名作カンチレバーチェアの誕生と4人のデザイナーの物語
マルト・スタム、マルセル・ブロイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、リリー・ライヒ。同時代のデザイナーをめぐる、20世紀モダンデザインを代表する名作椅子のストーリーをご紹介します。
西谷典子|Noriko Nishiya
2017年9月21日
1927年、近代建築の巨匠の一人、ミース・ファン・デル・ローエがデザインしたカンチレバー(片持ち梁)構造のチェアは、その時代の先駆けともいわれるスチールパイプに、独自のサスペンションシステムを加えた画期的な椅子でした。完璧ともいえる美しい形のこの椅子が生まれた背景には、その前後、巨匠と呼ばれる建築家・デザイナーたちの、さまざまなストーリーがありました。
カンチレバー構造とは
カンチレバー(cantilever)とは、日本語でいうと「片持ち梁」。片方の端が固定され、もう片方は自由に動く構造をいいます。もとは建築物や橋などに使われていました。
カンチレバー(cantilever)とは、日本語でいうと「片持ち梁」。片方の端が固定され、もう片方は自由に動く構造をいいます。もとは建築物や橋などに使われていました。
マルト・スタムの《S33》
この構造を最初に椅子に取り入れることを試みたのは、オランダの建築家・都市計画家、家具デザイナーのマルト・スタムでした。彼は、椅子の脚は4本という概念から離れ、最初は実験的にガス管を使って試作をしました。その後の1926年、すでにバウハウスで開発が進んでいたスチールパイプを《S33》に取り入れ、完成させます。
この構造を最初に椅子に取り入れることを試みたのは、オランダの建築家・都市計画家、家具デザイナーのマルト・スタムでした。彼は、椅子の脚は4本という概念から離れ、最初は実験的にガス管を使って試作をしました。その後の1926年、すでにバウハウスで開発が進んでいたスチールパイプを《S33》に取り入れ、完成させます。
マルセル・ブロイヤーの《クラブチェアB3》
同時期、バウハウスで教官だった建築家のマルセル・ブロイヤーも、スチールパイプという新しい素材で家具づくりを模索していました。1925年には《クラブチェアB3》の初代モデルを制作します。これは1960年代に《ワシリーチェア》とも呼ばれるようになる名作椅子ですが、このチェアには、まだカンチレバー構造は使われていませんでした。その後試行錯誤を重ねながら、カンチレバー構造を取り入れた次の傑作を生み出すことになります。
同時期、バウハウスで教官だった建築家のマルセル・ブロイヤーも、スチールパイプという新しい素材で家具づくりを模索していました。1925年には《クラブチェアB3》の初代モデルを制作します。これは1960年代に《ワシリーチェア》とも呼ばれるようになる名作椅子ですが、このチェアには、まだカンチレバー構造は使われていませんでした。その後試行錯誤を重ねながら、カンチレバー構造を取り入れた次の傑作を生み出すことになります。
ブロイヤーの《B32》および《チェスカチェア》
マルセル・ブロイヤーのカンチレバー構造の椅子は、マルト・スタムの椅子を改良したもので、それから大きく形を変えることはしませんでした。しかしそれを掘り下げたのはブロイヤーの功績で、脚の部分がシートを通って後ろから伸び、そのままアームになる「ダブルカンチレバー」という画期的なデザインを生み出します。
1928年、トラディショナルな籐とスチールパイプを組み合わせた写真の椅子《B32》を〈トーネット〉から発表(その後、〈ノル〉から発売されたものは《チェスカチェア》と呼ばれる)。ダブルカンチレバー構造を取り入れたこの椅子は、ブロイヤーの代表作のひとつとして知られています。
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ミース・ファン・デル・ローエの《MR チェア》
さて1926年、あるパーティで、マルト・スタムが友人にカンチレバーチェアの構造を紙に書いて説明したことがありました。そのパーティにはドイツ出身の建築家、ミース・ファン・デル・ローエも出席していました。そのスケッチの内容がどのようにミース・ファン・デル・ローエに知られたかは謎ですが、彼はその後すぐ独自のカンチレバー構造の椅子づくりを始めました。
さて1926年、あるパーティで、マルト・スタムが友人にカンチレバーチェアの構造を紙に書いて説明したことがありました。そのパーティにはドイツ出身の建築家、ミース・ファン・デル・ローエも出席していました。そのスケッチの内容がどのようにミース・ファン・デル・ローエに知られたかは謎ですが、彼はその後すぐ独自のカンチレバー構造の椅子づくりを始めました。
翌1927年、ドイツのシュトゥットガルトで開かれた展示会で、スタムとローエはそれぞれ、カンチレバー構造の椅子を発表します。ここでローエが賢かったのは、カンチレバーチェアの椅子の「形」ではなく、「サスペンションシステム」の特許を、この展示会の3日前に取得していたことでした。パイプ自体もスタムの椅子よりずっと頑丈で、揺れのしなやかさもパワーアップ。ローエの椅子はその後1930年に〈トーネット〉ブランドとして発売され、名作椅子の仲間入りをすることになります。
バスケット編みの椅子《S533》
写真の名作椅子は現在〈トーネット〉では《S533》と呼ばれ、アームなしのみ販売されています。〈ノル〉では《MR チェア》(Mies Roheの頭文字をとったもの)として、アームなしとアームチェアとの2種類を販売。〈トーネット〉といえばベントウッドと籐のシートがトレードマークですが、籐のシートのものだけは〈トーネット〉オンリーの商品です。
さて、この籐をよく見ると、編み方も昔ながらのバスケットの作りと同じ手作業で、かなり凝っています。バスケットという、このある意味女性らしいアイデアは、いったいどこから来たのでしょう。
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さて、この籐をよく見ると、編み方も昔ながらのバスケットの作りと同じ手作業で、かなり凝っています。バスケットという、このある意味女性らしいアイデアは、いったいどこから来たのでしょう。
「消された」女性デザイナー、リリー・ライヒ
実は〈トーネット〉からこのカンチレバー構造の椅子が販売された当初、デザイナー名として「MR」と「LR」(ミース・ファン・デル・ローエとリリー・ライヒ)の2人がクレジットされていました。ライヒはローエのビジネス・プライベート両方のよきパートナーでした。
しかし、販売戦略としては有名なデザイナーの名前のみ記載する方が好ましいということで、残念ながら後にリリー・ライヒの名前は消されてしまうのです。アイリーン・グレイがそうだったように、まだ女性がデザイナーとして脚光を浴びることのできる時代ではなく、彼女の偉業もまた、男性社会によって無視されてしまったのでした。
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ローエのよきパートナー、ライヒの功績
リリー・ライヒはドイツ人のテキスタイル、エキジビション、工業デザイナー、そしてバウハウスでも活躍した女性です。ローエはライヒと知り合ってからアメリカに渡るまでの13年間、数々の名作やプロジェクトを発表しました。これが才能あるパートナーの助力によるところが大きかったことは、意外に知られていない事実です。
ミース・ファン・デル・ローエの作品は、リリー・ライヒという女性の感性のフィルターも通しているため、ハイテク技術の中にもエレガントさが内在し、バランスのとれた美しいデザインとなっているといえます。
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カンチレバーチェアは、スチールパイプという素材や「片持ち梁」というサスペンション構造を採用したことからしても、20世紀の家具デザイン史に残る大変重要なデザインの椅子です。開発にはさまざまなドラマがあったようですが、建築家やデザイナーが研究に熱中し、こだわってつくり出したこれら一連のチェアを、20世紀を代表する名作家具と呼べることは確かでしょう。
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