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5分でわかるデザイン様式:英国で花開いたチューダースタイル
有名な「ハーフティンバー」やレンガの煙突など、特徴的なデザインの外観はきっと誰もが一度は見たことがあるでしょう。チューダー様式について知っておきたい知識を、コンパクトに解説します。
西谷典子|Noriko Nishiya
2016年7月30日
15世紀終わりから17世紀初めにかけてのイギリスで、ゴシックデザインを少しずつ変化させて生まれたスタイル、チューダー様式。120年足らずの間に発展した様式ですが、その後何度もリバイバルされ、現在の住宅に採用されている意匠も数多くあります。中世の昔から今に伝わる伝統デザインの時代背景と、建物の外観、内装、家具デザインの特徴を中心にまとめました。
16世紀の英国で発展
英国でチューダー朝が始まるのはヘンリー7世の統治時代、1485年から。その後エリザベス1世が亡くなる1603年までの、ゴシック時代の中に存在したこの期間のデザインを「チューダースタイル」と呼びます。他のヨーロッパ諸国ではすでにルネサンス時代が始まっていましたが、イギリスはこの時期、ゴシック様式の中で独自のスタイルをゆっくりと発展させていくのです。
ゴシック様式についてはこちらも参考に
5分でわかるデザイン様式:中世に誕生したゴシックデザイン
アンティーク家具の「脚のデザイン」を知る : ゴシックとルネサンスの時代
英国でチューダー朝が始まるのはヘンリー7世の統治時代、1485年から。その後エリザベス1世が亡くなる1603年までの、ゴシック時代の中に存在したこの期間のデザインを「チューダースタイル」と呼びます。他のヨーロッパ諸国ではすでにルネサンス時代が始まっていましたが、イギリスはこの時期、ゴシック様式の中で独自のスタイルをゆっくりと発展させていくのです。
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象徴的な外観デザイン「ハーフティンバー」
ゴシック様式は主に教会やお城などで使われたデザインですが、一般の人々の住まいとしては「ハーフティンバー」と呼ばれる建築様式の家が多かったようです。ハーフティンバーは、柱や梁、筋交いなど木の構造材を外側にむき出しにし、その間を漆喰やレンガで埋めた、特徴のある外観でよく知られ、半分は材木で半分は漆喰やレンガが見えることから、この名で呼ばれているようです。
フランスやドイツのハーフティンバーは直線中心のシンプルなものが多いのに対し、イギリスでその後発展したハーフティンバーの模様は、斜めの線や曲線なども多用した、個性的で独創性のあるデザインが多いことでも知られています。
ゴシック様式は主に教会やお城などで使われたデザインですが、一般の人々の住まいとしては「ハーフティンバー」と呼ばれる建築様式の家が多かったようです。ハーフティンバーは、柱や梁、筋交いなど木の構造材を外側にむき出しにし、その間を漆喰やレンガで埋めた、特徴のある外観でよく知られ、半分は材木で半分は漆喰やレンガが見えることから、この名で呼ばれているようです。
フランスやドイツのハーフティンバーは直線中心のシンプルなものが多いのに対し、イギリスでその後発展したハーフティンバーの模様は、斜めの線や曲線なども多用した、個性的で独創性のあるデザインが多いことでも知られています。
地元独自の技術、デザインが発達
当時はまだ輸送技術が発達していなかったため、建築材料は地元で産出されるものを使用し、大工や石工なども同じく地元の職人を雇いました。富裕な人々だけが他の地域の名のある職人を呼び寄せることができましたが、それでも川や海岸の近くに住む人たちに限定されていました。この職人たちは、独自の技巧やデザインをその後継者だけに伝授したため、固有の技術は外に漏れることなく、その村や街のみで伝承され、同じ地域に同じデザインの建築物が多く建てられることになりました。特にハーフティンバーの個性的なデザインの家は、その当時も富裕層のステイタスだったようで、今でもイギリス北部のランカシャーやチェシャー州を中心に、多く残っています。
当時はまだ輸送技術が発達していなかったため、建築材料は地元で産出されるものを使用し、大工や石工なども同じく地元の職人を雇いました。富裕な人々だけが他の地域の名のある職人を呼び寄せることができましたが、それでも川や海岸の近くに住む人たちに限定されていました。この職人たちは、独自の技巧やデザインをその後継者だけに伝授したため、固有の技術は外に漏れることなく、その村や街のみで伝承され、同じ地域に同じデザインの建築物が多く建てられることになりました。特にハーフティンバーの個性的なデザインの家は、その当時も富裕層のステイタスだったようで、今でもイギリス北部のランカシャーやチェシャー州を中心に、多く残っています。
1階より2階の方が広い家
都市の家は、道路に面する横幅が法律によってかなり狭い15~25フィート(4.75~7.62m)と決められていたので、細長いうなぎの寝床のようなつくりでした。2階を増築する際、人々は下の階よりも上階が道路にせり出した構造を採用し、なるべくスペースを取れるように法律の範囲内で工夫していました。このせり出した梁のことを「ジェティ」と呼びますが、富裕な人々の住まいだった建物では、このジェティの角にも凝った彫刻があしらわれています。
都市の家は、道路に面する横幅が法律によってかなり狭い15~25フィート(4.75~7.62m)と決められていたので、細長いうなぎの寝床のようなつくりでした。2階を増築する際、人々は下の階よりも上階が道路にせり出した構造を採用し、なるべくスペースを取れるように法律の範囲内で工夫していました。このせり出した梁のことを「ジェティ」と呼びますが、富裕な人々の住まいだった建物では、このジェティの角にも凝った彫刻があしらわれています。
レンガ造りの家は16世紀以降に復活
イギリスを長い間統治していたローマ人は、当時の建物の建設にレンガを使っていました。ところが、レンガの作り方についてはイギリス人に教えなかったようで、ローマ人が4世紀にイギリスを去ってから13世紀までの間、レンガ造りの建造物はさっぱり消え去っていたようです。16世紀になると再び、上流階級の住まいとして、レンガ造りの家が増え始めます。
イギリスを長い間統治していたローマ人は、当時の建物の建設にレンガを使っていました。ところが、レンガの作り方についてはイギリス人に教えなかったようで、ローマ人が4世紀にイギリスを去ってから13世紀までの間、レンガ造りの建造物はさっぱり消え去っていたようです。16世紀になると再び、上流階級の住まいとして、レンガ造りの家が増え始めます。
レンガ造りの人気パターン
レンガの色は赤系が主流ですが、石灰を混ぜた白いレンガや黒のレンガなども使い、外壁に菱形のような柄をつくったタイプも、チューダー朝時代に流行しました。このデザインは、菱形の布を使っていた赤ちゃんのオムツ(ダイアパー)のような形だということから、イギリスでは「ダイアパー・パターン」と呼ばれています。
レンガの色は赤系が主流ですが、石灰を混ぜた白いレンガや黒のレンガなども使い、外壁に菱形のような柄をつくったタイプも、チューダー朝時代に流行しました。このデザインは、菱形の布を使っていた赤ちゃんのオムツ(ダイアパー)のような形だということから、イギリスでは「ダイアパー・パターン」と呼ばれています。
贅沢の象徴、レンガ造りの煙突
チューダー様式の建築特有のものとしては、レンガ造りの煙突も挙げられます。貧しい家には煙突がなかった時代に、高価だったレンガで、しかも凝ったデザインの煙突を持つということは、それだけで大変贅沢なことでした。モールディングで型をつくって焼いたレンガを使い、ときには幾何学模様のような複雑なデザインを用いたこれらの煙突は、チューダー朝時代のイギリスでのみ見られるもので、ロンドンのハンプトンコート宮殿の豪華な煙突は、その中でもとりわけ有名です。
チューダー様式の建築特有のものとしては、レンガ造りの煙突も挙げられます。貧しい家には煙突がなかった時代に、高価だったレンガで、しかも凝ったデザインの煙突を持つということは、それだけで大変贅沢なことでした。モールディングで型をつくって焼いたレンガを使い、ときには幾何学模様のような複雑なデザインを用いたこれらの煙突は、チューダー朝時代のイギリスでのみ見られるもので、ロンドンのハンプトンコート宮殿の豪華な煙突は、その中でもとりわけ有名です。
住宅における窓ガラス、窓装飾の普及
この時代の庶民の家の窓は、中世から使われていたオイルを塗布した布や木製のシャッターで覆われており、ガラス窓はまだ上流階級の家だけのものでした。16世紀以降は中流階級まで浸透してきましたが、引っ越しする際にはガラス窓もきれいに外して次の家へ持ち運んだということですから、まだまだ高価なものだったようです。レンガ造りや石造りの宮殿、屋敷の窓には、ダイヤモンド柄や家の紋章をあしらったステンドグラスがはめ込まれ、一般の人々の家の窓もだんだんに、装飾的な役割を持つようになってきます。
この時代の庶民の家の窓は、中世から使われていたオイルを塗布した布や木製のシャッターで覆われており、ガラス窓はまだ上流階級の家だけのものでした。16世紀以降は中流階級まで浸透してきましたが、引っ越しする際にはガラス窓もきれいに外して次の家へ持ち運んだということですから、まだまだ高価なものだったようです。レンガ造りや石造りの宮殿、屋敷の窓には、ダイヤモンド柄や家の紋章をあしらったステンドグラスがはめ込まれ、一般の人々の家の窓もだんだんに、装飾的な役割を持つようになってきます。
チューダー様式住宅の内装と家具
さて、チューダー朝時代の一般市民の家の中はどうなっていたのでしょうか? いつでも引っ越しがしやすいように、室内に家具はさほど置かれてはいなかったようです。そもそも家具製作そのものが、手作業で行う大変コストのかかるものだったので、数少ない貴重な家具は何代もの間受け継がれ、大切に使われました。ベッドのほか、テーブルはありましたが、まわりに置くのは椅子ではなく、おもにベンチだったようです。椅子というアイテムは、その家の主人だけが使ったということから、英語では今も「チェアマン」 は会社のトップの人間を意味します。
さて、チューダー朝時代の一般市民の家の中はどうなっていたのでしょうか? いつでも引っ越しがしやすいように、室内に家具はさほど置かれてはいなかったようです。そもそも家具製作そのものが、手作業で行う大変コストのかかるものだったので、数少ない貴重な家具は何代もの間受け継がれ、大切に使われました。ベッドのほか、テーブルはありましたが、まわりに置くのは椅子ではなく、おもにベンチだったようです。椅子というアイテムは、その家の主人だけが使ったということから、英語では今も「チェアマン」 は会社のトップの人間を意味します。
造り付けの貴重品棚や食器棚
チューダー朝時代に建てられた家の中では、壁や暖炉の近く、または階段の一部が小さな扉になっていて、そこにその当時は貴重なものだったスパイスや塩、その他の貴重品を入れる構造になっていました。そんな工夫も、この時代の内装の特徴です。
中流階級では小さなカップボードが置かれる家もあったようですが、基本的に当時の家庭では、お皿もカトラリーも家具に収納するほど多く必要ではなく、ゲストも誰かの家に呼ばれた際には自分の食器やカトラリーを持っていく習慣があったそうです。生活用品も必要最低限で暮らしていたのですね。
チューダー朝時代に建てられた家の中では、壁や暖炉の近く、または階段の一部が小さな扉になっていて、そこにその当時は貴重なものだったスパイスや塩、その他の貴重品を入れる構造になっていました。そんな工夫も、この時代の内装の特徴です。
中流階級では小さなカップボードが置かれる家もあったようですが、基本的に当時の家庭では、お皿もカトラリーも家具に収納するほど多く必要ではなく、ゲストも誰かの家に呼ばれた際には自分の食器やカトラリーを持っていく習慣があったそうです。生活用品も必要最低限で暮らしていたのですね。
「リネンフォールド」パターン
チューダー前期には「リネンフォールド」と呼ばれる、布を折り返したひだのようなデザインの彫りが流行しました。ほぼ同時期に、隙間風対策として壁にはめこむ四角い木製のパネルがポピュラーになりましたが、そこにはリネンフォールドの彫りがよく採用されました。リネンフォールドはその後、家具にも多く使用されるゴシック・チューダー調の典型的なデザインになり、何度もリバイバルしてよく使用されるようになりました。写真のブックケースの下1/3あたりの彫刻模様が、このリネンフォールドです。
チューダー前期には「リネンフォールド」と呼ばれる、布を折り返したひだのようなデザインの彫りが流行しました。ほぼ同時期に、隙間風対策として壁にはめこむ四角い木製のパネルがポピュラーになりましたが、そこにはリネンフォールドの彫りがよく採用されました。リネンフォールドはその後、家具にも多く使用されるゴシック・チューダー調の典型的なデザインになり、何度もリバイバルしてよく使用されるようになりました。写真のブックケースの下1/3あたりの彫刻模様が、このリネンフォールドです。
天井の装飾の変遷
また天井には梁(ビーム)が突き出している家が一般的でしたが、宮殿などでは梁と梁が交差するところに「ボス」というカラフルで装飾的な鋲がはめ込まれ、天井を彩りました。16世紀後半になると、このビームは姿を消し、漆喰で塗られた白い天井は幾何学的なモールディングの細工に変わり、インテリアそのものも、だんだんシンプルになっていきます。
また天井には梁(ビーム)が突き出している家が一般的でしたが、宮殿などでは梁と梁が交差するところに「ボス」というカラフルで装飾的な鋲がはめ込まれ、天井を彩りました。16世紀後半になると、このビームは姿を消し、漆喰で塗られた白い天井は幾何学的なモールディングの細工に変わり、インテリアそのものも、だんだんシンプルになっていきます。
保守的なイギリスという国の中で、ゴシックデザインは少しずつ変化し、中世の時代をゆっくり進みました。チューダー朝時代はある意味、イギリス特有のデザインをより深く発展させることができた重要な期間であったとも言えるでしょう。
そしてなにより、現代のようなハイテクな設備やツールもなく、ただ手作業のみでつくられた500年前の家が、まだ現在でも普通に住まいとして機能しているということ自体、驚くべきことだと思います。当時の職人の技が、相当な高いレベルだったことの確かな証拠です。
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そしてなにより、現代のようなハイテクな設備やツールもなく、ただ手作業のみでつくられた500年前の家が、まだ現在でも普通に住まいとして機能しているということ自体、驚くべきことだと思います。当時の職人の技が、相当な高いレベルだったことの確かな証拠です。
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