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5分でわかるデザイン様式:フランス宮廷の室内装飾、ロココ様式
よく知られた歴史上のデザイン様式を、時代背景と今につながる流れ、代表的な人物や住宅インテリアデザインの特徴とともに、コンパクトに解説。今回はルイ15世時代のフランス宮廷で花開いた、優雅なロココ様式についてご紹介します。
西谷典子|Noriko Nishiya
2016年9月27日
フランスのベルサイユがヨーロッパの芸術の中心になったのがバロック後期でしたが、その後ルイ15世が王位につく頃から、ロココ様式という洗練された装飾様式も台頭してきます。あらゆるインテリア装飾が最も自由にクリエイティブに、そして高度な技術でつくられた、フランス宮廷文化最後の華々しい時代でもありました。
王侯貴族のインテリア装飾、ロココ様式
ルイ14世が亡くなって短い摂政時代に入ると、それまでベルサイユ宮殿という黄金の檻に閉じ込められていた貴族達は、パリにある自分の屋敷に戻っていきます。お金をかけて新しい屋敷を建て直すより、既に所有していたパリの邸宅の内装のみを新しいスタイルにしようという風潮が主流になりました。そのため、いわゆるロココ調とは、室内装飾に当てはまる様式で、建築のスタイルとしてはさほど大きな変化はありません。ロココ様式のポイントは建築ではなく、高水準に達した職人の技による、華やかなインテリア装飾のことを指すのです。
ルイ14世が亡くなって短い摂政時代に入ると、それまでベルサイユ宮殿という黄金の檻に閉じ込められていた貴族達は、パリにある自分の屋敷に戻っていきます。お金をかけて新しい屋敷を建て直すより、既に所有していたパリの邸宅の内装のみを新しいスタイルにしようという風潮が主流になりました。そのため、いわゆるロココ調とは、室内装飾に当てはまる様式で、建築のスタイルとしてはさほど大きな変化はありません。ロココ様式のポイントは建築ではなく、高水準に達した職人の技による、華やかなインテリア装飾のことを指すのです。
優雅でエレガントな曲線を用いたリラックスしたデザイン
ルイ14世が主導した、ヴェルサイユ宮殿でのマナーや慣習、儀式に飽き飽きしていたルイ15世(在位1715~1774年)。その治世になると時代の空気は少し変わり、デザインの分野でも規則正しいシンメトリックではなく、より打ち解けた自由なスタイルが採用されるようになりました。王の威厳を象徴する華々しいモチーフも、もう少しリラックスした優雅でエレガントな曲線を描くデザインに変わっていったのです。
ロココのデザインは「S字形とC字形がポイント」といわれることがありますが、ゆるやかなS字形は家具の足に、カールしたC字形はアカンサスの葉からイメージされた装飾の部分に、主に使われています。
ルイ14世が主導した、ヴェルサイユ宮殿でのマナーや慣習、儀式に飽き飽きしていたルイ15世(在位1715~1774年)。その治世になると時代の空気は少し変わり、デザインの分野でも規則正しいシンメトリックではなく、より打ち解けた自由なスタイルが採用されるようになりました。王の威厳を象徴する華々しいモチーフも、もう少しリラックスした優雅でエレガントな曲線を描くデザインに変わっていったのです。
ロココのデザインは「S字形とC字形がポイント」といわれることがありますが、ゆるやかなS字形は家具の足に、カールしたC字形はアカンサスの葉からイメージされた装飾の部分に、主に使われています。
女性的でやわらかな色づかい
バロック様式特有の、天使や植物や貝などのモチーフは引き続き使用され、同時にストライプや花柄など、女性的な可愛らしいデザインも流行します。黄金の輝きに負けじと華美な色が好まれたルイ14世の時代に比べ、色づかいはやわらかなパステル調へと変化し、シルクのテキスタイル産業の発展もあって、インテリア全般がソフトでフェミニンな印象になります。
バロック様式特有の、天使や植物や貝などのモチーフは引き続き使用され、同時にストライプや花柄など、女性的な可愛らしいデザインも流行します。黄金の輝きに負けじと華美な色が好まれたルイ14世の時代に比べ、色づかいはやわらかなパステル調へと変化し、シルクのテキスタイル産業の発展もあって、インテリア全般がソフトでフェミニンな印象になります。
小石、貝殻を意味する「ロカイユ」が語源
ちなみにロココとは「ロカイユ」からきた言葉で、ベルサイユ宮殿のグロット(洞窟)をつくるための材料だった小石や岩、貝殻などを意味します。ロココ様式の非対称的なデザインをよく見ると、確かに貝殻のモチーフや水しぶき、岩などからインスピレーションを得たデザインだということがわかります。
ちなみにロココとは「ロカイユ」からきた言葉で、ベルサイユ宮殿のグロット(洞窟)をつくるための材料だった小石や岩、貝殻などを意味します。ロココ様式の非対称的なデザインをよく見ると、確かに貝殻のモチーフや水しぶき、岩などからインスピレーションを得たデザインだということがわかります。
小さな宮殿、女性専用のサロン
ルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人は、中産階級の出身でした。そのため、ベルサイユ宮殿の中に私邸として建てられたトリアノン宮は、大変こじんまりとした小さな建物です。そのインテリアはルイ14世時代の豪華絢爛さに比べ、はるかにシンプルで女性的なロココスタイルでしつらえられています。
またこの頃から女性専用のサロン、「ブードワール」と呼ばれる小さな部屋も流行し始めました。このトリアノン宮にある、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットのブードワールはライブラリーの隠し扉の奥につくられており、そこで内緒話ができる女性の隠れ家的な役割の部屋でした。そんなブードワールに置くための小ぶりで華奢なつくりの女性専用の家具が、このロココ時代から人気を博すようになります。
ルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人は、中産階級の出身でした。そのため、ベルサイユ宮殿の中に私邸として建てられたトリアノン宮は、大変こじんまりとした小さな建物です。そのインテリアはルイ14世時代の豪華絢爛さに比べ、はるかにシンプルで女性的なロココスタイルでしつらえられています。
またこの頃から女性専用のサロン、「ブードワール」と呼ばれる小さな部屋も流行し始めました。このトリアノン宮にある、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットのブードワールはライブラリーの隠し扉の奥につくられており、そこで内緒話ができる女性の隠れ家的な役割の部屋でした。そんなブードワールに置くための小ぶりで華奢なつくりの女性専用の家具が、このロココ時代から人気を博すようになります。
リラックスした姿勢で座るやわらかな椅子
ルイ14世の時代、貴族は厳格な習慣やマナーで縛られていましたが、次のルイ15世の時代になると、肩ひじ張っていたその姿勢は一気にリラックスしたものになり、それが家具にも反映してきます。たとえば2人で仲睦まじく座れる2人用ソファや、3人一緒に座るためにつくられたようでいて、実は足を伸ばして寝そべるためのソファなどが登場します。そしてこれらの椅子は、以前よりクッションがやわらかく、弾力性もパワーアップし、よりリラックスして座れるつくりになっています。
アンティーク家具の「脚のデザイン」を知る: バロックとロココの時代
ルイ14世の時代、貴族は厳格な習慣やマナーで縛られていましたが、次のルイ15世の時代になると、肩ひじ張っていたその姿勢は一気にリラックスしたものになり、それが家具にも反映してきます。たとえば2人で仲睦まじく座れる2人用ソファや、3人一緒に座るためにつくられたようでいて、実は足を伸ばして寝そべるためのソファなどが登場します。そしてこれらの椅子は、以前よりクッションがやわらかく、弾力性もパワーアップし、よりリラックスして座れるつくりになっています。
アンティーク家具の「脚のデザイン」を知る: バロックとロココの時代
陶磁器の生産拠点、セーブル窯の誕生
ロココ時代にはまた、インテリアを飾る美術品や陶磁器、置き時計などが、素晴らしい技術を誇る熟練の王室お抱え職人によって数多くつくられました。陶磁器製造の分野ではドイツに遅れを取っていたフランスでしたが、18世紀初頭になると、中国に渡った宣教師により、長く秘密とされてきた陶磁器の製造方法がついにフランスに伝来します。そして、ルイ15世と公妾ポンパドゥール夫人の出資によって、王立のセーブル窯が設立されました。
フランス国内の他の土地でも陶磁器の生産は始まっていましたが、当時、セーブル窯以外では絵付けに使える色は1色だけ、という決まりがありました。王室によるこのアンフェアな独占ビジネスは、1780年頃まで続いたようです。
ロココ時代にはまた、インテリアを飾る美術品や陶磁器、置き時計などが、素晴らしい技術を誇る熟練の王室お抱え職人によって数多くつくられました。陶磁器製造の分野ではドイツに遅れを取っていたフランスでしたが、18世紀初頭になると、中国に渡った宣教師により、長く秘密とされてきた陶磁器の製造方法がついにフランスに伝来します。そして、ルイ15世と公妾ポンパドゥール夫人の出資によって、王立のセーブル窯が設立されました。
フランス国内の他の土地でも陶磁器の生産は始まっていましたが、当時、セーブル窯以外では絵付けに使える色は1色だけ、という決まりがありました。王室によるこのアンフェアな独占ビジネスは、1780年頃まで続いたようです。
貴族の生活様式が描かれた「トワル・ド・ジュイ」
ロココ時代、木綿地に1色のみで人物や田園風景がプリントされた「トワル・ド・ジュイ」という生地が流行しました。フランスでは、既にコットンは16世紀にインドから輸入が始まり、需要も高まっていましたが、自国の絹織物や綿羊の織物産業を守るため、ルイ14世の時代に輸入が禁止されてしまいます。木綿のプリント地は木版を利用したものが一足先にイギリスやアイルランドで製造されていました。1759年、フランスへのコットンの輸入が再開された際、ドイツ生まれの技師オーベル・カンプが導入した銅板でのプリント技法により、それまでの木版では出せなかった、さらに繊細な絵柄をプリントできるようになったのです。
このデザインも貴族のライフスタイルから、その当時のニュースを飾る大きなイベントの様子まで、フランスの流行を先取りしていました。トワル・ド・ジュイは、ある意味前衛的なデザインでもあるロココ時代の文化を物語る、興味深い生地といえます。
ロココ時代、木綿地に1色のみで人物や田園風景がプリントされた「トワル・ド・ジュイ」という生地が流行しました。フランスでは、既にコットンは16世紀にインドから輸入が始まり、需要も高まっていましたが、自国の絹織物や綿羊の織物産業を守るため、ルイ14世の時代に輸入が禁止されてしまいます。木綿のプリント地は木版を利用したものが一足先にイギリスやアイルランドで製造されていました。1759年、フランスへのコットンの輸入が再開された際、ドイツ生まれの技師オーベル・カンプが導入した銅板でのプリント技法により、それまでの木版では出せなかった、さらに繊細な絵柄をプリントできるようになったのです。
このデザインも貴族のライフスタイルから、その当時のニュースを飾る大きなイベントの様子まで、フランスの流行を先取りしていました。トワル・ド・ジュイは、ある意味前衛的なデザインでもあるロココ時代の文化を物語る、興味深い生地といえます。
インテリア工芸品製造技術の向上
次のルイ16世の時代に入ると、インテリアや工芸品などの関心はさらに高まり、品質も向上します。たとえばひとつの家具をつくるために、フランスの規則ではモデルづくり、フレームづくり、木彫り、金箔塗り、ブロンズ細工、布の張り替えなど、すべての工程を専門の職人が手がける仕組みでした。このため、家具の完成度は相当に高いレベルのものとなり、ロココ時代はフランス工芸の最盛期といわれています。顧客は当然、王族や貴族などの富裕層に限られていたので、上流階級があってこその職人文化の発展という側面もありました。
次のルイ16世の時代に入ると、インテリアや工芸品などの関心はさらに高まり、品質も向上します。たとえばひとつの家具をつくるために、フランスの規則ではモデルづくり、フレームづくり、木彫り、金箔塗り、ブロンズ細工、布の張り替えなど、すべての工程を専門の職人が手がける仕組みでした。このため、家具の完成度は相当に高いレベルのものとなり、ロココ時代はフランス工芸の最盛期といわれています。顧客は当然、王族や貴族などの富裕層に限られていたので、上流階級があってこその職人文化の発展という側面もありました。
ソフトファニッシング装飾の発展
またバロック後期は、ソフトファニッシングの分野でも数々のフランス発信の流行を生み出しました。たとえばクッションの縁を飾るフリンジやタッセルは、ルイ14世時代にドレスや宮廷での礼服につける飾りとして大流行し、すぐにヨーロッパ全体に広まりましたが、これがやがてインテリアの分野にも反映されるようになります。
シルクやビーズを使って編み込んだ、このタッセルやフリンジなどの装飾の技術を「パスモントリー」といい、このパスモントリー職人になるまでには、最低でも7年の修業が必要だったそうです。パスモンティーと呼ばれたこの職人達もまた、プロテスタントのユグノーが多くを占め、この素晴らしい技術はその後、イギリスにももたらされるようになります。
またバロック後期は、ソフトファニッシングの分野でも数々のフランス発信の流行を生み出しました。たとえばクッションの縁を飾るフリンジやタッセルは、ルイ14世時代にドレスや宮廷での礼服につける飾りとして大流行し、すぐにヨーロッパ全体に広まりましたが、これがやがてインテリアの分野にも反映されるようになります。
シルクやビーズを使って編み込んだ、このタッセルやフリンジなどの装飾の技術を「パスモントリー」といい、このパスモントリー職人になるまでには、最低でも7年の修業が必要だったそうです。パスモンティーと呼ばれたこの職人達もまた、プロテスタントのユグノーが多くを占め、この素晴らしい技術はその後、イギリスにももたらされるようになります。
さまざまな流行スタイルが入り混じる時代
1750年頃にはイタリアでの遺跡発見から、古代ギリシャ・ローマの古典ブームが再び起こり、デザインがよりシンプルな方向に向かったネオクラシックスタイルが登場します。また遠い東の果ての中国やトルコからもたらされたオリエンタルスタイルも流行し、家具や陶器のデザインに反映されます。
このようにバロック時代の後半は、ロココという優雅な室内装飾様式が生まれ、またネオクラシックという古典に戻るムーブメントもありました。それは、この時代の人々が、いかに流行に対するアンテナが鋭かったかということの表れでもあります。
1750年頃にはイタリアでの遺跡発見から、古代ギリシャ・ローマの古典ブームが再び起こり、デザインがよりシンプルな方向に向かったネオクラシックスタイルが登場します。また遠い東の果ての中国やトルコからもたらされたオリエンタルスタイルも流行し、家具や陶器のデザインに反映されます。
このようにバロック時代の後半は、ロココという優雅な室内装飾様式が生まれ、またネオクラシックという古典に戻るムーブメントもありました。それは、この時代の人々が、いかに流行に対するアンテナが鋭かったかということの表れでもあります。
フランス宮廷文化とロココ様式の終焉
多くの熟練職人によりつくられた高価な家具は、王室や貴族からのオーダーに限定されていました。1789年、フランス革命が起こると、あれほど活躍していた職人や芸術家たちは顧客やパトロンを一気に失い、同時にあれほど高い水準まで発展した技術も、ここでストップしてしまうことになります。この時代のフランスから流れていった一部の技術は、やがて産業革命で栄える大英帝国へも受け継がれることになるわけですが、もしもロココ時代がそのまま平和に終わっていたなら、この後まだまだ素晴らしい芸術品がフランスで生み出されていたのは間違いのないところでしょう。
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多くの熟練職人によりつくられた高価な家具は、王室や貴族からのオーダーに限定されていました。1789年、フランス革命が起こると、あれほど活躍していた職人や芸術家たちは顧客やパトロンを一気に失い、同時にあれほど高い水準まで発展した技術も、ここでストップしてしまうことになります。この時代のフランスから流れていった一部の技術は、やがて産業革命で栄える大英帝国へも受け継がれることになるわけですが、もしもロココ時代がそのまま平和に終わっていたなら、この後まだまだ素晴らしい芸術品がフランスで生み出されていたのは間違いのないところでしょう。
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