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絶対に知っておきたい名作住宅:ロヴェル・ビーチ・ハウス
フォルムを通して空間を再定義した建築家、ルドルフ・シンドラー。 後に続く建築家に大きな影響を与えた、シンドラーの傑作住宅をご紹介します。
John Hill
2017年9月3日
20世紀初期は、多くの建築マニフェストが発表された時代だった。以前「絶対に知っておきたい名作モダン住宅」シリーズで、リートフェルト設計の《シュレーダー邸》を取り上げたが、そこで登場したデ・ステイル運動のマニフェストもそのひとつである。これらのマニフェストは、とくにヨーロッパで起こっていた政治や技術や社会の大きな変化に対して建築界の取るべき対応を模索するものだった。
1887年ウィーン生まれのルドルフ・M・シンドラーは、まだウィーン美術アカデミーに在学中だった1912年にマニフェストを書いている。その中で、歴史的な建築がマッス・構造・面によって構成されているのと対照的に、モダン建築では空間そのものが素材として重視される、という考えを述べている。マッスの表面を分節してできる副産物として空間を扱うのではなく、形態を通して空間を定義することが、新時代の建築家にとって、そして卒業後に活動を始めるシンドラーにとっての課題となった。
シンドラーの提唱した「空間建築」の考えをよく表しているのが、彼が手掛けた名建築のひとつで、ロサンゼルスからやや南の太平洋岸に建つロヴェル・ビーチ・ハウスだ。ウェスト・ハリウッドのキングス・ロードにあるシンドラー邸(現MAKセンター)ほど、即座に心をつかむような魅力はないかもしれないが、のちのモダン建築に与えた影響は大きく、詳しく知る価値のある建物だ。
ロヴェル・ビーチ・ハウスとは?
竣工年:1926年
建築家:ルドルフ・M・シンドラー
見学情報:まれに見学日あり(英語サイト)
所在地:カリフォルニア州ニューポート・ビーチ
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1887年ウィーン生まれのルドルフ・M・シンドラーは、まだウィーン美術アカデミーに在学中だった1912年にマニフェストを書いている。その中で、歴史的な建築がマッス・構造・面によって構成されているのと対照的に、モダン建築では空間そのものが素材として重視される、という考えを述べている。マッスの表面を分節してできる副産物として空間を扱うのではなく、形態を通して空間を定義することが、新時代の建築家にとって、そして卒業後に活動を始めるシンドラーにとっての課題となった。
シンドラーの提唱した「空間建築」の考えをよく表しているのが、彼が手掛けた名建築のひとつで、ロサンゼルスからやや南の太平洋岸に建つロヴェル・ビーチ・ハウスだ。ウェスト・ハリウッドのキングス・ロードにあるシンドラー邸(現MAKセンター)ほど、即座に心をつかむような魅力はないかもしれないが、のちのモダン建築に与えた影響は大きく、詳しく知る価値のある建物だ。
ロヴェル・ビーチ・ハウスとは?
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このビーチハウスは、シンドラーがフィリップ・ロヴェルのために設計したもの。角ばった8の字形のような5つのコンクリートフレームで路面から持ちあげられているのが印象的だ。シンドラーは木造建築に批判的で、キングス・ロードの自邸でもプレキャストのコンクリートパネルを使っているが、こちらでは、予想を超えた見事なコンクリート構造を完成させている。
コンクリートの躯体で居室を持ち上げた理由は3つあった。家と空間にリズム感をつくること、地震から家を守ること(軽量な壁が骨格から吊り下げられており、振動が起こると壁が独立して動く)、隣接するビーチの眺めとプライバシーを確保することだ。最後のポイントの重要性は、こちらの航空写真を見るとよくわかる。目の前に、ビーチに抜ける大通りが走っているのだ。シンドラーのインスピレーションとなったのは、この地域のビーチでよく見られる高床式の建物だった。
カンティレバーが西に面し、ビーチに向かう道路が南北に伸びている。
カンティレバーが西に面し、ビーチに向かう道路が南北に伸びている。
ベッドルームは最上階にある。竣工時には、西に面してスリーピングポーチがあり、その奥がベッドルームになっていた。グリーン兄弟によるギャンブル邸のスリーピングポーチを思い出しただろうか?エアコン以前の時代、気候の穏やかなカリフォルニアでは、スリーピングポーチは現実的な選択肢だったのだ。
スリーピングポーチは、身体文化センターを運営し、『ロサンゼルス・タイムズ』紙のコラム「ケア・オブ・ザ・ボディ」に寄稿していたクライアントのロヴェルの考えに基づくものでもあった。ロヴェルは自然療法を推進しており、住環境が健康に与える影響は大きいと考えていた。
スリーピングポーチは、身体文化センターを運営し、『ロサンゼルス・タイムズ』紙のコラム「ケア・オブ・ザ・ボディ」に寄稿していたクライアントのロヴェルの考えに基づくものでもあった。ロヴェルは自然療法を推進しており、住環境が健康に与える影響は大きいと考えていた。
カリフォルニアのビーチの気候が良いとはいえ、竣工からまもなく、ロヴェルはスリーピングポーチも屋内の一部にしたいと考えるようになった。この変更もシンドラーが担当し、ベッドルームのフレンチドアを外側に移動させ、ガードレール部分に合うように加工して設置している。
しかし、カンティレバー部分の外観には不自然さが残り、頑強なコンクリートフレームに比べ、窓が薄っぺらく見えてしまう。この点や、そのほかシンドラーの設計に見られる独特の要素が、1932年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開かれた「国際建築」展から除外された理由として挙げられていた。除外されたことにシンドラーは傷ついたが、それよりもさらに傷ついたのは、ロヴェルが次のプロジェクト《ヘルス・ハウス》で、同じくオーストリアからカリフォルニアに移住した建築家リチャード・ノイトラに設計を依頼したことであった。しかも、こちらは国際建築展で展示されたのだ。
しかし、カンティレバー部分の外観には不自然さが残り、頑強なコンクリートフレームに比べ、窓が薄っぺらく見えてしまう。この点や、そのほかシンドラーの設計に見られる独特の要素が、1932年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開かれた「国際建築」展から除外された理由として挙げられていた。除外されたことにシンドラーは傷ついたが、それよりもさらに傷ついたのは、ロヴェルが次のプロジェクト《ヘルス・ハウス》で、同じくオーストリアからカリフォルニアに移住した建築家リチャード・ノイトラに設計を依頼したことであった。しかも、こちらは国際建築展で展示されたのだ。
シンドラーとノイトラは、第1次大戦前のウィーン時代からの知り合いだったが、ウィーン芸術大学を卒業すると、シンドラーはシカゴの建築事務所で働き始め、ノイトラはウィーンに残った。シンドラーの学生時代、フランク・ロイド・ライトのポートフォリオがヨーロッパで出版されて大きな反響を呼んでおり、そんなライトに近づくという意味で、シンドラーにとってシカゴ行きは大きな意味のあるものだった。実際、シカゴに移って4年後にはライトに雇われ、ライトが日本を訪れているあいだ、ハリウッドのホリーホック・ハウス建設を監督することになる。その後、1921年にシンドラーは独立する。
コンクリート脚柱のあいだに見えるガラスパネルにはライトの影響がうかがえる。シンドラーは、大きな1枚板のガラスを使うのではなく、ライトがプレーリースタイルで取り入れたような抽象的パターンのガラスをデザインした。こういったパターンも、装飾性の皆無という、MoMA展におけるモダン建築の狭い定義にシンドラーが当てはまらなかった理由のひとつである。
コンクリート脚柱のあいだに見えるガラスパネルにはライトの影響がうかがえる。シンドラーは、大きな1枚板のガラスを使うのではなく、ライトがプレーリースタイルで取り入れたような抽象的パターンのガラスをデザインした。こういったパターンも、装飾性の皆無という、MoMA展におけるモダン建築の狭い定義にシンドラーが当てはまらなかった理由のひとつである。
ノイトラは1923年にカリフォルニアに移り、同じくライトのもとで働き始めた。ノイトラはキングス・ロードのシンドラーの家に同居するようになり、ロヴェル・ビーチ・ハウスを含むいくつかのプロジェクトではいっしょに仕事をしている。地域性を重視した独特なシンドラーのスタイルとは異なり、1930年に独立したノイトラの建築にはヨーロッパ的なモダニズムが感じられる。大きな平面やガラスを使ったノイトラの空間表現は、MoMAの定義するインターナショナルスタイルと一致するものだった。
一方、シンドラーの提唱する空間建築では、構造・面・建築的要素が相互に作用して、建物のフォルムはより複雑になっていた。ビーチハウスのポーチの写真を見ても、階段、傾斜路(階段と逆方向に向かっている手前の部分)、リビングルームの壁、コンクリート構造が複雑に絡み合っている。フランク・ゲーリーなど、のちのカリフォルニアの建築家への影響も感じられる。
一方、シンドラーの提唱する空間建築では、構造・面・建築的要素が相互に作用して、建物のフォルムはより複雑になっていた。ビーチハウスのポーチの写真を見ても、階段、傾斜路(階段と逆方向に向かっている手前の部分)、リビングルームの壁、コンクリート構造が複雑に絡み合っている。フランク・ゲーリーなど、のちのカリフォルニアの建築家への影響も感じられる。
こちらは、フォルムの柔軟性がよく表れている北側のようす。骨格と壁が一体化している伝統的な建築とは異なり、コンクリート骨格と壁とを別個に扱うことが可能であるという特性を生かして、必要に応じて一部の壁を張り出したり、引っ込めたり、窓を加えたりしている。こちら側と、ビーチに面した側のファサード(最初の写真の右側)を比べてみてほしい。ビーチに面したファサードには、砂浜と海が見える大きな開口部がつくられているが、北側は大部分が壁で閉じられている。
家の中心は吹き抜けのリビングルームで、南向きに大きな窓(右の写真)がある。シンドラーは、窓と壁平面で空間を定義するだけでは飽き足らなかったようだ。壁を重ね、コンクリートと木の構造を併用し、梯子のようなパターンの窓をデザインし、造作家具をつくっている。
とくに造作家具ではライトからの影響が明らかだが(シンドラーは《ホリーホック・ハウス》でも造作家具をつくっている)、コンクリートの柱に沿ってつくられた棚などに、シンドラー独自のスタイルも表れている。手の届かない位置にあるこの棚は、不思議なディテールだ。
路面から1段上がった、2階のフロアプランがこちら。左側の階段を上がるとキッチンに、右側のより緩やかな段差の通路(傾斜路と呼ばれていた)を上がるとリビングエリアと南向きのテラスに出る。5つ並んだ柱のなかにスチールの骨格があり、最上階のカンティレバーの範囲が点線で表されている。
家の表にあたる西側の立面図を見ると、実に大胆な構造設計であることがよくわかる。5つの構造フレームのほかに接地しているのはガレージと階段だけだ。この点で、ロヴェル・ビーチ・ハウスは、30年後に登場するブルータリスト建築群に先駆けた、初のブルータリスト建築と言うことができるかもしれない。のちの建築家たちは、より大型で公共性の高い建物において、コンクリート構造のドラマチックなデザインを実現するようになる。一方シンドラーは、より人気のある木造建築に移行せざるを得なくなり、これが最後のコンクリート住宅となったが、空間建築の哲学については1953年に亡くなるまで展開していった。
参考文献
- Curtis, William J.R. Modern Architecture Since 1900. Prentice-Hall, third edition, 1996 (first published in 1982).
- Gebhard, David. Schindler. The Viking Press, 1971.
- MAK Center at Schindler House.
- McCoy, Esther. Five California Architects. Hennessey + Ingalls, 1987 (originally published in 1960 by Reinhold Book Corporation).
- Smith, Elizabeth and Darling, Michael. The Architecture of R.M. Schindler. Harry N. Abrams, 2001.
- Wright, Gwendolyn. USA: Modern Architectures in History. Reaktion Books, 2008.
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