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スタイルのルーツ:モダン建築の誕生
プレーリー、クラフツマン、アールデコなど20世紀初頭に現れたスタイルが今日の建築に与えた影響とは?
Steven Randel
2015年4月8日
モダニズムは住宅建築にどのような影響を与えたのだろうか? この記事では、さまざまなスタイルの発展を通して、建築における「モダン」をとらえていく。建築における「モダン」とは、それまでのスタイルの解釈や影響を拒否した、まったく新しい美の創造だった。
20世紀初頭のモダン住宅のデザインは、2つの段階を経て発展した。最初の段階にあたるのプレーリースタイルとクラフツマンスタイルは第一次世界大戦とともにすたれ、続いてアートモダン、アールデコ、インターナショナルといったスタイルが出現する。この2つ目の段階は1930年代にあたるが、第二次世界大戦が勃発したため期間は短く、最初の段階ほど数多くの作品がつくられることはなかった。
1900年頃、「プレーリー派」と呼ばれるフランク・ロイド・ライトらアメリカ中西部の建築家たちの一派が、新しいスタイルを作り出した。彼らの建築はそれまでの装飾スタイルに倣うことなく、シンプルな素材を堂々と使い、水平性を強調したソリッドなフォルムをつくり、ディテールにユニークな意匠を用いた。
20世紀初頭のモダン住宅のデザインは、2つの段階を経て発展した。最初の段階にあたるのプレーリースタイルとクラフツマンスタイルは第一次世界大戦とともにすたれ、続いてアートモダン、アールデコ、インターナショナルといったスタイルが出現する。この2つ目の段階は1930年代にあたるが、第二次世界大戦が勃発したため期間は短く、最初の段階ほど数多くの作品がつくられることはなかった。
1900年頃、「プレーリー派」と呼ばれるフランク・ロイド・ライトらアメリカ中西部の建築家たちの一派が、新しいスタイルを作り出した。彼らの建築はそれまでの装飾スタイルに倣うことなく、シンプルな素材を堂々と使い、水平性を強調したソリッドなフォルムをつくり、ディテールにユニークな意匠を用いた。
プレーリー
フランク・ロイド・ライトは、20世紀の住宅建築のスタイルを創りだした重要な建築家だ。1893年に手がけたイリノイ州リバーフォレストのウィンズローハウスは、20世紀の多くの流れを予見していた。当時主流だったヴィクトリア調とは異なり、この家のデザインはシンプルで統一された美的感覚に貫かれ、大地にしっかり根をおろし、周囲の景観と有機的な関係性を結んでいる。ライトが提唱した他の構想、たとえば「ブロードエーカー」と呼ばれる田園都市計画は、自動車社会の到来を予見しながら構想されていた。
こちらの家は、アメリカ人にはなじみのあるものかもしれない。アメリカ全土的に広く普及し、さまざまな形で今も残っているスタイルだ。ゆったりと広いフロントポーチには寄棟屋根がかかり、寄棟のドーマーから屋根裏の空間も光が入る。家を取り囲むように庇(ひさし)のラインが水平に伸び、家全体の高さを控えめに見せている。
フランク・ロイド・ライトは、20世紀の住宅建築のスタイルを創りだした重要な建築家だ。1893年に手がけたイリノイ州リバーフォレストのウィンズローハウスは、20世紀の多くの流れを予見していた。当時主流だったヴィクトリア調とは異なり、この家のデザインはシンプルで統一された美的感覚に貫かれ、大地にしっかり根をおろし、周囲の景観と有機的な関係性を結んでいる。ライトが提唱した他の構想、たとえば「ブロードエーカー」と呼ばれる田園都市計画は、自動車社会の到来を予見しながら構想されていた。
こちらの家は、アメリカ人にはなじみのあるものかもしれない。アメリカ全土的に広く普及し、さまざまな形で今も残っているスタイルだ。ゆったりと広いフロントポーチには寄棟屋根がかかり、寄棟のドーマーから屋根裏の空間も光が入る。家を取り囲むように庇(ひさし)のラインが水平に伸び、家全体の高さを控えめに見せている。
この家は上の家に似ているが、その発展形といえるものであり、さらに一般に広く普及している。同様に水平方向のラインを強調し、このスタイルの特徴である広いひさしを持っている。このタイプの住宅にはフォースクエアと呼ばれるものもあり、ボリューム感のあるシンプルな立面はプレーリースクールが創り出した美的感覚を受け継いでいる。
この新しい家は、プレーリースタイルの細部を忠実に取り入れつつ、全体的な印象として、北米で建設された数十万戸の同じような形の住宅の特徴を備えている。ゆるやかな勾配の寄棟屋根と広い庇(ひさし)、低く横長の立面のデザインは車庫をうまく取り込んでいる点は、アメリカの20世紀後期の住宅の重要な特徴といえる。プレーリースタイルの時代は1900~1920年と比較的短かったが、その影響はランチスタイルへ受け継がれ、1930年代以降の20世紀全体にわたって建造された。
クラフツマン
このスタイルはカリフォルニアで1903年頃に始まり、20世紀のアメリカで最も広く普及した住宅スタイルの1つだ。カリフォルニア州パサデナの建築家、グリーン兄弟は、イギリスのアーツ&クラフツ運動やアジアの木造建築の影響を受けつつ、細部に木を豊富に使った「バンガロー」と呼ばれるタイプの住宅を開発した。親しみやすい雰囲気とあたたかさを感じさせるディテールは小さくて控えめな住宅にも取り入れられるし、大きな邸宅なら凝った表現も可能だ。
このスタイルは広く普及したため、多くのバリエーションがあるが、普通はゆったりしたフロントポーチのディテールに特徴が現れている。こちらの例のように、先細の煉瓦作りの台の上に直線的な柱を立てるのは一般的だが、ディテールの工夫はさまざまだ。
ほとんどの場合、装飾用の腕木で破風板(切妻端の斜めのひさし)を支える。窓枠部材の上の横木の端を広くしたスタイルも一般的だ。
ポーチの手すりに注目してほしい。細部に変化をつけることで個性を出している住宅は多い。外壁にはこけら板も使えるし、下見板張りやスタッコ仕上げの場合もある。こちらの家もそうだが、ポーチの台や煙突には煉瓦が使われる場合が多い。
このスタイルはカリフォルニアで1903年頃に始まり、20世紀のアメリカで最も広く普及した住宅スタイルの1つだ。カリフォルニア州パサデナの建築家、グリーン兄弟は、イギリスのアーツ&クラフツ運動やアジアの木造建築の影響を受けつつ、細部に木を豊富に使った「バンガロー」と呼ばれるタイプの住宅を開発した。親しみやすい雰囲気とあたたかさを感じさせるディテールは小さくて控えめな住宅にも取り入れられるし、大きな邸宅なら凝った表現も可能だ。
このスタイルは広く普及したため、多くのバリエーションがあるが、普通はゆったりしたフロントポーチのディテールに特徴が現れている。こちらの例のように、先細の煉瓦作りの台の上に直線的な柱を立てるのは一般的だが、ディテールの工夫はさまざまだ。
ほとんどの場合、装飾用の腕木で破風板(切妻端の斜めのひさし)を支える。窓枠部材の上の横木の端を広くしたスタイルも一般的だ。
ポーチの手すりに注目してほしい。細部に変化をつけることで個性を出している住宅は多い。外壁にはこけら板も使えるし、下見板張りやスタッコ仕上げの場合もある。こちらの家もそうだが、ポーチの台や煙突には煉瓦が使われる場合が多い。
こちらの改築した家には、スタッコ仕上げの台の上に、先細の木の柱を立てている。さきほどの切妻が正面を向いた家とは対照的に、屋根は横向きの切妻だ。主屋根を貫く片流れドーマーは、クラフツマンスタイルの特徴。また、スタッコとこけら板の両方を使っている点にも注目。
この新しい家のデザインには、クラフツマンスタイルの原型によく見られるディテールが見られるが、「ネオクラフツマンスタイル」の特徴のいくつか備えている。ポーチの柱の間のアーチ状の構造、主屋根に包まれたデッキへとつながるフランス扉、それと低い手すりは、明らかに現代的なアレンジスタイルだ。
アールデコ
建築の世界で「モダン」といえば、普通は白いスタッコやガラス壁、平屋根を思い出す。いずれも、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期に発展した、アールデコ、アートモダン、インターナショナルという3つのスタイルの特徴。これら3つのスタイルは「機械の時代」の産物だ。当時、世界の先進国はすでに工業化時代に入っており、工業化時代の特徴は、新しい美的感覚として建築にも取り入れられた。
インターナショナルスタイルはル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエなどの建築スタイルを中心にヨーロッパで発展した。フィンランド人建築家のエリエル・サーリネンが1922年にシカゴで開かれた重要なコンペで2位に入選し、アールデコが世間に認められた。
アールデコの影響を受けた新しい住宅は、垂直方向を強調したこのスタイルの特徴をよく示している。当時建てられたアールデコ住宅の多くは、ドアや窓枠に山形模様の装飾や胡麻殻、溝彫りなどの装飾が施されるなど、細部が非常に凝っていた。アールデコは1930年代の商業ビルや共同住宅に非常によく見られる、応用しやすいスタイルだった。
建築の世界で「モダン」といえば、普通は白いスタッコやガラス壁、平屋根を思い出す。いずれも、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期に発展した、アールデコ、アートモダン、インターナショナルという3つのスタイルの特徴。これら3つのスタイルは「機械の時代」の産物だ。当時、世界の先進国はすでに工業化時代に入っており、工業化時代の特徴は、新しい美的感覚として建築にも取り入れられた。
インターナショナルスタイルはル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエなどの建築スタイルを中心にヨーロッパで発展した。フィンランド人建築家のエリエル・サーリネンが1922年にシカゴで開かれた重要なコンペで2位に入選し、アールデコが世間に認められた。
アールデコの影響を受けた新しい住宅は、垂直方向を強調したこのスタイルの特徴をよく示している。当時建てられたアールデコ住宅の多くは、ドアや窓枠に山形模様の装飾や胡麻殻、溝彫りなどの装飾が施されるなど、細部が非常に凝っていた。アールデコは1930年代の商業ビルや共同住宅に非常によく見られる、応用しやすいスタイルだった。
アールモデルヌ
主に商業ビルよりも住宅に普及したアールモデルヌは、「ムダのないマシンのような趣き」がテーマ。自動車や船、トースターなど、あらゆるものに取り入れられた。こちらの例では、ガラスブロックを使った壁の曲面に注目したい。今ではアールモデルヌに分類される住宅はほとんどないが、半透明な壁や窓をつくる素材として、ガラスブロックは今でもアメリカの住宅の多くで使われている。
主に商業ビルよりも住宅に普及したアールモデルヌは、「ムダのないマシンのような趣き」がテーマ。自動車や船、トースターなど、あらゆるものに取り入れられた。こちらの例では、ガラスブロックを使った壁の曲面に注目したい。今ではアールモデルヌに分類される住宅はほとんどないが、半透明な壁や窓をつくる素材として、ガラスブロックは今でもアメリカの住宅の多くで使われている。
インターナショナル
1920年代から1930年代にかけて、ヨーロッパの建築家たちは、装飾はもう必要ない、すべての要素は機能を果たすためだけにある、という哲学に傾倒した。建築物の美しさは、機械仕上げの材料がもつ精確性と構造の透明性によってのみ達成すべきだと考えたのだ。こうして、史上初めて、外壁は構造の一部ではなくなり、カーテンウォール(張り壁)と呼ばれるものになった。構造体(通常は鉄筋または鉄骨)は建物の内部にとりこまれ、できるだけ屋内空間を自由に使えるように支持構造を配置した。
こちらの家では各要素がシャープに配置されている。円筒の煙突は壁から離して設置されており、窓の上の壁も浮いているように見えるし、屋内の空間だけでなく屋外の空間も取り込んでいるかのようなフォルムだ。窓は集中的、または長い列のように配置され、窓枠も非常に細い。
1920年代から1930年代にかけて、ヨーロッパの建築家たちは、装飾はもう必要ない、すべての要素は機能を果たすためだけにある、という哲学に傾倒した。建築物の美しさは、機械仕上げの材料がもつ精確性と構造の透明性によってのみ達成すべきだと考えたのだ。こうして、史上初めて、外壁は構造の一部ではなくなり、カーテンウォール(張り壁)と呼ばれるものになった。構造体(通常は鉄筋または鉄骨)は建物の内部にとりこまれ、できるだけ屋内空間を自由に使えるように支持構造を配置した。
こちらの家では各要素がシャープに配置されている。円筒の煙突は壁から離して設置されており、窓の上の壁も浮いているように見えるし、屋内の空間だけでなく屋外の空間も取り込んでいるかのようなフォルムだ。窓は集中的、または長い列のように配置され、窓枠も非常に細い。
こちらのロサンゼルスの家は、屋根が浮かんでいるように見せる建築家の工夫に注目。窓は、外観の印象の決め手となる大きなものか、建物の角を包む横長のリボン状に配列している。壁は、大きなブロックのように重厚でソリッドだ。ディテールは平坦でなめらかに仕上げている。
バーモント州にあるこちらのすばらしい家は、2階部分の片持ち構造が入口を守るような形になっている。ディテールは明快な印象を与える。窓とドアは水平方向に一直線に並び、天井や床と同じく飾りがない。テラス部分が斜面から浮いて前に伸びていることに注目。ただし手すりを付けると景観を損ねるので、テラスは地面からあまり高くならないように設計されている。
特にドイツのバウハウスの強く影響を受けたインターナショナルスタイルは、今日に至るまで、建築という分野において、非常に重要な影響力を発揮している。
歴史的に見ても、インターナショナルスタイルがたどった道は非常に興味深い。このスタイルがヨーロッパで流行したのは第二次世界大戦前だが、戦後はしばらく顧みられず、その後、20世紀の後半に再び人気を取り戻した。アメリカでは、アールデコやアールモデルヌは別として、1920年代から1930年代にかけての住宅のスタイルはそのほとんどが、従来のスタイルのリバイバルや折衷主義だった。
アメリカでインターナショナルスタイルが主流のスタイルとして根付いたのは第二次世界大戦が終わってからだ。そのことについてはまた別のアイデアブックで見ていきたい。
特にドイツのバウハウスの強く影響を受けたインターナショナルスタイルは、今日に至るまで、建築という分野において、非常に重要な影響力を発揮している。
歴史的に見ても、インターナショナルスタイルがたどった道は非常に興味深い。このスタイルがヨーロッパで流行したのは第二次世界大戦前だが、戦後はしばらく顧みられず、その後、20世紀の後半に再び人気を取り戻した。アメリカでは、アールデコやアールモデルヌは別として、1920年代から1930年代にかけての住宅のスタイルはそのほとんどが、従来のスタイルのリバイバルや折衷主義だった。
アメリカでインターナショナルスタイルが主流のスタイルとして根付いたのは第二次世界大戦が終わってからだ。そのことについてはまた別のアイデアブックで見ていきたい。
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