建築家レイ・カッペのキャリアの最後を飾る砂漠の住宅
パームスプリングス・モダニズムウィークで披露された、敷地と眺めを称える住まいです。
南カルフォルニアのパームスプリングスを望むサンジャシント山脈の麓に、45.3haの土地があります。デベロッパーで、土地の所有者であるエド・フリーマンは、この場所が建築的傑作が集まったコミュニティになることを構想しました。山から流れてきた水によって数千年かけて形成された扇状地に、丸みを帯びた巨大な岩が点在する自然環境。これから住宅が建てられていくこの土地の未来を想像したフリーマンは、最初の建売住宅として、土地の特性と美しくつながることができ、パームスプリングスの建築的アイデンティティを形成するミッドセンチュリー住宅の伝統にも忠実な建築を望みました。
フリーマンは、著名な建築家であるレイ・カッペこそがこの建売住宅の設計に最適な人物であると考えました。2021年3月の竣工したこの建売住宅は、竣工の少し前に亡くなったカッペの最後の作品の一つとなりました。住宅は完成してすぐに公開され、今年のパームスプリングス・モダニズムウィーク(2006年から毎年開催されている、モダン建築の祭典)では、ツアーが行われました。ミッドセンチュリースタイルの最高の要素に、周辺の自然環境への配慮と責任を兼ね備えたこの住宅は、カッペのキャリアの最後を飾るのにふさわしい作品だったといえます。
フリーマンは、著名な建築家であるレイ・カッペこそがこの建売住宅の設計に最適な人物であると考えました。2021年3月の竣工したこの建売住宅は、竣工の少し前に亡くなったカッペの最後の作品の一つとなりました。住宅は完成してすぐに公開され、今年のパームスプリングス・モダニズムウィーク(2006年から毎年開催されている、モダン建築の祭典)では、ツアーが行われました。ミッドセンチュリースタイルの最高の要素に、周辺の自然環境への配慮と責任を兼ね備えたこの住宅は、カッペのキャリアの最後を飾るのにふさわしい作品だったといえます。
写真:Steve Shaw
著名な南カルフォルニアの近代建築家
1927年に生まれたカッペは、亡くなる92歳まで絶え間なく活動し、南カルフォルニアに100戸以上の住宅を設計しました。彼は1972年に設立された南カルフォルニア建築大学(SCI-Arc)の最初のディレクターも務めました。
カッペの住宅は、その土地の自然な形に最小限しか介入せず、敷地に対して注意深く置かれていることで知られていました。内部は、階段状の床による流動的な空間や、その住まいがどうやって建てられたかを物語るむき出しの柱梁構造を特徴としています。フリーマンが愛したこれらの特徴は、パリセーズ砂漠の開発でカッペが設計した住宅でも見られます。
カッペは南カルフォルニアを代表する近代住宅作家として知られていますが、彼は1930年代以降近代建築が繁栄してきたパームスプリングスで住宅を設計したことがありませんでした。この地域には、リチャード・ノイトラ、ジョン・ロートナー、アルバート・フレイなど、多くの建築家が設計した住宅があります。カッペは砂漠での経験が不足していたものの、フリーマンは心配していませんでした。カッペには自身のアプローチを実現してくれるだけのエネルギーと創造性があると確信してい他のです。
著名な南カルフォルニアの近代建築家
1927年に生まれたカッペは、亡くなる92歳まで絶え間なく活動し、南カルフォルニアに100戸以上の住宅を設計しました。彼は1972年に設立された南カルフォルニア建築大学(SCI-Arc)の最初のディレクターも務めました。
カッペの住宅は、その土地の自然な形に最小限しか介入せず、敷地に対して注意深く置かれていることで知られていました。内部は、階段状の床による流動的な空間や、その住まいがどうやって建てられたかを物語るむき出しの柱梁構造を特徴としています。フリーマンが愛したこれらの特徴は、パリセーズ砂漠の開発でカッペが設計した住宅でも見られます。
カッペは南カルフォルニアを代表する近代住宅作家として知られていますが、彼は1930年代以降近代建築が繁栄してきたパームスプリングスで住宅を設計したことがありませんでした。この地域には、リチャード・ノイトラ、ジョン・ロートナー、アルバート・フレイなど、多くの建築家が設計した住宅があります。カッペは砂漠での経験が不足していたものの、フリーマンは心配していませんでした。カッペには自身のアプローチを実現してくれるだけのエネルギーと創造性があると確信してい他のです。
建設中のパリセーズ砂漠の現場 写真:Ed Freeman
カッペのパームスプリングスへの視察
フリーマンはカッペとその息子を開発現場に招待しました。フリーマンによると、カッペ親子は、目立たないモダンな住宅の奨励、砂漠に溶け込む素材の使用、敷地間の柵や壁の禁止、そして在来種の植栽の提唱など、砂漠の特徴を維持するための設計基準と、敷地の環境に配慮したレイアウトに感銘を受けていたそうです。
何回かの敷地見学の後、南東向きの区画が建売住宅の敷地に選ばれました。フリーマンはこの敷地を「自然のパワーと個性が溢れ、古代の渓谷の横にゆるやかな斜面がある」と説明しました。また敷地は、サン・ジャッキント山脈の南から西方面にかけての素晴らしい景色を望むことができました。
約300平米の住宅には、オープンプランのキッチン、リビング、ダイニングと、3つの洗面室付きの寝室、テラス、プールが必要だという条件がありましたが、具体的なレイアウトやデザインはカッペに任されました。
フリーマンは、砂漠環境でうまく風化する素材であるスチール、コンクリート、ガラスで住宅を建てるという決定に満足していました。
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カッペのパームスプリングスへの視察
フリーマンはカッペとその息子を開発現場に招待しました。フリーマンによると、カッペ親子は、目立たないモダンな住宅の奨励、砂漠に溶け込む素材の使用、敷地間の柵や壁の禁止、そして在来種の植栽の提唱など、砂漠の特徴を維持するための設計基準と、敷地の環境に配慮したレイアウトに感銘を受けていたそうです。
何回かの敷地見学の後、南東向きの区画が建売住宅の敷地に選ばれました。フリーマンはこの敷地を「自然のパワーと個性が溢れ、古代の渓谷の横にゆるやかな斜面がある」と説明しました。また敷地は、サン・ジャッキント山脈の南から西方面にかけての素晴らしい景色を望むことができました。
約300平米の住宅には、オープンプランのキッチン、リビング、ダイニングと、3つの洗面室付きの寝室、テラス、プールが必要だという条件がありましたが、具体的なレイアウトやデザインはカッペに任されました。
フリーマンは、砂漠環境でうまく風化する素材であるスチール、コンクリート、ガラスで住宅を建てるという決定に満足していました。
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図面:Ray Kappe
カッペが考案したデザインは、建築家が自身の方法論を放棄することなく、新たな環境や現在のテイストにアプローチを適応させたお手本のようです。
カッペは黄色いトレーシングペーパーの上に平面図(上記)、断面図、立面図の3枚しか作図しませんでしたが、フィンはこれらを設計上の「宝箱」と表現します。2017年に作成されたこれらの控えめな図面には、プロジェクトの全てのアイデアが詰まっています。
カッペは、温かく寡黙な性格とは裏腹に、デザインへのアプローチは精密で迅速であった、とフリーマンは振り返ります。フィンは父親のデザイン過程について、一人で静かに作業し、敷地を慎重に定め、単純な製図用品で建物を設計した、と説明します。
カッペは住宅が完成する1年半前の2019年に亡くなりましたが、息子のフィンは住宅設計者として父の名前を記すことに迷いはありませんでした。フィンは父が描いた3枚の図面を使い、プロジェクトの構築に必要な施工図を作成しました。フィンには父親のデザインの意図を汲むのに十分な協働の経験がありました。
「何ひとつ変えることなく」、カッペが考えた通りに住宅が建てられた、とフリーマンは言います。通常であれば、建築家が敷地について新たな知見を得ると内部空間が足されたり、単純に新たなアイデアを思いつくとデザインの変更が繰り返されたりすることを考えると、これは驚くべきことです。
カッペが考案したデザインは、建築家が自身の方法論を放棄することなく、新たな環境や現在のテイストにアプローチを適応させたお手本のようです。
カッペは黄色いトレーシングペーパーの上に平面図(上記)、断面図、立面図の3枚しか作図しませんでしたが、フィンはこれらを設計上の「宝箱」と表現します。2017年に作成されたこれらの控えめな図面には、プロジェクトの全てのアイデアが詰まっています。
カッペは、温かく寡黙な性格とは裏腹に、デザインへのアプローチは精密で迅速であった、とフリーマンは振り返ります。フィンは父親のデザイン過程について、一人で静かに作業し、敷地を慎重に定め、単純な製図用品で建物を設計した、と説明します。
カッペは住宅が完成する1年半前の2019年に亡くなりましたが、息子のフィンは住宅設計者として父の名前を記すことに迷いはありませんでした。フィンは父が描いた3枚の図面を使い、プロジェクトの構築に必要な施工図を作成しました。フィンには父親のデザインの意図を汲むのに十分な協働の経験がありました。
「何ひとつ変えることなく」、カッペが考えた通りに住宅が建てられた、とフリーマンは言います。通常であれば、建築家が敷地について新たな知見を得ると内部空間が足されたり、単純に新たなアイデアを思いつくとデザインの変更が繰り返されたりすることを考えると、これは驚くべきことです。
レイ・カッペとフィン・カッペ
現在、パリセーズ砂漠の117の区画には、わずかな住宅しか建てられていません。フリーマンはいくつかの区画に建売住宅をつくる可能性を残していますが、ほとんどの区画では、購入者自身が建築家を雇い、住宅を設計する責任があります。
フリーマンは、品質レベルを維持する方法として、住宅の図面を審査するデザイン・レビュー委員会を作っています。カッペによる住宅は、近代建築と砂漠がどのように調和して存在することができるかを示す指標となるでしょう。
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現在、パリセーズ砂漠の117の区画には、わずかな住宅しか建てられていません。フリーマンはいくつかの区画に建売住宅をつくる可能性を残していますが、ほとんどの区画では、購入者自身が建築家を雇い、住宅を設計する責任があります。
フリーマンは、品質レベルを維持する方法として、住宅の図面を審査するデザイン・レビュー委員会を作っています。カッペによる住宅は、近代建築と砂漠がどのように調和して存在することができるかを示す指標となるでしょう。
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デベロッパーが建築家を見つけるまで
フリーマンは、ミッドセンチュリースタイルを模倣することだけでは満足していませんでした。正真正銘のミッドセンチュリー建築家に、土地と砂漠のモダニズムの歴史に敬意を表するかたちで最初の住宅を設計してもらいたいと考えました。この最初の住宅が他の土地購入者のインスピレーションとなり、周囲の環境と美しく調和したモダンな家を建てるきっかけとなることをフリーマンは期待していました。
フリーマンは著名な建築家であったレイ・カッペのことを以前から知っており、土地と呼応した彼の住宅を気に入っていました。カッペによってデザインされた住宅は、全体の開発における革新的なデザインの基準となる、至高の作品になるだろうとフリーマンは考えました。
フリーマンが連絡をとった2017年の時点で、カッペは80代後半でしたが、カッペが未だに精力的に働いており、2011年に父のパートナーとして戻った息子のフィン・カッペ(Finn Kappe)と共に新たな仕事を引き受けていることを知り、フリーマンは喜びました。
1965年にロサンゼルスのパシフィック・パリセーズ地区の急な渓谷にみずから設計したカッペの画期的な住宅兼事務所を訪れたフリーマンは、カッペの建築に対するエネルギーと熱意に感銘を受けました。フリーマンはカッペを、多数の階層からなる住宅の「階段を素早く上り下りしていた」と回想しています。型破りであったカッペは一度も手すりを設置したことがなく、それが住宅をさらにドラマチックなものにしていました。
このようにして、フリーマンは依頼すべき建築家を見つけたのです。