コメント
5分でわかるデザイン様式:文化が融合したイギリスらしさ、ジョージアンスタイル
英国でデザインを学び、アンティークやインテリアに長く携わる筆者がわかりやすく綴る、デザイン様式の歩み。今回は、テラスハウスやマホガニーの家具などが生まれた、イギリスのジョージアン様式について解説します。
西谷典子|Noriko Nishiya
2016年10月30日
ヨーロッパの列強国の中でも文化的にはやや出遅れていた島国のイギリスが、ジョージ1世の時代になってようやく、スポットライトを浴び始めます。産業革命、植民地の広大、人口増加で国が自体が活気づいていく18世紀前半から19世紀前半。若干遅れをとっていたのは芸術や文化でしたが、建築の分野ではパラディアンスタイルを取り入れ、これをきっかけに、このジョージアン時代からイギリスらしいスマートな建築物が次々に誕生。家具やインテリアの分野でも今につながる素晴らしいデザインが産声をあげた時代です。
愛国心のために求められた、イギリスらしい様式
イギリスの歴史において、ドイツからやってきたジョージ1世が英国国王の座についた1714年から、3代後のジョージ4世が亡くなる1830年までの間、つまりほぼハノーヴァー朝の治世の100年余りを、ジョージアン時代と呼びます。
ジョージアン時代の初めは、イギリスでもまだフランスから来たバロック様式が取り入れられていました。この頃実権を握っていた保守党は、ほとんど英語が話せなかったこの外国人の国王への、人民の忠誠心と愛国心を盛り立てる必要があり、敵国フランス産ではないイギリス独自のスタイルを模索し始めます。前回解説した、建築家アンドレーア・パッラーディオによる古典的な建築様式をバーリントン伯爵が取り入れたのはまさにこの頃です。このパラディアンスタイルが、貴族が多かった保守党に受け入れられてあっという間に認知され、あたかもイギリスで誕生したかのように国内で広く普及していったのは、そんな事情があったからでした。
イギリスの歴史において、ドイツからやってきたジョージ1世が英国国王の座についた1714年から、3代後のジョージ4世が亡くなる1830年までの間、つまりほぼハノーヴァー朝の治世の100年余りを、ジョージアン時代と呼びます。
ジョージアン時代の初めは、イギリスでもまだフランスから来たバロック様式が取り入れられていました。この頃実権を握っていた保守党は、ほとんど英語が話せなかったこの外国人の国王への、人民の忠誠心と愛国心を盛り立てる必要があり、敵国フランス産ではないイギリス独自のスタイルを模索し始めます。前回解説した、建築家アンドレーア・パッラーディオによる古典的な建築様式をバーリントン伯爵が取り入れたのはまさにこの頃です。このパラディアンスタイルが、貴族が多かった保守党に受け入れられてあっという間に認知され、あたかもイギリスで誕生したかのように国内で広く普及していったのは、そんな事情があったからでした。
パッラーディオ建築の広まり
1666年のロンドン大火災以降、建築物の構造や建材の種類、サイズやデザインなどの規制が強化され、その地域の大工による、代々受け継がれた技法で独自のデザインの家を建てる、という仕事がなくなっていきます。この時代には建築やデザインの出版物が簡単に手に入るようになっており、当時の建築家はパッラーディオの理論の集大成である書『建築四書』などからアイデアを知ることができました。そのため、ジョージアン初期には、ペディメント(破風)が上についた窓やドア、ヴェネツィア式窓などを特徴とした、似通ったデザインの建物が国内で広まっていきました。
1666年のロンドン大火災以降、建築物の構造や建材の種類、サイズやデザインなどの規制が強化され、その地域の大工による、代々受け継がれた技法で独自のデザインの家を建てる、という仕事がなくなっていきます。この時代には建築やデザインの出版物が簡単に手に入るようになっており、当時の建築家はパッラーディオの理論の集大成である書『建築四書』などからアイデアを知ることができました。そのため、ジョージアン初期には、ペディメント(破風)が上についた窓やドア、ヴェネツィア式窓などを特徴とした、似通ったデザインの建物が国内で広まっていきました。
テラスハウスとスクエア
郊外に広大なカントリーハウスを持つ貴族や富裕層は、社交シーズンになると、ロンドン中心地にある自分のタウンハウスに移りました。このタウンハウスの中には、いわゆる「テラスハウス」と呼ばれる、同じデザインの長屋のような家があります。テラスハウスが公園を囲んで建てられている界隈は、四角形をしていることからスクエアと呼ばれるようになりました。
このテラスハウスはもともと17世紀にパリで流行したデザインとされています。ロンドン大火災後、ユグノー(フランスから移民してきたプロテスタント)の建築家が、グロブナースクエアという高級住宅地にジョージアン初期に建てたのが最初といわれています。スクエアはたいてい名門貴族の土地でしたが、他の貴族もこういった高名な公園付きのスクエアにタウンハウスを所有するのがステイタスでした。
郊外に広大なカントリーハウスを持つ貴族や富裕層は、社交シーズンになると、ロンドン中心地にある自分のタウンハウスに移りました。このタウンハウスの中には、いわゆる「テラスハウス」と呼ばれる、同じデザインの長屋のような家があります。テラスハウスが公園を囲んで建てられている界隈は、四角形をしていることからスクエアと呼ばれるようになりました。
このテラスハウスはもともと17世紀にパリで流行したデザインとされています。ロンドン大火災後、ユグノー(フランスから移民してきたプロテスタント)の建築家が、グロブナースクエアという高級住宅地にジョージアン初期に建てたのが最初といわれています。スクエアはたいてい名門貴族の土地でしたが、他の貴族もこういった高名な公園付きのスクエアにタウンハウスを所有するのがステイタスでした。
頑丈な窓の扉、シャッター
貴族はカントリーハウスとタウンハウスを行き来する生活をしていたので、どちらかが空き家になることも多く、従ってその邸宅は戸締まりの厳重なつくりになりました。窓にはシャッターと呼ばれる扉が取り付けられ、内側から閉めて鉄のバーで二重にロックされます。これは、日中は脇のスペースにパタパタと折りたたんで、しまい込める仕組みになっていました。
この時代、空き巣やデモ騒動なども頻繁にあったため、地上の階では外からも頑丈な扉を閉めていたそうです。このシャッターはジョージアン時代特有のもので、カーテンによる窓まわり装飾が中流階級に浸透するヴィクトリア女王時代になるまで多用されました。
貴族はカントリーハウスとタウンハウスを行き来する生活をしていたので、どちらかが空き家になることも多く、従ってその邸宅は戸締まりの厳重なつくりになりました。窓にはシャッターと呼ばれる扉が取り付けられ、内側から閉めて鉄のバーで二重にロックされます。これは、日中は脇のスペースにパタパタと折りたたんで、しまい込める仕組みになっていました。
この時代、空き巣やデモ騒動なども頻繁にあったため、地上の階では外からも頑丈な扉を閉めていたそうです。このシャッターはジョージアン時代特有のもので、カーテンによる窓まわり装飾が中流階級に浸透するヴィクトリア女王時代になるまで多用されました。
召使いの部屋と家主の部屋
テラスハウスの地下には、召使いが働くキッチンや彼らのベッドルームがある、ベースメントと呼ばれる階がありました。家主の視界に入らない区分されたエリアが地下にあるというのもテラスハウスの特徴で、これも前回の記事で解説した「ピアノ・ノビーレ」が家主の階であるという考えの影響を受けたものでした。イタリアでは地上に接した階(日本でいう1階)が召使いのフロアなのに対し、イギリスでは地下にそのエリアをつくりました。
テラスハウスはたいてい3~5階建てで、建物の広さや高さだけでなく、窓が大きいほど高額なものでした。
テラスハウスの地下には、召使いが働くキッチンや彼らのベッドルームがある、ベースメントと呼ばれる階がありました。家主の視界に入らない区分されたエリアが地下にあるというのもテラスハウスの特徴で、これも前回の記事で解説した「ピアノ・ノビーレ」が家主の階であるという考えの影響を受けたものでした。イタリアでは地上に接した階(日本でいう1階)が召使いのフロアなのに対し、イギリスでは地下にそのエリアをつくりました。
テラスハウスはたいてい3~5階建てで、建物の広さや高さだけでなく、窓が大きいほど高額なものでした。
節税のためにふさがれた窓
また17世紀後半から、窓の数によって税金がかけられていたので、ジョージアン時代の家屋にはときどき、節税のために窓をレンガでブロックしているものもあります。こういった環境の下層階級の人たちの部屋の中は、暗くて湿気が多くじめじめとして、あまり快適なものではなかったようです。それでは体に悪い影響があるということで、19世紀半ばになってやっとこの税金は廃止され、窓をふさぐ必要はなくなりました。
また17世紀後半から、窓の数によって税金がかけられていたので、ジョージアン時代の家屋にはときどき、節税のために窓をレンガでブロックしているものもあります。こういった環境の下層階級の人たちの部屋の中は、暗くて湿気が多くじめじめとして、あまり快適なものではなかったようです。それでは体に悪い影響があるということで、19世紀半ばになってやっとこの税金は廃止され、窓をふさぐ必要はなくなりました。
テキスタイルとテイラー、フランス風テラスハウスの街
17世紀後半に移民してきたユグノーたちは、ロンドンの東にあるスピタルフィールドというエリアに多く住んでいました。その当時最高といわれたフランスのシルク織の技術がこの地に集まり、ロンドンのテキスタイル産業やテイラー(仕立て屋)産業の地域として栄え始めたのもこの時代からです。
このスピタルフィールドの界隈だけは、イギリスながらどことなくフランス風の雰囲気があります。それはこのユグノーたちによるもので、外付けのシャッターや屋根裏の天井が高いマンサード屋根など、レベルの高い職人技術で建てられたテラスハウスは今もなお、昔と変わらない姿できちんと残っています。
17世紀後半に移民してきたユグノーたちは、ロンドンの東にあるスピタルフィールドというエリアに多く住んでいました。その当時最高といわれたフランスのシルク織の技術がこの地に集まり、ロンドンのテキスタイル産業やテイラー(仕立て屋)産業の地域として栄え始めたのもこの時代からです。
このスピタルフィールドの界隈だけは、イギリスながらどことなくフランス風の雰囲気があります。それはこのユグノーたちによるもので、外付けのシャッターや屋根裏の天井が高いマンサード屋根など、レベルの高い職人技術で建てられたテラスハウスは今もなお、昔と変わらない姿できちんと残っています。
タウンハウスの玄関の採光、ファンライト
ジョージアン時代の建物の入り口ドアの上には、ファンライトと呼ばれるガラス窓がはめ込まれています。大きなカントリーハウスの玄関に比べると、ロンドンのタウンハウスの玄関はあまりにも狭く細く暗かったので、こういった採光の工夫が生まれたようです。このファンライトはジョージアン初期にはシンプルな扇(ファン)形のデザインでしたが、18世紀半ばにはさらに凝ったデザインになっていきます。
ジョージアン時代の建物の入り口ドアの上には、ファンライトと呼ばれるガラス窓がはめ込まれています。大きなカントリーハウスの玄関に比べると、ロンドンのタウンハウスの玄関はあまりにも狭く細く暗かったので、こういった採光の工夫が生まれたようです。このファンライトはジョージアン初期にはシンプルな扇(ファン)形のデザインでしたが、18世紀半ばにはさらに凝ったデザインになっていきます。
豪華なベルベットのインテリア
初期のジョージアン建築は、コリント式の円柱が多用された、すっきりとしたシンプルな外観ですが、内装は対照的に豪華でした。当時のイギリスにはすでに、フランスから流れてきたユグノーの職人の優れた技術があり、家具やテキスタイルなど高水準のものを自国で製造できる先進国になっていました。なかでもテキスタイル産業の発展はめざましく、イタリアやフランスから学んだシルク織物をインテリアに使うことが普及していきました。
とりわけ高価なベルベットがこの時代、壁やインテリアを豪華に飾るファブリックとして愛用されます。ジョージアン時代と重なるバロック時代の絵画は、ドラマティックな題材で、明暗法を取り入れた色鮮やかなものが多かったので、それを飾る背景の壁にも、迫力負けしない豪華さが必要でした。贅沢な質感と奥行きのある色合いを備えたベルベット素材は最適だったのでしょう。
初期のジョージアン建築は、コリント式の円柱が多用された、すっきりとしたシンプルな外観ですが、内装は対照的に豪華でした。当時のイギリスにはすでに、フランスから流れてきたユグノーの職人の優れた技術があり、家具やテキスタイルなど高水準のものを自国で製造できる先進国になっていました。なかでもテキスタイル産業の発展はめざましく、イタリアやフランスから学んだシルク織物をインテリアに使うことが普及していきました。
とりわけ高価なベルベットがこの時代、壁やインテリアを豪華に飾るファブリックとして愛用されます。ジョージアン時代と重なるバロック時代の絵画は、ドラマティックな題材で、明暗法を取り入れた色鮮やかなものが多かったので、それを飾る背景の壁にも、迫力負けしない豪華さが必要でした。贅沢な質感と奥行きのある色合いを備えたベルベット素材は最適だったのでしょう。
部屋の目的や用途に合わせたインテリア
この時代より前、チューダー様式の邸宅では、1階に大きなホールがあり、椅子などは部屋や回廊にぽつぽつと置かれ、必要なときだけ必要な場に移動されていました。部屋や家具の使い方がフレキシブルだったチューダー調の家がロンドン大火災で多く焼失したジョージアン時代になると、固定された名前と用途の部屋が誕生し、家具も置かれる部屋が決まってくるようになります。
たとえばドローイングルームは来客をもてなす部屋、または控えの間。モーニングルームは日当たりのよい、家族が集まる日中の居間。スタディー(書斎)は高価な本が置かれたライブラリー兼書物や調べ物をする部屋、という具合に決まり、家具やインテリアはその部屋の用途に合わせてデザインされるようになります。
この時代より前、チューダー様式の邸宅では、1階に大きなホールがあり、椅子などは部屋や回廊にぽつぽつと置かれ、必要なときだけ必要な場に移動されていました。部屋や家具の使い方がフレキシブルだったチューダー調の家がロンドン大火災で多く焼失したジョージアン時代になると、固定された名前と用途の部屋が誕生し、家具も置かれる部屋が決まってくるようになります。
たとえばドローイングルームは来客をもてなす部屋、または控えの間。モーニングルームは日当たりのよい、家族が集まる日中の居間。スタディー(書斎)は高価な本が置かれたライブラリー兼書物や調べ物をする部屋、という具合に決まり、家具やインテリアはその部屋の用途に合わせてデザインされるようになります。
イギリス家具の黄金期、マホガニー材の家具
1721年から輸入木材への関税が撤廃され、西インド諸島から高級なマホガニー材が簡単に輸入できるようになります。これが、貴族の間でマホガニー家具が流行する契機となります。家具デザイナーのトーマス・チッペンデールがデザインした家具のカタログが出版された後、ジョージアン時代の家具はマホガニー一色となりました。
もっと知りたい、タイムレスデザインの椅子:チッペンデールチェア
マホガニー材は軽くて丈夫で長持ちし、彫刻も入れやすいといったことから、女性にも好まれる、繊細で華奢なデザインの家具がつくれるようになりました。現代ではもう手に入れることが不可能な、良質な木材と素晴らしい職人の技が活きた素晴らしい家具が残されています。このことから、ジョージアン時代はイギリスの家具の黄金期ともいわれています。
1721年から輸入木材への関税が撤廃され、西インド諸島から高級なマホガニー材が簡単に輸入できるようになります。これが、貴族の間でマホガニー家具が流行する契機となります。家具デザイナーのトーマス・チッペンデールがデザインした家具のカタログが出版された後、ジョージアン時代の家具はマホガニー一色となりました。
もっと知りたい、タイムレスデザインの椅子:チッペンデールチェア
マホガニー材は軽くて丈夫で長持ちし、彫刻も入れやすいといったことから、女性にも好まれる、繊細で華奢なデザインの家具がつくれるようになりました。現代ではもう手に入れることが不可能な、良質な木材と素晴らしい職人の技が活きた素晴らしい家具が残されています。このことから、ジョージアン時代はイギリスの家具の黄金期ともいわれています。
ジョージアン時代前期は、ロンドン大火災から復興し、新しい街づくりの基盤ができた時代でもありました。産業革命期に入ったイギリスでは、さまざまな技術やテクノロジーが発明され、国はこの後、さらに栄えるようになるのです。ジョージアン前期に流行した古代ローマ・ギリシャの神殿風スタイルそのものは廃れることはありませんでしたが、ジョージアン後期になると、徐々にシンプルなネオクラシカルスタイルへと変化していきます。そして、ジョージアン様式は円熟し、特有の優美な建築の数々が花開くのです。
コメント募集中
ご感想をお聞かせください。
コメント募集中
ご感想をお聞かせください。
おすすめの記事
インテリア
こだわりの和モダンインテリアをつくるヒント
日本の住まいに馴染み、永く世代を問わず愛される「和モダン」なインテリア。家づくりの早い段階から完成形を意識することで、こだわりの空間が出来上がります。
続きを読む
インテリア
北欧スタイルインテリアを作りたい!【ダイニング編】
憧れの北欧スタイルインテリアを作るコツをお部屋ごとにご紹介。食事以外の用途にも多目的に使うダイニングエリアを北欧メソッドで心地よくしましょう。
続きを読む
インテリア
北欧スタイルインテリアを作りたい!【リビング編】
シンプルでいて暖かみがありオシャレ、そんな憧れの北欧スタイルインテリアを作るコツをお部屋ごとにご紹介します。家族みんなが集まるリビングを、北欧メソッドで心地よくしましょう。
続きを読む
インテリア
自然体でシンプル。ジャパンディなインテリアを手軽に取り入れるポイント
海外だけでなく日本国内でもいま注目度が急上昇中の、和と北欧が融合したスタイル。取り入れるなら意識しておきたい要素をご紹介します。
続きを読む