東日本大震災からの自宅再建【Part 1】海辺の土地にカフェ付き住宅を新築
津波で暮らしていた家を失っても、やはり海の近くで暮らしたい――そう考え、場所を変えて新築でカフェ付き住宅を建て新生活をスタートさせた家族を取材しました。
Miki Anzai
2016年6月9日
日常生活は昨日とほぼ同じように今日、明日と続いていくもの――そんなふうに思って暮らしていた私たちの多くに、2011年3月11日の東日本大震災は地震国日本の現実をつきつけた。普段の暮らしが突然、それも大規模な範囲にわたって根こそぎ奪われることもあるという厳しい現実。未曾有の震災により、東北地方を中心に多数の家が地震に倒れ、津波に流された。だが、家が壊れたり失われたりした後も、生き残った人の生活は続いていく。
さまざまな理由から被災地を離れて新生活を始めた人もいれば、同じ場所にもう一度家を建てたり、壊れた家を直して暮らし続けることを選択した人もいる。今回、Houzzでは、2回にわけて、元の場所に暮らし続けることを選択した3家族を取材し、「震災から家と暮らしを再建する」選択をレポートする。【Part 1】となるこの記事では、津波で家が失われた土地に再度新築して新生活を開始した家を、明日公開する【Part 2】では、地震によりダメージを受けた伝統住宅を修理し再建して住み続けている2つの家をご紹介する。
青田雅明さん・節子さん夫妻が暮らすのは、宮城県南部の沿岸に位置する亘理町(わたりちょう)だ。今から5年と2ヶ月前、東に太平洋を一望できる、この静かでのどかな町を、三陸沖を震源に発生した大地震に続き、高さ7mを超える津波が襲った。2,500棟の家が全壊し、300人以上の町民が命を落とした。震災後、町は復興作業を急ピッチで進め、予定していた全ての災害公営住宅(計477戸)は完成した。個人でも、青田夫妻のように、積極的に住宅再建支援を受けて自宅を再建する人も出てきている。もう海を見るのもつらいかと思いきや、以前住んでいた区域よりも、さらに海に近い荒浜地区に土地を購入し、店舗付き戸建て住宅を新築した青田夫妻。おふたりに自宅再建までの道のりを聞いた。
さまざまな理由から被災地を離れて新生活を始めた人もいれば、同じ場所にもう一度家を建てたり、壊れた家を直して暮らし続けることを選択した人もいる。今回、Houzzでは、2回にわけて、元の場所に暮らし続けることを選択した3家族を取材し、「震災から家と暮らしを再建する」選択をレポートする。【Part 1】となるこの記事では、津波で家が失われた土地に再度新築して新生活を開始した家を、明日公開する【Part 2】では、地震によりダメージを受けた伝統住宅を修理し再建して住み続けている2つの家をご紹介する。
青田雅明さん・節子さん夫妻が暮らすのは、宮城県南部の沿岸に位置する亘理町(わたりちょう)だ。今から5年と2ヶ月前、東に太平洋を一望できる、この静かでのどかな町を、三陸沖を震源に発生した大地震に続き、高さ7mを超える津波が襲った。2,500棟の家が全壊し、300人以上の町民が命を落とした。震災後、町は復興作業を急ピッチで進め、予定していた全ての災害公営住宅(計477戸)は完成した。個人でも、青田夫妻のように、積極的に住宅再建支援を受けて自宅を再建する人も出てきている。もう海を見るのもつらいかと思いきや、以前住んでいた区域よりも、さらに海に近い荒浜地区に土地を購入し、店舗付き戸建て住宅を新築した青田夫妻。おふたりに自宅再建までの道のりを聞いた。
津波によって家は全壊した
福島県境から北に20キロメートル、阿武隈川河口の南側に、「鳥の海」と呼ばれる湾がある。忘れもしない3月11日。湾岸の松林から、ひたひたと迫り来る津波の流れが次第に強くなり、轟音とともに、湾に面した荒浜漁港と、その周辺に密集する住宅をのみ込んでいく姿を、青田節子さんは、あわてて避難した丘の上に建つ三女の勤め先の介護施設から、ただ茫然と眺めていたという。ご主人の青田雅明さんは、仕事場のある仙台にいた。
あっという間に、漁港そばに立っていた次女の家は津波にさらわれ、長女の家も青田さんの家も全壊した。漁師の長女の夫は、既に漁を終えて山側で会合中、小さい子どもたちも学校にいて助かった。他の女性たちも津波警報とともに車で急いで避難した。結局、青田ファミリーの全員が顔を合わすことができたのは、震災後およそ2週間たってからだったが、漁港そばに住んでいた雅明さんの母親を含め、奇跡的に全員が無事だった。その後、子どものいる長女と次女一家は、それぞれ別の仮設所に入居したが、青田夫妻は、知人が所有していた山側の2軒の空き家を借り受け、1棟に母と雅明さんの兄家族、もう1棟は自分たちと当時独身だった三女で仮住いをした。
写真は、荒浜地区に新築した青田邸周辺の現在の様子。津波の爪痕が今も残る。
福島県境から北に20キロメートル、阿武隈川河口の南側に、「鳥の海」と呼ばれる湾がある。忘れもしない3月11日。湾岸の松林から、ひたひたと迫り来る津波の流れが次第に強くなり、轟音とともに、湾に面した荒浜漁港と、その周辺に密集する住宅をのみ込んでいく姿を、青田節子さんは、あわてて避難した丘の上に建つ三女の勤め先の介護施設から、ただ茫然と眺めていたという。ご主人の青田雅明さんは、仕事場のある仙台にいた。
あっという間に、漁港そばに立っていた次女の家は津波にさらわれ、長女の家も青田さんの家も全壊した。漁師の長女の夫は、既に漁を終えて山側で会合中、小さい子どもたちも学校にいて助かった。他の女性たちも津波警報とともに車で急いで避難した。結局、青田ファミリーの全員が顔を合わすことができたのは、震災後およそ2週間たってからだったが、漁港そばに住んでいた雅明さんの母親を含め、奇跡的に全員が無事だった。その後、子どものいる長女と次女一家は、それぞれ別の仮設所に入居したが、青田夫妻は、知人が所有していた山側の2軒の空き家を借り受け、1棟に母と雅明さんの兄家族、もう1棟は自分たちと当時独身だった三女で仮住いをした。
写真は、荒浜地区に新築した青田邸周辺の現在の様子。津波の爪痕が今も残る。
新しい家にはカフェをつくりたい
仮住まいの家を提供してくれた知人が、被災した家屋の再建で実績のある建築家藤田渉さんを紹介してくれた。藤田さんは、予算に限りのある被災者たちを対象に、「必要最小限のスペースで、素材感のあるローコスト住宅」を実現している。青田邸も、当初は、元の居住地で新築するプランを立てていたが、全壊した家の地盤が、川の埋め立て地だったことがわかり、補強工事にかなりのコストがかかるため断念した。
さまざまな土地や建物を見てまわった結果、ひと目ぼれしたのが、なんと以前より2kmも太平洋に近く、「鳥の海」から200mだけ内陸に入った荒浜地区だった。沿岸にそって数百メートル先の北側も南側も、災害危険区域に指定され、新築・建替えが出来ない地域だ。「この土地を見た瞬間、ここで海を見ながら、地元の人が集えるカフェを開きたい」との衝動に駆られたと節子さん。
荒浜地区の、ほぼ全域の家が津波で流出したため、各種被災住宅再建の補助金が給付される。しかし、例えば写真の建物基礎嵩上げには約300万円かかっているが、助成金でカバーできるのは、そのおよそ1/3である。
仮住まいの家を提供してくれた知人が、被災した家屋の再建で実績のある建築家藤田渉さんを紹介してくれた。藤田さんは、予算に限りのある被災者たちを対象に、「必要最小限のスペースで、素材感のあるローコスト住宅」を実現している。青田邸も、当初は、元の居住地で新築するプランを立てていたが、全壊した家の地盤が、川の埋め立て地だったことがわかり、補強工事にかなりのコストがかかるため断念した。
さまざまな土地や建物を見てまわった結果、ひと目ぼれしたのが、なんと以前より2kmも太平洋に近く、「鳥の海」から200mだけ内陸に入った荒浜地区だった。沿岸にそって数百メートル先の北側も南側も、災害危険区域に指定され、新築・建替えが出来ない地域だ。「この土地を見た瞬間、ここで海を見ながら、地元の人が集えるカフェを開きたい」との衝動に駆られたと節子さん。
荒浜地区の、ほぼ全域の家が津波で流出したため、各種被災住宅再建の補助金が給付される。しかし、例えば写真の建物基礎嵩上げには約300万円かかっているが、助成金でカバーできるのは、そのおよそ1/3である。
こうして、震災から3年を経て完成したのが、カフェ付き住宅《鳥の海の家》である。共働きの青田夫妻は、数年後に定年を控えている。念願のカフェは、現在、週末の昼から夕方までの時間帯で営業している。地元の人たちが、笑って集いながら、仲良く夢を語りあえるようにとの思いから、店名は「笑夢」(えむ)と名づけた。
《鳥の海の家》の概要
所在地:宮城県亘理町
設計:藤田渉建築設計事務所
規模:木造2階建共用住宅。延床面積120平方メートル
竣工:2014年
《鳥の海の家》の写真をもっと見る
《鳥の海の家》の概要
所在地:宮城県亘理町
設計:藤田渉建築設計事務所
規模:木造2階建共用住宅。延床面積120平方メートル
竣工:2014年
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カフェの入口を開けると、すぐ玄関があり、靴を脱いであがると、まるで一般家庭にでも訪れたかのような、アットホームな空間が広がる。
外壁には、自然な味わいのある焼杉板を使用している。杉の表面を炭化させることで耐候性・耐久性が増す効果もある。しかし、防火処理は施していない。色がきつくなるのと、コストアップになるからだ。そのかわりに建築面積を減らし、延焼のおそれのある部分を避けた。
外壁には、自然な味わいのある焼杉板を使用している。杉の表面を炭化させることで耐候性・耐久性が増す効果もある。しかし、防火処理は施していない。色がきつくなるのと、コストアップになるからだ。そのかわりに建築面積を減らし、延焼のおそれのある部分を避けた。
取材日に、カフェに訪れていた女性客のひとりは、津波で両親を亡くしていた。写真右の壁に掛けてある人形は彼女の手作りである。
手前がリビング仕立てのカフェスペースで、その奥が掘り炬燵を設けた住居部分である。2つの部屋を仕切る3枚の引き戸は、テレビが掛けてある壁に収納できる。この収納部分を(写真右の)壁から離すことで、壁との間に、ディスプレイ空間を誕生させた。
手前がリビング仕立てのカフェスペースで、その奥が掘り炬燵を設けた住居部分である。2つの部屋を仕切る3枚の引き戸は、テレビが掛けてある壁に収納できる。この収納部分を(写真右の)壁から離すことで、壁との間に、ディスプレイ空間を誕生させた。
手作りといえば、トイレを含む各部屋には、着物の帯や布を利用した掛け軸や、干支の猿の人形、コースターや箸置きなど、雅明さんの母チヨノさんが心を込めて作った品々が、いたるところに飾られている。
長年近くの荒浜海水浴場で「海の家」を営んでいたチヨノさんは、「地道に暮らしていけば、絶対なんとかなる」と、青田夫妻を応援してくれている。チヨノさんと同居する長男(雅明さんの兄で漁師)夫妻も、鮮魚を届けてくれたり、何かとサポートしてくれる有り難い存在だ。
住宅再建のため、青田夫妻は、金融機関からの借入金の利子補給、嵩上げ工事などの実費補助、移転費などの補助は受けているが、「融資期間18年の住宅ローンを抱えながらの、初めての店舗営業には不安はあった」と当時の心境を吐露する節子さん。現在、地元の食材を使ったランチを1,000円で提供しているが、まだお世辞にも採算が取れているとはいえない。しかし、「みんなの笑顔を見られるのが(金銭的利益を得るよりも)嬉しい」という。
長年近くの荒浜海水浴場で「海の家」を営んでいたチヨノさんは、「地道に暮らしていけば、絶対なんとかなる」と、青田夫妻を応援してくれている。チヨノさんと同居する長男(雅明さんの兄で漁師)夫妻も、鮮魚を届けてくれたり、何かとサポートしてくれる有り難い存在だ。
住宅再建のため、青田夫妻は、金融機関からの借入金の利子補給、嵩上げ工事などの実費補助、移転費などの補助は受けているが、「融資期間18年の住宅ローンを抱えながらの、初めての店舗営業には不安はあった」と当時の心境を吐露する節子さん。現在、地元の食材を使ったランチを1,000円で提供しているが、まだお世辞にも採算が取れているとはいえない。しかし、「みんなの笑顔を見られるのが(金銭的利益を得るよりも)嬉しい」という。
この地を愛する人達が集う場に
木造2階建ての家屋は、2014年10月に竣工し、カフェは2015年5月にオープンした。町の復興作業が優先されたため、個人住宅向けの資材や、大工の調達が困難だったが、ほぼ1年で完成した。
オープン1周年を記念して、雅明さんの同級生一家がお祝いの花(写真)をプレゼントしてくれた。「ここに戻ってきた人たちは、本当にこの土地を愛していて、みんなが家族のようなもの」と語る雅明さん。「100人いれば100人が、津波の大被害に遭ったこの場所に家を建てることに反対するだろうが、ここで仲間と集いながら、復興していく地域の活性化の手助けをしていきたい」と話す雅明さん。
写真手前の青田夫妻と、建築家の藤田さん。
木造2階建ての家屋は、2014年10月に竣工し、カフェは2015年5月にオープンした。町の復興作業が優先されたため、個人住宅向けの資材や、大工の調達が困難だったが、ほぼ1年で完成した。
オープン1周年を記念して、雅明さんの同級生一家がお祝いの花(写真)をプレゼントしてくれた。「ここに戻ってきた人たちは、本当にこの土地を愛していて、みんなが家族のようなもの」と語る雅明さん。「100人いれば100人が、津波の大被害に遭ったこの場所に家を建てることに反対するだろうが、ここで仲間と集いながら、復興していく地域の活性化の手助けをしていきたい」と話す雅明さん。
写真手前の青田夫妻と、建築家の藤田さん。
掘り炬燵のあるリビングルームの壁に設えた大切な神棚。カフェに訪れる顧客たちも手を合わせて行くという。
藤田さんは、「基本的に平屋で、引き戸を利用することで、家をぐるっと回れるような動線を意識した家」を得意としている。青田邸も「平屋風」に設計した。1階部分で生活と店の営業を全て完結できる。また、カフェ・リビング・トイレ・浴室などの水回りへの表の動線と、キッチンから水回りへの裏の動線がアクセスしやすく、それぞれをつなぐことにより、回遊性を持たせたプランになっている。2階は、結婚して地方にいる三女が里帰りした際に泊まれる予備の寝室を2部屋だけ用意し、普段は使用していない。
以前住んでいた家屋は、震災で全壊し、残されていたものは、この庭の岩石2つだけだった。「これしか残らなかったが、3人の娘が子供の頃にのぼって遊んでいた、思い出がいっぱいの石」(節子さん)だけに、作庭はこの岩石をメインにおこなった。漁師になる以前、造園の仕事を手伝っていたことのある長女の夫が、新築祝いに植えてくれた木々が、少しずつ成長していく姿を見るのが嬉しいという。
唯一の誤算は、土地購入時には見えていた海が、リビングから見えなくなってしまったことだという。写真奥に見える防潮堤が、全長3.9kmの「鳥の海」湾沿いに建設されてしまったからだ。以前は、路面からの高さが60cmだったが、現在は2mもあり、構造上、上にのぼって海を眺めることもできないと夫妻は嘆く。
唯一の誤算は、土地購入時には見えていた海が、リビングから見えなくなってしまったことだという。写真奥に見える防潮堤が、全長3.9kmの「鳥の海」湾沿いに建設されてしまったからだ。以前は、路面からの高さが60cmだったが、現在は2mもあり、構造上、上にのぼって海を眺めることもできないと夫妻は嘆く。
町の復興も進む
亘理町では、地震発生3分後の午後2時49分に大津波警報が発令され、その約1時間後の3時52分頃に津波が到達した。津波の猛威から車やトラックは浸水し、橋上にも車が打ち上げられ、道路はめくれ、ひび割れた。防潮林も根こそぎなぎ倒され、「鳥の海」周辺の多くの家屋は流された。5階建ての温泉施設「わたり温泉鳥の海」は、どうにか倒壊を免れ、2014年10月から最上階の温泉だけ再開している。約90隻あった荒浜漁港の船も全滅したが、漁獲高は、震災前の水準まで回復している。亘理町の基幹産業のひとつである農業も、2013年9月に東北最大級となる「亘理町いちご団地」が完成し、町の基盤整備は着実に進んでいる。
画像提供:亘理町、地図上の朱で囲んだあたりに青田邸がある。
亘理町では、地震発生3分後の午後2時49分に大津波警報が発令され、その約1時間後の3時52分頃に津波が到達した。津波の猛威から車やトラックは浸水し、橋上にも車が打ち上げられ、道路はめくれ、ひび割れた。防潮林も根こそぎなぎ倒され、「鳥の海」周辺の多くの家屋は流された。5階建ての温泉施設「わたり温泉鳥の海」は、どうにか倒壊を免れ、2014年10月から最上階の温泉だけ再開している。約90隻あった荒浜漁港の船も全滅したが、漁獲高は、震災前の水準まで回復している。亘理町の基幹産業のひとつである農業も、2013年9月に東北最大級となる「亘理町いちご団地」が完成し、町の基盤整備は着実に進んでいる。
画像提供:亘理町、地図上の朱で囲んだあたりに青田邸がある。
青田邸からほど近い場所には、多数の町民の要望により、荒浜地区まちづくり協議会が建立した約2メートルの高さの慰霊碑がある。あの日、この塔の3倍以上の高さの津波が、この静かな町を襲ったとは、まさに想像を絶する。
自然災害だけではなく、東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生したため、不本意ながら町を出て行った人もいる。しかし、青田夫妻のように、震災前に暮らしていた土地に戻り、「結」の心で地域で助け合いながら暮らす人たちもいる。震災の記録・伝承と、防災教育を徹底させ、あの悲劇が二度と繰り返されることがないよう心から願ってやまない。
教えてHouzz
ご感想をお聞かせください。
この記事はPart 2に続きます
東日本大震災からの自宅再建【Part 2】よみがえる古民家
自然災害だけではなく、東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生したため、不本意ながら町を出て行った人もいる。しかし、青田夫妻のように、震災前に暮らしていた土地に戻り、「結」の心で地域で助け合いながら暮らす人たちもいる。震災の記録・伝承と、防災教育を徹底させ、あの悲劇が二度と繰り返されることがないよう心から願ってやまない。
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引き続き再建プロジェクトのご紹介を期待致します。
http://www.houzz.jp/projects/925048
こちらは当事務所で設計監理しました、同じく再建住宅です。
条件は異なり、被災自治体から市外へ移転、自力再建を決断されました。
申し込んだ土地が三角の変形地で難易度の高い敷地条件でした。
再建住宅という趣旨で掲載しておりませんが、よろしければご覧ください。
また、現在、別の被災者の方の再建プロジェクトに携わらせていただいております。こちらも道のりが長く、様々な許認可手続きが必要な土地で、完成は来年後半の予定です。仮設住宅からまだ出れない親類もおり、とても複雑に感じます。
なにかお力になれれば幸いです。
ご不明な点などございましたら、お気軽に事務所までご連絡いただければ幸いです。
よろしくお願い致します。
ご丁寧にコメント有り難うございます。今後も震災特集を継続してご紹介したいと思っております。被災された方々が、ご自宅を再建されるにあたり、少しでも参考になる記事を書きたいと思っております。またあらためてご連絡いたしますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
こちらこそ有難うございました。
宜しくお願い申し上げます。