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フランク・ロイド・ライトの「プレーリー住宅」の住み心地とは?
名作プレーリー住宅《ブース邸》に50年間住み続けた女性が振り返る、ライト設計の住宅の住み心地とは?
Becky Harris
2017年7月2日
2016年、イリノイ州グレンコーにあるフランク・ロイド・ライト設計の《シャーマン・ブース邸》は100周年を迎えた。その100年のうち半分をこの家で暮らしたのが、ソニア・ブロックさんだ。
1967年、この家の内見に来たソニアさんと夫のテッドさんは、荒れ果てていたこの家の姿のなかにも、本質的な美しさを見抜き、すぐに購入を決めた。そしてふたりは、半世紀にわたり修繕とメンテナンスを続け、オリジナルのディテールを維持し、ライトが選んだ立地の美しい景観を楽しみながら暮らしてきた。この住宅には興味深い歴史があり、ライト誕生から150年の今日まで、グレンコーの町の影響力ある存在であり続けている。
1967年、この家の内見に来たソニアさんと夫のテッドさんは、荒れ果てていたこの家の姿のなかにも、本質的な美しさを見抜き、すぐに購入を決めた。そしてふたりは、半世紀にわたり修繕とメンテナンスを続け、オリジナルのディテールを維持し、ライトが選んだ立地の美しい景観を楽しみながら暮らしてきた。この住宅には興味深い歴史があり、ライト誕生から150年の今日まで、グレンコーの町の影響力ある存在であり続けている。
どんなHouzz?
住まい手:最初のオーナーはシャーマン&エリザベス・ブース夫妻。1967年から最近まで、ソニア&テッド・ブロック夫妻が修復しメンテナンスしながら暮らしてきた。テッドさんが亡くなり、現在は170万ドルで市場に出ている。
所在地:イリノイ州グレンコー
建築家:フランク・ロイド・ライト
竣工年:厩舎と管理人用コテージは1912年に完成、現状の家になったのは1916年。
注目ポイント:最終的にライトは、この敷地内にひとつの集落をまるごと設計しており、その中にはライトが完成させた最初の橋も含まれている。もうひとつだけライトが設計し実現した橋は、落水荘の私道の一部としてつくられたもの。
住まい手:最初のオーナーはシャーマン&エリザベス・ブース夫妻。1967年から最近まで、ソニア&テッド・ブロック夫妻が修復しメンテナンスしながら暮らしてきた。テッドさんが亡くなり、現在は170万ドルで市場に出ている。
所在地:イリノイ州グレンコー
建築家:フランク・ロイド・ライト
竣工年:厩舎と管理人用コテージは1912年に完成、現状の家になったのは1916年。
注目ポイント:最終的にライトは、この敷地内にひとつの集落をまるごと設計しており、その中にはライトが完成させた最初の橋も含まれている。もうひとつだけライトが設計し実現した橋は、落水荘の私道の一部としてつくられたもの。
垂直よりも水平方向を強調するライトのプレーリー住宅としては、この家の高さとマッシングや、屋上デッキがあることは珍しい。
ライトはキャリアの初期に、グレンコーで複数のプレーリー住宅を設計しており、グレンコーはライトが手掛けた建築が世界で3番目に多い町となっている。その大きな要因が、ライトの弁護士だったシャーマン・ブースとその妻エリザベスの存在だ。
1911年、自然保護活動家でもありグレンコー・パーク・ディストリクト(公園運営団体)の創設理事を務めたシャーマンと、イリノイ州で女性の大統領選投票権獲得に大きく貢献した著名な婦人参政権活動家であったエリザベスは、ライトに邸宅設計を依頼する。建物を取り巻く15エーカーの土地は自然保護地区にする、というのが当初のアイデアだった。
ライトは同年、大きな邸宅と付随する建物を設計し、友人でランドスケープデザインの大家であるジェンス・ジェンセンがランドスケープを設計した。厩舎兼ガレージと管理人用コテージは1912年に完成した。邸宅の建設期間中に一家が仮住まいするための夏用コテージも1913年に完成したが、この建物は現在では同じ町の別の場所に移築されている。
計画変更
邸宅本体には、また別のストーリーがある。なんと、結局は建てられずじまいだったのだ。ライト事務所が作成したレンダリングを見ると、落水荘にも劣らずドラマチックな配置計画で、《タリアセン》を思わせる建築的ジェスチャーが用いられていることがわかる。
資金面の問題で、ブース夫妻は夢の邸宅計画をスケールダウンせざるを得なくなった。1915年には、この土地を「ラヴィン・ブラフス(崖の渓谷)」と名付けた住宅地にするべく、複数の区画に分割する。ライトはこの住宅地のために、ブース邸よりも小ぶりな家をいくつも設計し、通りの名を記した彫刻的な表示板や、電車の駅、名前の由来である渓谷に掛かる橋も設計している。住宅のうち実際に建てられたのは5軒。各区画のランドスケープデザインはジェンセンが手掛けている。
ブース夫妻の予算削減により、邸宅の設計も一新される。長く伸びる水平ラインを強調した大きな家が渓谷に隣接して流れを見下ろす、というデザインは廃された。その代わりにライトが考えたのは、垂直方向から渓谷とのつながりをつくる住宅だ。すでに完成していた管理人用コテージと厩舎兼ガレージを、中央の縦長コアでつなげて住まいにつくり変えたのである。中央のコアは3階建てで、屋上デッキに出られるポーチが4階部分になっている。屋上デッキは、木々のこずえ越しに渓谷を眺める場所としてつくられた。
ライトはキャリアの初期に、グレンコーで複数のプレーリー住宅を設計しており、グレンコーはライトが手掛けた建築が世界で3番目に多い町となっている。その大きな要因が、ライトの弁護士だったシャーマン・ブースとその妻エリザベスの存在だ。
1911年、自然保護活動家でもありグレンコー・パーク・ディストリクト(公園運営団体)の創設理事を務めたシャーマンと、イリノイ州で女性の大統領選投票権獲得に大きく貢献した著名な婦人参政権活動家であったエリザベスは、ライトに邸宅設計を依頼する。建物を取り巻く15エーカーの土地は自然保護地区にする、というのが当初のアイデアだった。
ライトは同年、大きな邸宅と付随する建物を設計し、友人でランドスケープデザインの大家であるジェンス・ジェンセンがランドスケープを設計した。厩舎兼ガレージと管理人用コテージは1912年に完成した。邸宅の建設期間中に一家が仮住まいするための夏用コテージも1913年に完成したが、この建物は現在では同じ町の別の場所に移築されている。
計画変更
邸宅本体には、また別のストーリーがある。なんと、結局は建てられずじまいだったのだ。ライト事務所が作成したレンダリングを見ると、落水荘にも劣らずドラマチックな配置計画で、《タリアセン》を思わせる建築的ジェスチャーが用いられていることがわかる。
資金面の問題で、ブース夫妻は夢の邸宅計画をスケールダウンせざるを得なくなった。1915年には、この土地を「ラヴィン・ブラフス(崖の渓谷)」と名付けた住宅地にするべく、複数の区画に分割する。ライトはこの住宅地のために、ブース邸よりも小ぶりな家をいくつも設計し、通りの名を記した彫刻的な表示板や、電車の駅、名前の由来である渓谷に掛かる橋も設計している。住宅のうち実際に建てられたのは5軒。各区画のランドスケープデザインはジェンセンが手掛けている。
ブース夫妻の予算削減により、邸宅の設計も一新される。長く伸びる水平ラインを強調した大きな家が渓谷に隣接して流れを見下ろす、というデザインは廃された。その代わりにライトが考えたのは、垂直方向から渓谷とのつながりをつくる住宅だ。すでに完成していた管理人用コテージと厩舎兼ガレージを、中央の縦長コアでつなげて住まいにつくり変えたのである。中央のコアは3階建てで、屋上デッキに出られるポーチが4階部分になっている。屋上デッキは、木々のこずえ越しに渓谷を眺める場所としてつくられた。
次の住人を待ちながら
100年以上前に完成して以来、この家のオーナーとなったのは3組だけだ。ブース家、ノースウェスタン大学、そして1967年に購入したソニア&テッド・ブロック夫妻である。ソニアさんによると、ノースウェスタン大学はコンファレンス施設として使う予定だったが、ふたたび市場に出すことになったのだと言う。「私たちが見学に来たときには、まったく空っぽの状態でした。カーペットは傷んで、照明器具もすべて壊れていました」とソニアさんは言う。「ほかの人は醜い物件だと思ったかもしれませんが、私はすごく美しいと感じたんです。」ブロック夫妻は修復に取り組み、オリジナルの優美な姿によみがえらせた。
100年以上前に完成して以来、この家のオーナーとなったのは3組だけだ。ブース家、ノースウェスタン大学、そして1967年に購入したソニア&テッド・ブロック夫妻である。ソニアさんによると、ノースウェスタン大学はコンファレンス施設として使う予定だったが、ふたたび市場に出すことになったのだと言う。「私たちが見学に来たときには、まったく空っぽの状態でした。カーペットは傷んで、照明器具もすべて壊れていました」とソニアさんは言う。「ほかの人は醜い物件だと思ったかもしれませんが、私はすごく美しいと感じたんです。」ブロック夫妻は修復に取り組み、オリジナルの優美な姿によみがえらせた。
この家には長方形のフォルムが一貫して使われており、窓や木製の造作のほか、ライトがこの家専用にデザインした照明器具にも繰り返し登場する。
修復の長い道のり
「夫が当時、材木ビジネスに関わっていたことがとても幸運でした」とソニアさんは言う。「家に使われているのと同じ珍しい種類の木が必要なときにも、探し当てて手に入れることができました。」その一例が、こちらのエントランスホールの床材だ。テッドさんは、同じオーク種の細い板材を探し回り、ついにミシガン州の小さな材木店で見つけることができた。「業界とのつながりがあったおかげで、きちんと修復できたのは幸運でしたね。」
「夫が当時、材木ビジネスに関わっていたことがとても幸運でした」とソニアさんは言う。「家に使われているのと同じ珍しい種類の木が必要なときにも、探し当てて手に入れることができました。」その一例が、こちらのエントランスホールの床材だ。テッドさんは、同じオーク種の細い板材を探し回り、ついにミシガン州の小さな材木店で見つけることができた。「業界とのつながりがあったおかげで、きちんと修復できたのは幸運でしたね。」
この家をふたたび住めるようにするのは、情熱あってこその大仕事だった。ブロック夫妻は、ごく細部までライトのオリジナルデザインを尊重しながら修復していった。家の各所に見られる、ランタンのような照明器具もそのひとつだ。これらの照明を使うと絵画などを壁に飾るスペースが限られてしまううえ、修復も難しかったのだが、それでもソニアさんがこの家でいちばん気に入っているところのひとつだと言う。「ランタンの照明はとてもエレガントで、ほんとうに美しい光を放ってくれるんです」とソニアさん。
ブロック夫妻はインテリアデザイナーのローレル・フェルドマンさんの力を借り、木の造作やラジエーターカバー、家具、照明、窓といった、この家のために特別にデザインされたディテールに合う調度を選んでいった。ニュートラルなアーストーンの色使いや、夫妻のコレクションしている陶器などの有機的なアイテムが、敷地の景観に調和している。
ライブラリーエリアは、手の込んだ木の造作の美しさがよくわかる、素晴らしい空間だ。
ライブラリーエリアは、手の込んだ木の造作の美しさがよくわかる、素晴らしい空間だ。
空間のあいだには自然な流れが生まれている。ライブラリーエリアは、こちらの大きな部屋(図面の「リビングルーム」)とつながっており、この部屋からはポーチ(サンルーム)とその向こうに広がる屋外が見渡せる。
15エーカーの土地のほとんどは分割してしまったが、ブース邸の敷地は木々に囲まれたプライベートな雰囲気を保っている。庭と森の眺めが楽しめるように、ライトは天井まで届く掃き出し窓をデザインした。
15エーカーの土地のほとんどは分割してしまったが、ブース邸の敷地は木々に囲まれたプライベートな雰囲気を保っている。庭と森の眺めが楽しめるように、ライトは天井まで届く掃き出し窓をデザインした。
ポーチは4.6×6メートルほどの空間で、周囲はほぼすべてガラス窓だ。「ポーチにある床から天井までの窓は、1915年当時には珍しいものでしたが、実に見事ですね」とソニアさんは言う。
家を取り囲む軒は、入ってくる自然光をコントロールしてくれる。「この軒が、冬のまぶしい光を遮ってくれます。この家に入る光はいつも柔らかく心地よくて、ベッドルームのほかはカーテンが必要だと感じたことはありません」とソニアさん。「周囲はずっと緑で囲まれていていますし、夕方の光はとくに美しいんです。」
家を取り囲む軒は、入ってくる自然光をコントロールしてくれる。「この軒が、冬のまぶしい光を遮ってくれます。この家に入る光はいつも柔らかく心地よくて、ベッドルームのほかはカーテンが必要だと感じたことはありません」とソニアさん。「周囲はずっと緑で囲まれていていますし、夕方の光はとくに美しいんです。」
こちらの写真では、外から見た軒と、窓枠のラインのようすが見える。
歴史を探る
ソニアさんは、シャーマン&エリザベス・ブース夫妻の息子のひとり、シャーマン・ブース・ジュニアさんから設計についてより詳しい情報を得ることができた。あるときフロリダに滞在していたソニアさんは、ちょうどその近くに息子さんが住んでいることを知り、連絡をとって訪問したのだ。「お母さまはキッチンが完璧に片付いていない限り人に見られることを嫌がっていた、と話してくれました」とソニアさん。「だから、キッチンの窓を高く配置して中が見えないようにしてほしいと、ライトに依頼したんだそうです。」
フェルドマンさんは、オリジナルの雰囲気を保ちながら、ブロック家の使い勝手に合うキッチンに改装している。
ソニアさんは、シャーマン&エリザベス・ブース夫妻の息子のひとり、シャーマン・ブース・ジュニアさんから設計についてより詳しい情報を得ることができた。あるときフロリダに滞在していたソニアさんは、ちょうどその近くに息子さんが住んでいることを知り、連絡をとって訪問したのだ。「お母さまはキッチンが完璧に片付いていない限り人に見られることを嫌がっていた、と話してくれました」とソニアさん。「だから、キッチンの窓を高く配置して中が見えないようにしてほしいと、ライトに依頼したんだそうです。」
フェルドマンさんは、オリジナルの雰囲気を保ちながら、ブロック家の使い勝手に合うキッチンに改装している。
こちらのオフィススペースを見ると、窓のディテールがよくわかる。窓枠には、建設当時はこの地方で簡単に手に入ったレッドガム材が使われている。写真左側のドアノブにも注目したい。あらゆる要素が入念に考えられているのだ。
「スタイル面で専門家がよく話題にするのは、この家の高さと、暖炉付きの屋上デッキ。ライトの設計にしてはとても珍しいからです」とソニアさんは言う。「屋上デッキは、峡谷を見下ろせる彫刻庭園にするというのがライトの意図だったようですが、私たちは単にデッキとして使っていました。」
シャーマン・ジュニアさんがソニアさんに語った話によると、父のシャーマン氏は、息子たちを鍛える必要があると考え、寒い時期に屋上デッキの簡易ベッドで眠らせたこともあると言う。もしかすると父のシャーマン・ブース氏は、当時流行していた野外教育運動の推進派だったのかもしれない。シャーマン・ジュニアさんがソニアさんに語った話によると、父のシャーマン氏は、息子たちを鍛える必要があると考え、寒い時期に屋上デッキの簡易ベッドで眠らせたこともあると言う。もしかすると父のシャーマン・ブース氏は、当時流行していた野外教育運動の推進派だったのかもしれない。
シャーマン・ジュニアさんがソニアさんに語った話によると、父のシャーマン氏は、息子たちを鍛える必要があると考え、寒い時期に屋上デッキの簡易ベッドで眠らせたこともあると言う。もしかすると父のシャーマン・ブース氏は、当時流行していた野外教育運動の推進派だったのかもしれない。シャーマン・ジュニアさんがソニアさんに語った話によると、父のシャーマン氏は、息子たちを鍛える必要があると考え、寒い時期に屋上デッキの簡易ベッドで眠らせたこともあると言う。もしかすると父のシャーマン・ブース氏は、当時流行していた野外教育運動の推進派だったのかもしれない。
この春、フランク・ロイド・ライト建築保存協会が主催した邸宅ツアーには90人ほどが参加した。こちらはソニアさんの解説を聴く参加者たち。
「アメリカ各地から飛行機に乗って、おおぜいの人がツアーに訪れていました。なかには、自分もライトの家に住んでいるという人たちもいたんですよ」と言うのは、ライト愛好家の建築家ジョン・ティルトンさんを父に持つパメラ・リンさん。彼女もライトが設計したJ・キブン・インガルス邸で育っている。「みんなにとって、この美しい家に入って見学できる特別な1日になりました。」
「アメリカ各地から飛行機に乗って、おおぜいの人がツアーに訪れていました。なかには、自分もライトの家に住んでいるという人たちもいたんですよ」と言うのは、ライト愛好家の建築家ジョン・ティルトンさんを父に持つパメラ・リンさん。彼女もライトが設計したJ・キブン・インガルス邸で育っている。「みんなにとって、この美しい家に入って見学できる特別な1日になりました。」
マスターベッドルームには、ライト設計のランタン型照明が2つあり、家の角を包み込むように窓がある。ライトは角の扱いに細心の注意を払っているが、それはソニアさんがこの家から学び、ずっと意識していることだという。「どこかに出かけて、美しくないコーナー部分やスペースを目にするたびに、この家ではいたるところが完璧だと、改めて思い出すんです。」
縦に長いブース邸は、老後を過ごす場所としては平屋のプレーリーハウスほど適していない。そのため、ソニアさんはこの家を売りに出し、ライトの名作建築で暮らすチャンスを次のオーナーに譲ることに決めた。次の住人も、ソニアさんやテッドさんが何十年も続けてきたのと同じように、この家を大切に愛し、美しく保っていってくれることを願いたい。
見学インフォメーション:グレンコー歴史協会には、この地域でライトが手掛けた住宅、道路名の表示版、橋などの素晴らしい写真が所蔵されているほか、住宅ウォーキングツアー用の地図も用意されている。
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