コメント
世界遺産に登録された、ル・コルビュジエのモダニズム住宅建築
20世紀三大建築家に数えられ、このたび作品群が世界遺産にも登録されることになったコルビュジエ。日本では国立西洋美術館の設計で知られ、建築から都市計画に至るまで、建築界に絶大な影響を与えたコルビュジエですが、住宅建築の発展にも決定的な影響を与えました。
John Hill
2016年7月18日
ル・コルビュジエは、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと並んで、20世紀における三大重要建築家の1人とされている。コルビュジエの建築や都市計画は、建築家たちはもちろん、建設・都市計画の官僚たちにまで影響を与え、彼らの多くがコルビュジエの理念を公共住宅などの計画に取り入れると、さまざまな議論が巻き起こった。
この記事では、2013年6月15日から9月23日までニューヨーク近代美術館で開催された『ル・コルビュジエ:モダン・ランドスケープのアトラス(地図帳)』と題した展覧会を通して、コルビュジエの住宅建築を考察していきたい。この展覧会では、コルビュジエが手がけたさまざまなランドスケープを軸として、キュレーターのジャン=ルイ・コーエンが彼の功績を再検討した。
この記事では、2013年6月15日から9月23日までニューヨーク近代美術館で開催された『ル・コルビュジエ:モダン・ランドスケープのアトラス(地図帳)』と題した展覧会を通して、コルビュジエの住宅建築を考察していきたい。この展覧会では、コルビュジエが手がけたさまざまなランドスケープを軸として、キュレーターのジャン=ルイ・コーエンが彼の功績を再検討した。
コルビュジエは1887年、スイスのラ・ショー=ド=フォンに生まれた。本名はシャルル=エドゥアルド・ジャンヌレであり、「ル・コルビュジエ」(カラスという意味)は後に自分でつけたニックネームである。ドイツ、ギリシャ、イタリア、トルコを旅したのち、1922年にコルビュジエはパリにアトリエを構えた。1965年に亡くなるまで、50作以上の建築を設計し、30作以上の著作を残し、さらに都市計画も手がけた。
コルビュジエは、その建築、理念、野心から影響力を発揮したが、同時に重要なのは、彼の建築が1920〜30年代のインターナショナル・スタイルのモダニズムから始まって、後にコンクリートを駆使した表現主義的作風に進化していったという点である。この記事では、20世紀において最も大きな影響力を発揮した建築家の1人であるコルビュジエの建築を、住宅作品を通して見ていきたい。
コルビュジエの名を聞いてすぐに浮かぶ住宅作品は、写真の《サヴォワ邸》だろう。1931年にパリの郊外に完成した作品だ。彼の唱えた「近代建築の5原則」――ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面(ファサード)――を体現した、前例のない作品である。だが、彼はどのようにしてこのデザインにたどりついたのだろうか? そして、その後30年間にわたり、大きく作風を変えていくことになった原因や背景は何だったのだろうか?
こちらもおすすめ
絶対に知っておきたいモダニズムの傑作住宅:サヴォア邸
コルビュジエは、その建築、理念、野心から影響力を発揮したが、同時に重要なのは、彼の建築が1920〜30年代のインターナショナル・スタイルのモダニズムから始まって、後にコンクリートを駆使した表現主義的作風に進化していったという点である。この記事では、20世紀において最も大きな影響力を発揮した建築家の1人であるコルビュジエの建築を、住宅作品を通して見ていきたい。
コルビュジエの名を聞いてすぐに浮かぶ住宅作品は、写真の《サヴォワ邸》だろう。1931年にパリの郊外に完成した作品だ。彼の唱えた「近代建築の5原則」――ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面(ファサード)――を体現した、前例のない作品である。だが、彼はどのようにしてこのデザインにたどりついたのだろうか? そして、その後30年間にわたり、大きく作風を変えていくことになった原因や背景は何だったのだろうか?
こちらもおすすめ
絶対に知っておきたいモダニズムの傑作住宅:サヴォア邸
コルビュジエ(写真中央)は、彼以前、そして以降の建築家の多くと同じく、初期には師や上司の影響を大きく受けた。ラ・ショー=ド=フォン時代にはシャルル・レプラトニエの、パリではオーギュスト・ペレの、そしてベルリンではペーター・ベーレンスの影響を受けたのだった。
とくに、ペレとベーレンスの影響は大きかった。表現主義的なコンクリート作品はペレの影響、詩的な機能主義はベーレンスの影響だ。もちろん、コルビュジエの作品は3人の作風の集積というわけではない。だが、これらの師を選んだことが、彼の建築が目指す方向を決定づけたのだった。
とくに、ペレとベーレンスの影響は大きかった。表現主義的なコンクリート作品はペレの影響、詩的な機能主義はベーレンスの影響だ。もちろん、コルビュジエの作品は3人の作風の集積というわけではない。だが、これらの師を選んだことが、彼の建築が目指す方向を決定づけたのだった。
ドイツで1年間、独学の時期を過ごしたのち、1912年にコルビュジエは故郷のラ・ショー=ド=フォンに戻り、最初の個人作品を手がけることになる。依頼主は、両親だった。
《ジャンヌレ=ペレ邸》(別名メゾン・ブランシュ)は、サヴォア邸に近い特徴がある。だが、彼の建築の発展における役割について、あまり注目されることのない作品であり、コルビュジエ自身の著作においても、その他の資料においても軽視されている。
《ジャンヌレ=ペレ邸》(別名メゾン・ブランシュ)は、サヴォア邸に近い特徴がある。だが、彼の建築の発展における役割について、あまり注目されることのない作品であり、コルビュジエ自身の著作においても、その他の資料においても軽視されている。
伝統建築を脱した新古典主義的デザインは、当時、この地域ではすでに広く見られるものだったが、その後10年間にわたって彼の建築の根幹を占めることになる、モダン建築らしいシンプルさが際立っている。
特に、大きな開口は、5原則の水平連続窓を予感させるものだ。この家の他の開口はほとんどが小さな窓だが、壁構造ではなく鉄筋コンクリート製の床と柱でつくるドミノシステムを考案したことで、窓を自由な位置にとることができるようになったのだ。
特に、大きな開口は、5原則の水平連続窓を予感させるものだ。この家の他の開口はほとんどが小さな窓だが、壁構造ではなく鉄筋コンクリート製の床と柱でつくるドミノシステムを考案したことで、窓を自由な位置にとることができるようになったのだ。
同じくラ・ショー=ド=フォンで手がけた2つめの作品、《シュウォブ邸》は、オリエンタル趣味が見られる折衷主義的な作品だが、こちらも重要な作品とはみなされていない。しかし、ボリューム、面、窓を自由にとらえた作品であり、彼が自分らしい建築を見出す過程にある作品だ。コルビュジエ財団は、「パリ以前の時代において最も完成度の高い作品」としている。
パリに移ったコルビュジエは、いとこでその後長年にわたる協力者となるピエール・ジャンヌレとともに、アトリエを設立し、ついにコルビュジエらしい最初の作品を実現する。それが、《ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸》(1923-25)である。ラ・ロッシュ邸とジャンヌレ邸の2つの住宅とラ・ロッシュのギャラリーで構成される作品だ。
この2つの家の設計において見られる飛躍は、コルビュジエが『レスプリ・ヌーヴォー』紙に寄せた記事(ちなみに、1930年にフランスの市民権をとった際、コルビュジエは自分の職業を「文筆家」と申請していた。)から生まれたものであり、5原則を実現している。
この2つの家の設計において見られる飛躍は、コルビュジエが『レスプリ・ヌーヴォー』紙に寄せた記事(ちなみに、1930年にフランスの市民権をとった際、コルビュジエは自分の職業を「文筆家」と申請していた。)から生まれたものであり、5原則を実現している。
ゆるやかにカーブするボリューム(1つ前の写真や、上の写真の窓の外に見えている)にはラ・ロッシュのギャラリーがある。5原則のうち水平連続窓や自由な立面は、住宅部分に見ることができる。後にコルビュジエは、この作品を、初期の4つの代表作の1つと呼んだ(そのうち最後の作品がサヴォア邸だ)。
これらの初期作品を通してコルビュジエは、「内側には快適な空間をつくり、それが外に向かってさまざまな形を見せる」という自分の作風を注意深く進化させていった。
これらの初期作品を通してコルビュジエは、「内側には快適な空間をつくり、それが外に向かってさまざまな形を見せる」という自分の作風を注意深く進化させていった。
写真は展覧会で展示された実物大のヴィル=ダヴレーの《チャーチ邸のパヴィリオン》(1927〜29年)。新古典主義の住宅を非常にモダンにリノベーションした作品だ。窓によってランドスケープをいかに美しい絵のように切り取るかを考えぬいた設計であることがわかる。
つまり、パリ郊外のサヴォア邸のプロジェクトを引き受けるころには、ランドスケープとの関わりを意識していたわけだが、適度な木立がありつつ開かれた敷地に恵まれたのは、サヴォア邸がほぼ初めてのことだった。居住空間を2階に設置し、1階は外側は自動車用スペース、中央はガラスウォールで囲まれた空間とした。
居住空間を2階以上に設置し、水平連続窓を使うことで、周囲の木立を見渡すパノラマの景色が広がる空間が生まれた。ヴィル=ダヴレーの《チャーチ邸パヴィリオン》と同じく、窓ガラス越しに見えるランドスケープは、注意深く切り取られた絵画のような趣を帯びている。
水平連続窓よりもチャーチ邸をより強く思いおこさせるのは、3階のルーフトップの壁の開口部だ。この写真を見れば、この開口が木立よりも高い位置にあり、コルビュジエが遠景を注意深くフレーミングしていることがわかる。これはコルビュジエがすでに繰り返し使ってきた手法だが、《サヴォア邸》においてその頂点を極め、家とランドスケープの関係を通して「建築的プロムナード」が形成されている。
《サヴォア邸》は、当時も今もコルビュジエの初期の四大重要作品の最後にして最重要作だが、コルビュジエは、彼以前、以降の建築家の誰よりも、住宅プロジェクトだけでなく都市計画にも広く深く関わった建築家である。多くのプロジェクトにおいて、建築と都市計画は、統合された理念の上に考案されていた。
マルセイユにある集合住宅《ユニテ・ダビタシオン》(1947〜52年)は、建築のみのプロジェクトだが、コルビュジエの社会的目標を体現した作品だ。377戸の集合住宅に加え、ホテルや「空中商店街」を擁する大規模なコンクリートビルは、現在も使用されている。多様な設計のメゾネットの住戸が立体的に配置されており、ホテルや郵便局などの共用施設が点在し、巧みな動線によってつながれている。
マルセイユにある集合住宅《ユニテ・ダビタシオン》(1947〜52年)は、建築のみのプロジェクトだが、コルビュジエの社会的目標を体現した作品だ。377戸の集合住宅に加え、ホテルや「空中商店街」を擁する大規模なコンクリートビルは、現在も使用されている。多様な設計のメゾネットの住戸が立体的に配置されており、ホテルや郵便局などの共用施設が点在し、巧みな動線によってつながれている。
メゾネットにすることで自然通風が実現している。全戸において、リビングまたはベッドルームから海が見える設計となっている。写真は、展覧会において展示される実物大のインテリア模型。海を見渡せる室内のようすがわかる。
第二次世界大戦が終結し、1950年代になると、コルビュジエも多くの建築家と同様に、充実期を迎える。しかし、このころに手がけた建築は、1920年代に彼を有名にしたシンプルを極めたデザインとは一線を画している。
コルビュジエ建築の初期のポイントが近代建築の5原則であるならば、充実期のポイントは人体のサイズと黄金比を元に編み出した「モデュロール」だろう。
だが、写真の作品、ジャウル邸において目を引くのは、1920年代や30年代のコルビュジエが忌諱したはずの、レンガ、コンクリート、木材のあからさまな素材感である。ジャウル邸には、後にフランス内外の大規模プロジェクトにおいて実現される要素が散見される。
コルビュジエ建築の初期のポイントが近代建築の5原則であるならば、充実期のポイントは人体のサイズと黄金比を元に編み出した「モデュロール」だろう。
だが、写真の作品、ジャウル邸において目を引くのは、1920年代や30年代のコルビュジエが忌諱したはずの、レンガ、コンクリート、木材のあからさまな素材感である。ジャウル邸には、後にフランス内外の大規模プロジェクトにおいて実現される要素が散見される。
だが、この時期において最も興味深いのは、妻のために南仏に建てたプロジェクト、《カップマルタンの小屋》だ。3.6メートル四方の質素なワンルームの空間だが、この小屋には建築の未来がつまっていた。
こちらもおすすめ
名作住宅:コルビュジエに消されかけた女性建築家、グレイの傑作《E1027》
こちらもおすすめ
名作住宅:コルビュジエに消されかけた女性建築家、グレイの傑作《E1027》
《カップマルタンの小屋》では、コルビュジエは家具を完全に建築の一部として扱っている。「この空間では、家具から空間を構成した」と本人も語っていた。
展覧会では、小屋の4方の壁の1つをとりはずした実物大模型を展示。モデュロールシステムにしたがって、1日中快適に仕事ができるように設計された合板による内装のゾーニングや、小さな窓が風景をみごとに切り取っているようすがわかる。窓から見えるのは、コルビュジエが1965年8月に溺死することになる海である。
こちらもおすすめ
絶対に知っておきたいモダニズムの傑作住宅10選
絶対に知っておきたい名作モダン住宅:ファンズワース邸
名作住宅:バウハウス初の実験住宅《ハウス・アム・ホルン》
コメント募集中
いかがでしたか? ご感想をおきかせください。
展覧会では、小屋の4方の壁の1つをとりはずした実物大模型を展示。モデュロールシステムにしたがって、1日中快適に仕事ができるように設計された合板による内装のゾーニングや、小さな窓が風景をみごとに切り取っているようすがわかる。窓から見えるのは、コルビュジエが1965年8月に溺死することになる海である。
こちらもおすすめ
絶対に知っておきたいモダニズムの傑作住宅10選
絶対に知っておきたい名作モダン住宅:ファンズワース邸
名作住宅:バウハウス初の実験住宅《ハウス・アム・ホルン》
コメント募集中
いかがでしたか? ご感想をおきかせください。
おすすめの記事
テキスタイル・ファブリック
現代に生きる、ウィリアム・モリスのテキスタイルデザイン
アーツ&クラフツ運動に影響を与えた近代デザインの父、ウィリアム・モリス。多彩なデザイン活動の中で最もよく知られるのはそのテキスタイル。美しい植物文様が現代のインテリアにも盛んに取り入れられています。
続きを読む
テキスタイル・ファブリック
ウィリアム・モリスのものづくり精神とテキスタイルデザイン
イギリスの文化芸術、特に室内装飾の分野で大きな功績を残したモリスのものづくりについて、テキスタイルデザインを中心にご紹介します。
続きを読む
家具
一時製造中止していた北欧ミッドセンチュリーのスツールを復刻するまで
オーストラリアの伝統ある家具ブランドが、半世紀以上前に一世を風靡したバースツールを再製造。その過程をご覧にいれます。
続きを読む
名作デザイン
いつか買いたい! 名作家具のウィッシュリスト
よいデザインには、生活の風景を一変させる力があります。いつかは手に入れたい名作家具の定番をアメリカのHouzzの人気ライターがウィッシュリストにまとめました。ぜひあなたも、好きなアイテムを見つけて、自分のアイデアブックに保存しましょう。
続きを読む
建築
名作住宅:リチャード・ノイトラの自邸
今年で90周年を迎える、米国西海岸で活躍したオーストリア人建築家の自邸。彼のモダニズム・デザインは、今なお私たちにインスピレーションを与えてくれます。
続きを読む
家具
北欧・デンマークの家具から考える「名作デザイン」とは?
数多くの名作家具を生み出してきたデンマーク。「デザイン・ミュージアム・デンマーク」の館長と一緒に、デンマークの名作家具が持つ普遍性について考えてみましょう。
続きを読む
建築
フランク・ロイド・ライトが日本の住宅建築に与えた大きな影響とは?【Part 1】
20世紀初頭に帝国ホテルの設計のために来日し、日本の若き建築家たちに多大な影響を与えたフランク・ロイド・ライト。大型の公共建築にとどまらず、住宅デザインにおいても、現在に至るまで、ライトの影響は力強く息づいています。
続きを読む
建築
日本の住宅建築に今も息づくフランク・ロイド・ライトの影響とは? 【Part 2】
日本に一時滞在し、日本の若き建築家たちにライトが与えた影響は、彼が日本を去ったあとも、「アプレンティス」と呼ばれた弟子たちから、その弟子、そのまた弟子たちへと、脈々と受け継がれ、今も日本の住宅建築のなかに息づいています。
続きを読む