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5分でわかるデザイン様式:フランス、イギリスのバロック
イタリアで始まったバロック様式は、17世紀後半になると中心が周辺国に移ります。豪華絢爛なフランスのバロックと、落ち着いたイギリスのバロック。対照的な2つの国にスポットを当て、後期バロック様式について解説します。
西谷典子|Noriko Nishiya
2016年9月20日
社会的な背景から、大きく3つの時期に分けられるバロック様式。その3つとは、イタリアで大聖堂の改築や建築が進められた前期(1600~1625年頃)、デザインが豪華になっていく中期(1625~1675年頃)、舞台がイタリアからフランスに移る後期(1675~1725年頃)です。前・中期のバロック様式はカトリック教会のプロパガンダのために、後期は王の権力の誇示のために表現された様式といえるものでした。「太陽王」と呼ばれ、栄華を極めたルイ14世の時代になると、フランスがヨーロッパの中心となります。その権力を見せつけるために、ルイ14世はパリ郊外にバロック様式の最高傑作のひとつとなるベルサイユ宮殿を建て、ここをファッション、マナー、建築や家具など、デザインや文化のトレンドの発信地としたのです。
ルイ14世の栄華と歩みを同じくして
後期バロック様式は、ルイ14世の時代にフランスで全盛期を迎えます。ベルサイユ宮殿が発信した豪華絢爛なスタイルは世界中で流行し、あくまでメイド・イン・フランスにこだわったルイ14世の思惑は大成功。海外から家具調度品やテキスタイルなどの注文が殺到するようになるのです。それはどんなふうに生まれ、どんな特徴があり、どんなふうに影響力を増していったのでしょうか。
後期バロック様式は、ルイ14世の時代にフランスで全盛期を迎えます。ベルサイユ宮殿が発信した豪華絢爛なスタイルは世界中で流行し、あくまでメイド・イン・フランスにこだわったルイ14世の思惑は大成功。海外から家具調度品やテキスタイルなどの注文が殺到するようになるのです。それはどんなふうに生まれ、どんな特徴があり、どんなふうに影響力を増していったのでしょうか。
デザインや文化のトレンド発信地、ベルサイユ宮殿
ルイ14世の若い頃はまだ貴族が権力を握っている時代だったため、フランスという大きな国の王として君臨するためには、その貴族を王の支配のもとにひとつに束ねることが必要でした。そこでルイ14世は、パリ郊外にあった狩猟用の小さな館を改築し、そこを彼の統治する政府や貴族も一緒に住めるような大きな宮殿にすることを計画します。
そして完成したのがベルサイユ宮殿ですが、ルイ14世はここで毎日の儀式、エチケットなどの決まりごとをつくり、まずは貴族の行動を縛りました。宮殿内で、王がいわゆるマインドコントロールをしたわけです。そして芸術や文化の流行をベルサイユ宮殿から発信することで、ヨーロッパ中にルイ14世の威厳をアピールしようとしたのでした。
ルイ14世の若い頃はまだ貴族が権力を握っている時代だったため、フランスという大きな国の王として君臨するためには、その貴族を王の支配のもとにひとつに束ねることが必要でした。そこでルイ14世は、パリ郊外にあった狩猟用の小さな館を改築し、そこを彼の統治する政府や貴族も一緒に住めるような大きな宮殿にすることを計画します。
そして完成したのがベルサイユ宮殿ですが、ルイ14世はここで毎日の儀式、エチケットなどの決まりごとをつくり、まずは貴族の行動を縛りました。宮殿内で、王がいわゆるマインドコントロールをしたわけです。そして芸術や文化の流行をベルサイユ宮殿から発信することで、ヨーロッパ中にルイ14世の威厳をアピールしようとしたのでした。
国を挙げての芸術と産業支援
ルイ14世が行った絶対王政の政策の中に、自国の産業を支援して海外に輸出することを推進する、いわゆる「重商主義」という政策がありました。これが始まってから、王立家具製作所も設立され、技術水準の非常に高い工芸品や家具調度品の数々が製作され、フランスのバロック様式の発展と充実に大きく寄与しました。
後期バロック様式も基本的にはルネサンス様式をもとに、より豪華に発展させたものだったので、モチーフは前期バロックと同じく、古代ギリシャ・ローマ時代の図案化された植物や神話の登場人物、貝や天使などのモチーフが多く使われていました。
ルイ14世が行った絶対王政の政策の中に、自国の産業を支援して海外に輸出することを推進する、いわゆる「重商主義」という政策がありました。これが始まってから、王立家具製作所も設立され、技術水準の非常に高い工芸品や家具調度品の数々が製作され、フランスのバロック様式の発展と充実に大きく寄与しました。
後期バロック様式も基本的にはルネサンス様式をもとに、より豪華に発展させたものだったので、モチーフは前期バロックと同じく、古代ギリシャ・ローマ時代の図案化された植物や神話の登場人物、貝や天使などのモチーフが多く使われていました。
「太陽王」らしい金箔や豪壮なディテール
こういったデコラティブなデザインはルネサンスの規則に従い、あくまでシンメトリックなのが特徴ですが、ルネサンス様式との違いはその進化した豪壮さといえるでしょう。彫刻の技術もさることながら、植民地からもたらされた金をふんだんに使い、家具でもバロック期から金箔が施された豪華なものが登場します。「太陽王」と呼ばれたルイ14世時代の家具は、その名の通り光り輝くゴールドがインテリアにふんだんに使われることが好まれました。
この時代の家具についてはこちらもあわせて
アンティーク家具の「脚のデザイン」を知る: バロックとロココの時代
こういったデコラティブなデザインはルネサンスの規則に従い、あくまでシンメトリックなのが特徴ですが、ルネサンス様式との違いはその進化した豪壮さといえるでしょう。彫刻の技術もさることながら、植民地からもたらされた金をふんだんに使い、家具でもバロック期から金箔が施された豪華なものが登場します。「太陽王」と呼ばれたルイ14世時代の家具は、その名の通り光り輝くゴールドがインテリアにふんだんに使われることが好まれました。
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後世でもポピュラーとなる「マンサード屋根」
またこのバロック時代に流行したスタイルに「マンサード屋根」と呼ばれる、勾配の角度が上部はゆるく、下部が少しきつい2段階になっている屋根があります。これはベルサイユ宮殿をはじめ、フランスのバロック様式の典型的な屋根の形でもあります。屋根裏部屋を広く取って有効に使えるということで人気を集めたこの屋根は、その後19世紀のパリで再びリバイバルすることになります。
またこのバロック時代に流行したスタイルに「マンサード屋根」と呼ばれる、勾配の角度が上部はゆるく、下部が少しきつい2段階になっている屋根があります。これはベルサイユ宮殿をはじめ、フランスのバロック様式の典型的な屋根の形でもあります。屋根裏部屋を広く取って有効に使えるということで人気を集めたこの屋根は、その後19世紀のパリで再びリバイバルすることになります。
市民の人気スポットとなった噴水庭園
古代ローマ帝国時代の公共浴場や噴水は、水道橋を建て、山から大量の水を引いてつくられました。ルイ14世もこれに倣い、巨大なポンプを設置して、水のないベルサイユの地にセーヌ川から水を引き、豪華な噴水公園をつくりました。フランスバロック期特有の躍動感をたたえた、大理石やブロンズ製の巨大な彫像からなる噴水庭園です。ベルサイユ宮殿の公園には一般市民も入ることができたので、ここはその当時から人気の観光スポットとなりました。庭園や宮殿の中では、当時少なくとも週3回は大きな催し物が行われていたそうです。
古代ローマ帝国時代の公共浴場や噴水は、水道橋を建て、山から大量の水を引いてつくられました。ルイ14世もこれに倣い、巨大なポンプを設置して、水のないベルサイユの地にセーヌ川から水を引き、豪華な噴水公園をつくりました。フランスバロック期特有の躍動感をたたえた、大理石やブロンズ製の巨大な彫像からなる噴水庭園です。ベルサイユ宮殿の公園には一般市民も入ることができたので、ここはその当時から人気の観光スポットとなりました。庭園や宮殿の中では、当時少なくとも週3回は大きな催し物が行われていたそうです。
ガラス職人の誘致、「鏡の間」とシャンデリア
ベルサイユ宮殿といえば「鏡の間」が有名ですが、この当時、鏡はイタリアから取り寄せなければならず、しかも大変高価なものでした。というのもイタリアでは、ガラスや鏡の製法が他国に流出するのを避けるため、ガラス工房のあるムラーノ島に職人を住まわせ、厳重に管理していたからでした。
ルイ14世の財務総監だったジャン=バティスト・コルベールは、ガラスの生産コストを下げるためにシークレットサービスのエージェントをイタリアに送り込み、ムラーノ島からほぼ誘拐に近い形で職人を連れ出します。その結果、フランス国内でガラスを製作することに成功し、73mもある回廊にこの高価な鏡をふんだんに使って、さらに明るく光り輝く室内をしつらえることができたのです。
ベルサイユ宮殿といえば「鏡の間」が有名ですが、この当時、鏡はイタリアから取り寄せなければならず、しかも大変高価なものでした。というのもイタリアでは、ガラスや鏡の製法が他国に流出するのを避けるため、ガラス工房のあるムラーノ島に職人を住まわせ、厳重に管理していたからでした。
ルイ14世の財務総監だったジャン=バティスト・コルベールは、ガラスの生産コストを下げるためにシークレットサービスのエージェントをイタリアに送り込み、ムラーノ島からほぼ誘拐に近い形で職人を連れ出します。その結果、フランス国内でガラスを製作することに成功し、73mもある回廊にこの高価な鏡をふんだんに使って、さらに明るく光り輝く室内をしつらえることができたのです。
そして、フランスのバロック様式のインテリアを、さらに華やかに彩ったのがシャンデリア照明でした。金箔をあしらったブロンズの鳥かごのようなフレームと、花束のようなクリスタルグラスのコンビネーション。そんな豪華なシャンデリアは、鏡の間に飾られるとまもなく、ヨーロッパ中で流行するようになります。これもムラーノ島やチェコから連れてこられたガラス職人による功績で、この後、フランスでもガラス工芸が盛んになっていきます。
王室御用達の芸術的テキスタイル
財務総監コルベールはテキスタイル産業にも力を注ぎました。すでにルネサンス時代からあったタペストリー工場に、王室のお抱え画家だったシャルル・ル・ブランやフランソワ・ブーシェを送り込んでデザインの指導をさせ、海外に輸出できる高品質なタペストリーやカーペットを製造します。
このような織物は、壁の装飾用タペストリーだけではなく、椅子の背もたれやシートなどにも使われ、パリのゴブラン織やサヴォヌリー織の製作所が王室御用達の工場になりました。ここで製作された、金糸や銀糸を使った贅沢なタペストリーは、外交使節への贈り物として海外に送られました。これらもまたルイ14世による、フランス産業の水準の高さを周囲に誇示するPR政策の一環でした。
財務総監コルベールはテキスタイル産業にも力を注ぎました。すでにルネサンス時代からあったタペストリー工場に、王室のお抱え画家だったシャルル・ル・ブランやフランソワ・ブーシェを送り込んでデザインの指導をさせ、海外に輸出できる高品質なタペストリーやカーペットを製造します。
このような織物は、壁の装飾用タペストリーだけではなく、椅子の背もたれやシートなどにも使われ、パリのゴブラン織やサヴォヌリー織の製作所が王室御用達の工場になりました。ここで製作された、金糸や銀糸を使った贅沢なタペストリーは、外交使節への贈り物として海外に送られました。これらもまたルイ14世による、フランス産業の水準の高さを周囲に誇示するPR政策の一環でした。
流行の服以外は禁止!?
ルネサンス時代から、イタリアでは中国からもたらされたシルク産業がすでに発達しており、特にダマスク織はインテリア、ファッションの両分野で流行していました。ルイ14世は国内のリヨンで盛んになりつつあった絹織物産業をさらに発展させ、イタリアなど他国からの絹織物の輸入を禁止します。
宮廷では流行している服のみを着るように管理されていたため、貴族は王から借金をしてまで、流行に合わせて高価な服を調達しなければならなかったそうです。たとえばレースの襟だけでも現在のスポーツカーが買える値段だったそうで、ルイ14世は貴族たちをファッションで借金地獄に追い込むことで、財政面でもコントロールしていたのでした。
ルネサンス時代から、イタリアでは中国からもたらされたシルク産業がすでに発達しており、特にダマスク織はインテリア、ファッションの両分野で流行していました。ルイ14世は国内のリヨンで盛んになりつつあった絹織物産業をさらに発展させ、イタリアなど他国からの絹織物の輸入を禁止します。
宮廷では流行している服のみを着るように管理されていたため、貴族は王から借金をしてまで、流行に合わせて高価な服を調達しなければならなかったそうです。たとえばレースの襟だけでも現在のスポーツカーが買える値段だったそうで、ルイ14世は貴族たちをファッションで借金地獄に追い込むことで、財政面でもコントロールしていたのでした。
バロック様式を控えめに取り入れたイギリス
このように、フランスでは絶対王政、その前にさかのぼるとイタリアではカトリックの威厳と、2つのパワーを世に知らしめる政策として発展したバロック様式でしたが、イギリスではこれに比べると、ずっと控えめなデザインとして広まりました。その理由としては、プロテスタントの考え方が収益でつくられる豪華な教会そのものを否定していたことや、フランスの侵略戦争や王と議会との対立などで、国の情勢が不安定だったことなどが挙げられます。
それでもバロックの特徴であるスケールの大きさ、シンメトリック(左右対称)デザイン、ダブルコラム(柱)、天使などのラブリーなモチーフを採用した装飾というスタイルは、基本的な流行を受け継いでいます。
このように、フランスでは絶対王政、その前にさかのぼるとイタリアではカトリックの威厳と、2つのパワーを世に知らしめる政策として発展したバロック様式でしたが、イギリスではこれに比べると、ずっと控えめなデザインとして広まりました。その理由としては、プロテスタントの考え方が収益でつくられる豪華な教会そのものを否定していたことや、フランスの侵略戦争や王と議会との対立などで、国の情勢が不安定だったことなどが挙げられます。
それでもバロックの特徴であるスケールの大きさ、シンメトリック(左右対称)デザイン、ダブルコラム(柱)、天使などのラブリーなモチーフを採用した装飾というスタイルは、基本的な流行を受け継いでいます。
建築家クリストファー・レンの功績
ロンドンは1666年の大火災により、ゴシック様式やチューダー様式の建物は消滅し、徐々に近代化されていきました。そんなイギリスのバロック時代に活躍したのが、ロンドン大火災後の復興プロジェクトを任された建築家、クリストファー・レンでした。
彼はルーブル宮の建設中にパリを訪れ、このときルーブル宮の増築のデザインをルイ14世から任されていたジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(サン・ピエトロ大聖堂の大天蓋をデザインしたイタリアの芸術家)とも会っており、多大な影響を受けたといわれています。実際、レンがデザインしたセントポール大聖堂の最初のアイデアは、あまりにイタリアのカトリック寄りのデザインだとはねつけられますが、彼は工事を強行し、自分のデザインに近い形で完成させています。
ロンドンは1666年の大火災により、ゴシック様式やチューダー様式の建物は消滅し、徐々に近代化されていきました。そんなイギリスのバロック時代に活躍したのが、ロンドン大火災後の復興プロジェクトを任された建築家、クリストファー・レンでした。
彼はルーブル宮の建設中にパリを訪れ、このときルーブル宮の増築のデザインをルイ14世から任されていたジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(サン・ピエトロ大聖堂の大天蓋をデザインしたイタリアの芸術家)とも会っており、多大な影響を受けたといわれています。実際、レンがデザインしたセントポール大聖堂の最初のアイデアは、あまりにイタリアのカトリック寄りのデザインだとはねつけられますが、彼は工事を強行し、自分のデザインに近い形で完成させています。
クリストファー・レンはその後、ハンプトン宮殿の増築も任され、チャールズ2世の希望により、ベルサイユ宮殿をイメージしたデザインを考えます。しかし、ベルサイユのように絢爛豪華な金箔で覆われた内装ではなく、外観はちょうどこの写真と似た、レンガに白のアクセントを入れたデザインで、政治的にもつながりの深いオランダ風の建物でした。とはいうものの、バロック時代に流行しただまし絵や内装や家具の木の彫刻などは、フランスと同じレベルの素晴らしい技術があり、この後のイギリスの芸術文化は、職人達の力で栄えていくようになります。
フランスから渡ったユグノーの職人の活躍
この職人達こそ、フランスに見切りをつけてイギリスに移住した、ユグノーと呼ばれる新教徒でした。コルベールが行った重商主義でフランスの経済を支えたのはこのユグノーの職人達でしたが、プロテスタントが多かった彼らはルイ14世が行ったカトリック中心の政治に抵抗し、その後オランダやイギリスに逃れたのでした。
プロテスタント弾圧によって多くの働き手を失ったフランスでは、次第に経済に影がさし始め、徐々にイギリスが文化のスポットライトを浴びるようになってきます。やがてフランスのバロック様式は、ルイ14世が亡くなると同時に、少し肩の力が抜けてリラックスした優雅なロココ様式に、とって代わられていくのです。次回はこのロココ様式について解説します。
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この職人達こそ、フランスに見切りをつけてイギリスに移住した、ユグノーと呼ばれる新教徒でした。コルベールが行った重商主義でフランスの経済を支えたのはこのユグノーの職人達でしたが、プロテスタントが多かった彼らはルイ14世が行ったカトリック中心の政治に抵抗し、その後オランダやイギリスに逃れたのでした。
プロテスタント弾圧によって多くの働き手を失ったフランスでは、次第に経済に影がさし始め、徐々にイギリスが文化のスポットライトを浴びるようになってきます。やがてフランスのバロック様式は、ルイ14世が亡くなると同時に、少し肩の力が抜けてリラックスした優雅なロココ様式に、とって代わられていくのです。次回はこのロココ様式について解説します。
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