上のデザイン様式を、時代背景や代表的な人物などを交えてコンパクトに解説。今回は、18世紀前半の古代遺跡の発見が発端となり、建築、内装、家具デザインに波及していったネオクラシックスタイル(新古典主義)について。
西谷典子|Noriko Nishiya
2016年11月20日
フランスではルイ15世時代の後半、イギリスではジョージ2世の時代だった1738年のこと。イタリアのヘルクラネウム(現エルコラーノ)で、古代の遺跡が発見されます。続いて1748年にはポンペイでも。これをきっかけに、紀元1世紀のローマ時代の生活や文化が紹介されるようになりました。そしてまもなく、ヨーロッパ中で古代ギリシャ・ローマのデザインがブームになり、やがてこの様式は、ネオクラシックスタイル(新古典主義)と呼ばれるようになります。
古代の素晴らしい遺産の発掘
ヘルクラネウムはポンペイより高級住宅地だったこともあり、家のつくりがより豪華で、遺跡が発掘された際の保存状態もよかったようです。内装の壁画には鮮やかな赤をベースに、だまし絵や梁やモールディングなどの装飾が細かに描かれ、ドームの天井は、繊細なデザインの装飾によって覆われていました。神殿へ続く道に連なる円柱や、その上の装飾である柱頭(キャピタル)なども当時のままきれいに残され、高度に発達した古代の建築や文化がさらに精密に、深く理解されるようになりました。そして、長い間忘れられていたこの素晴らしい文化から、当時の建築家や芸術家は多くを学ぶようになるのです。
ヘルクラネウムはポンペイより高級住宅地だったこともあり、家のつくりがより豪華で、遺跡が発掘された際の保存状態もよかったようです。内装の壁画には鮮やかな赤をベースに、だまし絵や梁やモールディングなどの装飾が細かに描かれ、ドームの天井は、繊細なデザインの装飾によって覆われていました。神殿へ続く道に連なる円柱や、その上の装飾である柱頭(キャピタル)なども当時のままきれいに残され、高度に発達した古代の建築や文化がさらに精密に、深く理解されるようになりました。そして、長い間忘れられていたこの素晴らしい文化から、当時の建築家や芸術家は多くを学ぶようになるのです。
古代建築や工芸を学べるデザインブック
たとえばチッペンデールチェアで有名なイギリスの家具デザイナー、トーマス・チッペンデールは、自分の家具のデザインをイラスト入りで紹介した本 “The Gentleman and Cabinet Maker’s Director” の中で、5つの柱のスタイルのプロポーションやデザインの積み重ねの順番なども詳しく説明しています。彼は、素晴らしい建築や工芸を生み出すためには、古代の代表的な5つの柱の定番デザイン(ドーリア、コリント、イオニア、タスカン、コンポジット)を理解すべきであるとし、本の中でこれらを図解入りで紹介しました。こういった本が数々出版されたおかげで、古代のデザインを建築家や家具メーカーが研究し、また模倣することができたことも、ネオクラシックスタイルが早く広まり、定着した理由でした。
たとえばチッペンデールチェアで有名なイギリスの家具デザイナー、トーマス・チッペンデールは、自分の家具のデザインをイラスト入りで紹介した本 “The Gentleman and Cabinet Maker’s Director” の中で、5つの柱のスタイルのプロポーションやデザインの積み重ねの順番なども詳しく説明しています。彼は、素晴らしい建築や工芸を生み出すためには、古代の代表的な5つの柱の定番デザイン(ドーリア、コリント、イオニア、タスカン、コンポジット)を理解すべきであるとし、本の中でこれらを図解入りで紹介しました。こういった本が数々出版されたおかげで、古代のデザインを建築家や家具メーカーが研究し、また模倣することができたことも、ネオクラシックスタイルが早く広まり、定着した理由でした。
「ネオ」クラシックたる所以
イギリスのジョージアン時代中期に登場したネオクラシックスタイルは、それ以前から人気を博していた古典的な様式、パラディアンスタイル特有の、正確な比率や左右対称などの厳密な法則に従っていません。たとえば、ペディメント(破風/はふ)と円柱の間にあるはずのコーニス(建物や壁の上部に水平に置かれる帯状の部材)やモールディング(廻り縁)などの段重ねの仕切りを簡略化し、シンプルなデザインにアレンジしています。古典主義的に見えて、実は新しい時代の解釈を取り入れた、自由でミニマルな部分もあるスタイルだったのです。
イギリスのジョージアン時代中期に登場したネオクラシックスタイルは、それ以前から人気を博していた古典的な様式、パラディアンスタイル特有の、正確な比率や左右対称などの厳密な法則に従っていません。たとえば、ペディメント(破風/はふ)と円柱の間にあるはずのコーニス(建物や壁の上部に水平に置かれる帯状の部材)やモールディング(廻り縁)などの段重ねの仕切りを簡略化し、シンプルなデザインにアレンジしています。古典主義的に見えて、実は新しい時代の解釈を取り入れた、自由でミニマルな部分もあるスタイルだったのです。
フランスもロココからネオクラシックへ
当時フランスはバロック後期、曲線を描くデコラディブでエレガントなロココスタイルの全盛でした。しかしそのいっぽうで、対照的な直線フォルムのネオクラシックスタイルも徐々に受け入れられます。ルイ16世時代には後者が主流になり、家具の脚のデザインも直線的になっていきます。ファッションや芸術分野でこの時代の新しいデザインを流行らせた陰の仕掛け人はマリー・アントワネットでしたが、神殿の柱を思わせる家具の脚のデザインは、後に「ルイ16世スタイル」と呼ばれるようになりました。
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マルチデザイナー、ロバート・アダムの活躍
スコットランド人建築家、ロバート・アダムも、古代建築から多大な影響を受けた人でした。彼は18世紀半ば、グランドツアー(当時の裕福な貴族の子弟の間で流行した、見聞を広めるための長期の旅行)に出かけた先で古代ローマの建築に出会います。これがきっかけとなり、アダムはすでに定着していたパラディアンスタイルのほか、ギリシャやビザンチン、バロックも取り入れた独自のスタイルを確立し、ネオクラシックスタイルを代表的なするデザイナーとして一躍、時代の寵児となります。
スコットランド人建築家、ロバート・アダムも、古代建築から多大な影響を受けた人でした。彼は18世紀半ば、グランドツアー(当時の裕福な貴族の子弟の間で流行した、見聞を広めるための長期の旅行)に出かけた先で古代ローマの建築に出会います。これがきっかけとなり、アダムはすでに定着していたパラディアンスタイルのほか、ギリシャやビザンチン、バロックも取り入れた独自のスタイルを確立し、ネオクラシックスタイルを代表的なするデザイナーとして一躍、時代の寵児となります。
彼は建築だけでなく、インテリアデザインや家具のデザインも手掛ける、才能あるマルチデザイナーでした。アダムのスタイルの特徴は、バロック期の豪華さのエッセンスも加えた、洗練されたデザインです。遺跡の発掘物や壁画からアイデアを受け継いでいますが、彼の代表的なデザインは、シンメトリックなキャンドルから「ビード」と呼ばれる鎖がカーブを描いて垂れ下がったものでしょう。このビードは、ヘルクラネウムの遺跡の壁画に描かれており、ネオクラシックスタイルの代表的なモチーフのひとつとなっています。
アダムのネオクラシックスタイルは、古代ギリシャの大理石の彫刻の人物や、バロック期のエンジェルなどのモチーフも取り入れていますが、過度に甘すぎない、繊細で優雅なテイストです。ガーランドやメダリオン、グロテスク(半人間や怪物など)などもよく用いたモチーフで、ヘルクラネウムの遺跡にあったデザインをベースに豪華さをプラスし、アダム流にアレンジしています。
華やかな内装デザイン
ネオクラシック様式のインテリアは、フランスのロココ様式とは対照的な、まっすぐなラインを強調するデザインですが、古典的なデザインでありながら、金箔などの華やかな装飾が加わったのもこの時代の流行でした。たとえば、写真のようなギリシャ式のコーニスの下には、幅30~40cmほどの「フリーズ」と呼ばれる白い壁の部分があり、ガーランドやビードなどのモチーフの装飾が付けられました。このロバート・アダム流モチーフのフリーズも、ネオクラシックスタイルの典型的なものです。
ネオクラシック様式のインテリアは、フランスのロココ様式とは対照的な、まっすぐなラインを強調するデザインですが、古典的なデザインでありながら、金箔などの華やかな装飾が加わったのもこの時代の流行でした。たとえば、写真のようなギリシャ式のコーニスの下には、幅30~40cmほどの「フリーズ」と呼ばれる白い壁の部分があり、ガーランドやビードなどのモチーフの装飾が付けられました。このロバート・アダム流モチーフのフリーズも、ネオクラシックスタイルの典型的なものです。
人気の壁紙パターンとインテリアカラー
上質な壁紙がつくられたのもこの時代です。すべて手描きの高品質な壁紙を生産し、輸出していたのはイギリスとフランス。ロバート・アダムのネオクラシック建築から取ったデザインやシノワズリー柄、ダマスク柄などが壁紙のデザインとして人気を博しました。色は「ストーンカラー」といわれる少しくすんだパステル調のイエロー、ピンク、グレーなどがトレンドでした。ちなみに、ロバート・アダムが好んで使ったという、グレーがかった「セージグリーン」は、ジョージアン様式の代表カラーといわれています。
上質な壁紙がつくられたのもこの時代です。すべて手描きの高品質な壁紙を生産し、輸出していたのはイギリスとフランス。ロバート・アダムのネオクラシック建築から取ったデザインやシノワズリー柄、ダマスク柄などが壁紙のデザインとして人気を博しました。色は「ストーンカラー」といわれる少しくすんだパステル調のイエロー、ピンク、グレーなどがトレンドでした。ちなみに、ロバート・アダムが好んで使ったという、グレーがかった「セージグリーン」は、ジョージアン様式の代表カラーといわれています。
ウェッジウッドの「ジャスパーウェア」
ネオクラシックスタイルは、陶磁器の分野にも波及しました。遺跡で発掘されたものからインスピレーションを受けた一人に、イギリスのジョサイア・ウェッジウッドがいます。ウェッジウッドは18世紀の紅茶文化の発展もあり、ジョージアン時代に大成功した陶器メーカーとなりましたが、この成功は、発掘された古代ローマのカメオグラスからアイデアを得た「ジャスパーウェア」のヒットによるものでした。薄いブルーやピンク、薄緑のベースの上に、白でギリシャ様式のレリーフが施された、あの有名なストーンウェアです。開発に4年もかけた優雅なデザインの、頑丈で実用的なジャスパーウェアは、その後他社でも製造され、さまざまな色の組み合わせや形が広まるようになります。
ネオクラシックスタイルは、陶磁器の分野にも波及しました。遺跡で発掘されたものからインスピレーションを受けた一人に、イギリスのジョサイア・ウェッジウッドがいます。ウェッジウッドは18世紀の紅茶文化の発展もあり、ジョージアン時代に大成功した陶器メーカーとなりましたが、この成功は、発掘された古代ローマのカメオグラスからアイデアを得た「ジャスパーウェア」のヒットによるものでした。薄いブルーやピンク、薄緑のベースの上に、白でギリシャ様式のレリーフが施された、あの有名なストーンウェアです。開発に4年もかけた優雅なデザインの、頑丈で実用的なジャスパーウェアは、その後他社でも製造され、さまざまな色の組み合わせや形が広まるようになります。
ネオクラシックスタイルの街、バース
イギリスでは18世紀中頃になると交通路が発達し、旅行をすることがだいぶポピュラーになっていました。この頃トレンドの街として人気を集めたのが、紀元前からローマ式の温泉場があったイングランド西部の都市、バースです。「風呂」の語源ともなったこの保養地へ、健康によいとされた鉱水を飲みに行くことが貴族の間で流行しました。バースの街では、この地方で採掘されるライムストーンという飴色の石を外壁に使った、古代ギリシャ・ローマ様式のタウンハウスが多くつくられました。また、バースは「クレセント」というゆるやかなカーブがかかった道が多いのも特徴で、コラムが整然と並ぶタウンハウスの景観ともあいまって、美しいネオクラシックスタイルの街として知られています。
イギリスでは18世紀中頃になると交通路が発達し、旅行をすることがだいぶポピュラーになっていました。この頃トレンドの街として人気を集めたのが、紀元前からローマ式の温泉場があったイングランド西部の都市、バースです。「風呂」の語源ともなったこの保養地へ、健康によいとされた鉱水を飲みに行くことが貴族の間で流行しました。バースの街では、この地方で採掘されるライムストーンという飴色の石を外壁に使った、古代ギリシャ・ローマ様式のタウンハウスが多くつくられました。また、バースは「クレセント」というゆるやかなカーブがかかった道が多いのも特徴で、コラムが整然と並ぶタウンハウスの景観ともあいまって、美しいネオクラシックスタイルの街として知られています。
北欧、ロシア、アメリカへの伝播
ネオクラシックスタイルはイタリアの遺跡が発信地となり、フランス、イギリスで発展しますが、その後ロシア、スウェーデンなどヨーロッパ中に広がり、やがて独立したばかりのアメリカでも流行するようになります。
ロシアのエカテリーナ2世が、お抱えの建築家に「あのホイップクリームのデザインはやめて」と頼み、早くからロココスタイルを捨ててネオクラシックスタイルを取り入れたというエピソードが残っています。そして建てられたのがサンクトペテルブルグのエカテリーナ宮殿です。手がけた建築家は、パラディアンスタイルやロバート・アダムの影響を受けたスコットランド人のチャールズ・キャメロンで、以降流行する古代ギリシャ様式をロシアにいち早く紹介した人物でした。
ネオクラシックスタイルはイタリアの遺跡が発信地となり、フランス、イギリスで発展しますが、その後ロシア、スウェーデンなどヨーロッパ中に広がり、やがて独立したばかりのアメリカでも流行するようになります。
ロシアのエカテリーナ2世が、お抱えの建築家に「あのホイップクリームのデザインはやめて」と頼み、早くからロココスタイルを捨ててネオクラシックスタイルを取り入れたというエピソードが残っています。そして建てられたのがサンクトペテルブルグのエカテリーナ宮殿です。手がけた建築家は、パラディアンスタイルやロバート・アダムの影響を受けたスコットランド人のチャールズ・キャメロンで、以降流行する古代ギリシャ様式をロシアにいち早く紹介した人物でした。
1789年、こういった優雅な貴族の生活を揺るがす、フランス革命が起こります。その後ナポレオンが皇帝になると暗い戦争の時代になりますが、建築デザインもまた権力や政治的な意味を帯びるようになっていきます。18世紀半ばまでのエレガントで華麗なネオクラシックスタイルは、貴族社会がつくり出した最後の素晴らしい文化ともいえるかもしれません。これ以降もネオクラシックデザインは続いていきますが、やがて18世紀後半からは貴族に代わって中産階級にスポットライトが当たり始め、それに伴ってデザインも徐々に変化し始めるのです。
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Noriko様、今回も素晴らしいコラムありがとうございました。ロバートアダムはもっとも尊敬する建築デザイナー。高度な数学的解釈を取り入れた本当に美しい建築はロンドンに何か所も残ります。建築インテリアを学ぶ皆様にぜひアダム建築を生でご覧いただきたいです。インテリアが最も美しく完成された時代といっても過言ではないと思います。それが紹介いただけてうれしいですね。
今後も素敵な記事を楽しみにしています。
コメントありがとうございました。アダムの家具のスタイルは19世紀後半にまた復活しますのでやはりデザインクラシックと言える素晴らしいデザインですよね。このシリーズも半分を超えましたが引き続き頑張ります。