母が私に教えてくれたこと——母・森瑤子の思い出に寄せて
母から教わったこと、知らず知らずのうちに影響を受けたこと。Houzzコントリビューターで、作家の森瑤子さんの娘であるヘザー・ブラッキンさんによる母の日エッセイをお届けします。
ブラッキン・ヘザー
2019年5月12日
Houzz contributor.
Home Life Style インテリア、収納空間デザイン。
「贅沢な時間を過ごせる、あなたらしい心地よい住まいづくり」をモットーに、一人ひとりの個性や「好き」を引き出しながらのインテリアのコーディネーション、
より快適な暮らしのためのライフスタイルに合わせた収納計画のご提案をいたします。
著書「ふつうの住まいでかなえる外国スタイルの部屋づくり(文藝春秋)
Interior decoration and storage space planning in Tokyo, Japan. English/Japanese bilingual, with interior design and decoration experience in Europe and Japan.
Houzz contributor.
Home Life Style インテリア、収納空間デザイン。
「贅沢な時間を過ごせる、あなたらしい心地よい住まいづくり」をモットーに、一人ひとりの個性や「好き」を引き出しながらのインテリアのコーディネーション、
より快適な暮らしのためのライフスタイルに合わせた収納計画のご提案をいたします。
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私が母から影響を受けたことは、数え切れないほどあります。自分でよくわかっていることもあれば、第三者に「お母様にそっくりね」と言われて知る、自分ではまったく気づいていないことも。顔や仕草といった見えるところだけではなく、考え方や暮らしに関するこだわりにも、似ているところがたくさんあります。それは「似ている」というよりも、自然と影響を受けてきた結果、今の私がいると表現したほうがいいのかもしれません。18歳まで一緒に暮らし、毎日を一緒に過ごした母と娘なので、それはごく当たり前のこと。今の自分は、母から影響を受けたそういった物事をできるだけ生かしながら、自分流の生き方と、居心地のよい暮らしを見つけ出しているように思います。
母から受け継いだインテリアへの想い
作家の仕事やプライベートで世界中を旅行していた母は、旅先での出会いをインスピレーションに、家づくりを楽しんでいました。
母は「見つけ上手」で、アンティークショップからストリートマーケットまで、さまざまなロケーションで素敵なものや不思議なものと出会うと、子供のように興奮していました。そんな数々のエピソードが、今でも私の記憶に残っています。お店の人とついつい長く話し込んでしまったり、アトリエを訪れるうちに陶芸作家とお友達になってしまったり。旅は母にとって、人と物との出会いのきっかけだったのでしょう。確かに、母のような小説家としてはそれも重要なことだったのだと思います。
作家の仕事やプライベートで世界中を旅行していた母は、旅先での出会いをインスピレーションに、家づくりを楽しんでいました。
母は「見つけ上手」で、アンティークショップからストリートマーケットまで、さまざまなロケーションで素敵なものや不思議なものと出会うと、子供のように興奮していました。そんな数々のエピソードが、今でも私の記憶に残っています。お店の人とついつい長く話し込んでしまったり、アトリエを訪れるうちに陶芸作家とお友達になってしまったり。旅は母にとって、人と物との出会いのきっかけだったのでしょう。確かに、母のような小説家としてはそれも重要なことだったのだと思います。
そのため、私達家族が暮らしていた家には、アジアやアフリカ、ヨーロッパの国々、オーストラリア、アメリカなど、あらゆる場所から集まった不思議なものがたくさんありました。たとえばモロッコの旅で、通りがかりに古い窓のシャッターに一目惚れしてしまい、乗っていたタクシーを止めてまで買いに行った、というエピソードもありました。「これはどのように使えるかしら?」とアイデアを練るのが、ひとつの楽しみでもあったようです。
母らしかったミックススタイル
母が憧れていたのは、地中海の国々を思わせるような、ナチュラルでいてややミステリアスなムードも含まれた、エキゾチックなテイストの空間でした。建て替えた実家では、漆喰の壁やテラコッタタイルが敷かれた床という空間の中に、京都の古民家が取り壊された際に出た廃材を丸ごと買い取って、梁や柱、階段などに使っていました。そんな部屋の窓に、ヴェネチアで見つけたレースをカーテンにして使っていたり、着物の帯のようなデザインのクッションがソファに置いてあったり、という具合です。
母が憧れていたのは、地中海の国々を思わせるような、ナチュラルでいてややミステリアスなムードも含まれた、エキゾチックなテイストの空間でした。建て替えた実家では、漆喰の壁やテラコッタタイルが敷かれた床という空間の中に、京都の古民家が取り壊された際に出た廃材を丸ごと買い取って、梁や柱、階段などに使っていました。そんな部屋の窓に、ヴェネチアで見つけたレースをカーテンにして使っていたり、着物の帯のようなデザインのクッションがソファに置いてあったり、という具合です。
そんなミックススタイルに違和感がなく、居心地のよさが感じられたのは、きっと母にとってひとつひとつのものに意味が含まれていたからなのだと思います。ファッションでも同じように、レースのスカートにいきなりカウボーイブーツを履いたり、普通ではなかなか勇気が出せない斬新な組み合わせが、母のスタイルのトレードマークのようになりました。母の友人の一人から「和服を着て、あれだけ派手なイヤリングをつけても違和感がないのは森さんぐらいよね」と当時、言われたことがありますが、それぐらいルールを気にせず、自由にインテリアもファッションも楽しんでいたのでしょう。ルールを破るということで個性が初めて発掘されるのかもしれません。
私と母とは、インテリアもファッションの好みも、正反対と言えるぐらい違います。どちらかといえば華やかでエキゾチックなイメージが好きだった母と比べて、私はシンプルでナチュラル、ピュアで落ち着いたスタイルが好きなのは、もしかしたら過ごした時代の影響もあるかもしれません。母が作家・森瑤子としてのピークを楽しんでいた年代に自分もさしかかり、私達2人の人生や暮らし方はどれだけ違うんだろう、と思うこともあります。
母が生きていたら今年で76才。どんなスタイルの家で暮らし、どんなファッションを身につけていたのでしょう。自分の世界をつくり上げていた人だったので、きっと時代や流行に左右されず、あのままなのかもしれません。
母が生きていたら今年で76才。どんなスタイルの家で暮らし、どんなファッションを身につけていたのでしょう。自分の世界をつくり上げていた人だったので、きっと時代や流行に左右されず、あのままなのかもしれません。
「自分の『好き』を見つけなさい」
母に言われた最も印象的な言葉は、「自分の『好き』を自分で見つけなさい」ということ。仕事でもいいし、趣味でもいい。自分の幸せは他人に頼らずに自分で見つけることが大事だ、と常に言い聞かされていました。
もちろん、家族や友達など周りの人たちも大切な存在で、その人たちからも幸せを受け取るのは当然のこと。そして誰でも、家族や友達に幸せを与えてあげたいと思いますよね。でも「人にだけ頼っての幸せは、ゆくゆく不幸にもつながることもある」と母に言われたことが、ずっと忘れられません。自分の幸せとは、誰にもでもなく、自分自身に責任があること。誰だって一人きりの時間があり、辛い出来事や寂しいときもある。そんなときに頼れるのが、自分で見つけた「好き」なのです。
母に言われた最も印象的な言葉は、「自分の『好き』を自分で見つけなさい」ということ。仕事でもいいし、趣味でもいい。自分の幸せは他人に頼らずに自分で見つけることが大事だ、と常に言い聞かされていました。
もちろん、家族や友達など周りの人たちも大切な存在で、その人たちからも幸せを受け取るのは当然のこと。そして誰でも、家族や友達に幸せを与えてあげたいと思いますよね。でも「人にだけ頼っての幸せは、ゆくゆく不幸にもつながることもある」と母に言われたことが、ずっと忘れられません。自分の幸せとは、誰にもでもなく、自分自身に責任があること。誰だって一人きりの時間があり、辛い出来事や寂しいときもある。そんなときに頼れるのが、自分で見つけた「好き」なのです。
仕事に没頭してもいいし、楽器を弾くとか、絵を描くとか、本を読むとか、何か自分を救ってくれるもの—―。それは、母にとっては文章を書くことでした。仕事であったとはいえ、母にとっては、周りの現実から逃げ出すひとつの方法が、自分が書く世界の中に入り込んでしまうことだったのでしょう。
家庭と仕事を上手に両立している女性を母親に持つと、娘たちにもバリバリ仕事をして自分のキャリアを持つことを期待され、そして実際にそう教え込まれたのでは、と人には思われがちですが、実は母はまったくその反対でした。仕事をしたければすればいい。でも家庭を持って専業主婦になりたければ、それはそれで素晴らしいことだ、と言っていました。ただし、その場合でもやはり「自分というものを失わないこと」を約束させられました。
だからこそ、自分の「好き」を見つけなさい、と繰り返し言っていたのでしょう。いざというときに逃げ込める世界は、誰にとっても、息抜きに、または救いのために、必要なものなのかもしれません。
だからこそ、自分の「好き」を見つけなさい、と繰り返し言っていたのでしょう。いざというときに逃げ込める世界は、誰にとっても、息抜きに、または救いのために、必要なものなのかもしれません。
母の人生と私の人生
30代半ばの母の人生は、夫と子供中心に回っていました。そんな自分をあるとき見つめ、「私は一人の男の妻と、母親という役割以外に何もない女だ」と感じて辛い時期を迎え、それをきっかけに小説を書き始めたのです。たまたま応募した作品が「すばる文学賞」を受賞し、作家の森瑤子としてデビュー。その作品の名前が『情事』(集英社文庫)。フィクションでありながらも、当時の彼女を知っている私は、自分を失いかけていた主人公の女性のどこかに、母の面影を感じます。
30代半ばの母の人生は、夫と子供中心に回っていました。そんな自分をあるとき見つめ、「私は一人の男の妻と、母親という役割以外に何もない女だ」と感じて辛い時期を迎え、それをきっかけに小説を書き始めたのです。たまたま応募した作品が「すばる文学賞」を受賞し、作家の森瑤子としてデビュー。その作品の名前が『情事』(集英社文庫)。フィクションでありながらも、当時の彼女を知っている私は、自分を失いかけていた主人公の女性のどこかに、母の面影を感じます。
そんな私の「好き」は、インテリアや暮らしに関係するもの。物心つく頃から、部屋の模様替えや実家のリビングに置いてあるあれこれを整理したり並べたり、ものを勝手に飾ったりしていました。ハイスクール時代に「将来はインテリアの仕事がしたい」と、イギリスの大学を調べ始めたとき、母は反対せずに私の背中を押してくれました。大学を卒業する頃には、ロンドンや東京の、母の知り合いのあらゆる一流デザイン事務所を紹介してくれようとしたのですが、私はすべて拒否し、一人でベルギーのアントワープにある小さなデザイン事務所に就職しました。母はもしかすると、インテリアデザイナーとしての私にもっと大きな夢を描いていたのかもしれませんが、マイペースな私は、こじんまりとした小さな事務所で自由に働きたかったのです。
最初はかなり不服そうだった母は、それでも娘が自分で選んだ道を信じ、それ以上は何も言わずに見守ってくれました。きっと内心「やりたかったらやってみなさい。ダメだったらどうせ私のところへ泣きついてくるでしょう」と思っていたのでしょうね。結果的には、私はマイペースで自分の道をそのまま歩み続けることになりました。
最初はかなり不服そうだった母は、それでも娘が自分で選んだ道を信じ、それ以上は何も言わずに見守ってくれました。きっと内心「やりたかったらやってみなさい。ダメだったらどうせ私のところへ泣きついてくるでしょう」と思っていたのでしょうね。結果的には、私はマイペースで自分の道をそのまま歩み続けることになりました。
なぜ母はやや不服ながらも猛反対しなかったのだろうと思うことがあります。それはきっと、自分の若い頃を思い出したからでしょう。小さい頃から両親にヴァイオリンを勧められ、藝大の器楽科を卒業したにもかかわらず、自分は一生ヴァイオリンで生きて行くつもりはない、と両親の反対を押し切って広告代理店に就職した母。結果的にはコピーライターとしての仕事を通して、本来持っていた才能が生かされ、もしかしたらそれが10数年後に文学の世界へ導いてくれたきっかけになったのかもしれません。自分の道を選び、それを押し通したことによっての結果を見て、母はある意味で同じようなことをしている娘を信じるしかないと思ったのでしょう。
今でも私の「好き」は変わっていません。それに加え、ここ数年は文章を書く楽しさを知り、こんなふうに、大好きなインテリアや暮らしに関しての執筆もすることができている今の私を、母に見て欲しかったと思います。
「下手な文章でよくもまあ、がんばってるわね」と、なんとなく頭の中で母の声が聞こえてくるような気がしますが、ちゃんと自分が教えた通りにやっていることには、きっと安心していることでしょう。
「下手な文章でよくもまあ、がんばってるわね」と、なんとなく頭の中で母の声が聞こえてくるような気がしますが、ちゃんと自分が教えた通りにやっていることには、きっと安心していることでしょう。
パーフェクトではない空間が好き
ここで、母が書いた、住まいに関しての好きな文章をご紹介したいと思います。昔住んでいた実家や、母が原稿を書いている姿、一日の仕事を終えて「作家の森瑤子」から「お母さん」の顔に戻っていったときのことを思い出させてくれる文章です。
ここで、母が書いた、住まいに関しての好きな文章をご紹介したいと思います。昔住んでいた実家や、母が原稿を書いている姿、一日の仕事を終えて「作家の森瑤子」から「お母さん」の顔に戻っていったときのことを思い出させてくれる文章です。
「不完全な空間がいい」
人に会う約束があるときには、一時間前に書くことをやめるようにしている。そうしないと顔が元に戻らない。書くという内側を削り取る作業に没頭していた自分が、日常の表情を取り戻すためには、そのくらいの時間はかかるのだ。
人に会う約束があるときには、一時間前に書くことをやめるようにしている。そうしないと顔が元に戻らない。書くという内側を削り取る作業に没頭していた自分が、日常の表情を取り戻すためには、そのくらいの時間はかかるのだ。
パーフェクトな空間が苦手なのは、そうした緊張を強いられる仕事をしているせいだろうか。完全すぎると息がつかない。どこか不完全なところがないとイヤだ。だから、私の家には、一部屋に一箇所は必ずやり残したところがある。そうした部分があったほうが、自分の“すみか”という感じがするのだ。
メタリックでモダンな建築よりは、もののいきづきの感じられるような自然素材を使った空間がいい。緑があったり、庭の土が見えるナチュラルで優しい空間。もし、理想がかなうなら、木と漆喰で造られたスペイン風の曲線のある家に住みたい。周囲の環境を含めた住空間そのものが私にとっては重要であり、贅沢でありたい部分なのだ。
(『Dream』 No.268 1987年1月)
(『Dream』 No.268 1987年1月)
この文章を読んで、私はやっぱり母の娘なんだなあ、と思いました。パーフェクトすぎる空間では落ち着かず、つまらなく感じます。どこか「抜け感」があり、気持ちがすーっと落ち着く部屋は、私自身が求めるもの。母が言うような「やり残し」だけに限らず、「つくり込み過ぎていない」さりげなさがある風景が、私にとって「抜け感」のある空間だと思っています。たとえば、本棚の本が倒れかかっていたり、家具のペンキが多少剥がれていても気にしないこと。ディスプレイはぴったりシンメトリーや三角方式につくり込みすぎないこと。花瓶の代わりに、たまたまあった器にお庭で摘んだお花を飾るなど、好きなものを好きなように使ったり、置いたりするのが母、そして私流のインテリアの楽しみ方なのです。
すべてのものにストーリーのある空間
好みが違っていても、共通しているのは、母も私もひとつのテイストに縛られず、好きなものを好きなようにミックスすること。過去に住んでいた国々から集めてきたもの、旅先で見つけたもの、海岸など自然界で拾ったもの、手作りのものなど、わが家でもさまざまなバックグラウンドを持つアイテムを愛用しています。ひとつひとつに物語があるものに囲まれていると、毎日の生活もいきいきと楽しくなるような気がします。
好みが違っていても、共通しているのは、母も私もひとつのテイストに縛られず、好きなものを好きなようにミックスすること。過去に住んでいた国々から集めてきたもの、旅先で見つけたもの、海岸など自然界で拾ったもの、手作りのものなど、わが家でもさまざまなバックグラウンドを持つアイテムを愛用しています。ひとつひとつに物語があるものに囲まれていると、毎日の生活もいきいきと楽しくなるような気がします。
そこにあるものを手に取って「これはね……」と話ができる楽しさ。相手にとっても、その家の奥深さが感じられ、ちょっとした冒険をしているような気分になったりもします。家を訪れた人が、ただ「素敵だな」と思うだけではなく、実際に住んでいる人たちの存在を感じて欲しい。昔、家族で住んでいた実家がまさにそういう家でした。実際に父や母がその部屋にいなくても、存在だけは大きくしっかりと感じられた住まいでした。
自分の空間に息づく母の「物語」
母が家に飾っていたもの、愛用していた食器などは、今もわが家で大切に使っています。インテリアの好みは違っても、母が大切にしていたものが、自然と今の私の住まいに溶け込んでいるのはなぜでしょう。やはりそれは「母のものだった」といったひとつの物語が、どのアイテムにもあるからなのかもしれません。母と一緒の時間を過ごしてきたそれらのものは、私の一生の宝物です。
今日は母の日。母の思い出にまつわる少し長いお話を書いてみました。皆さんもお母様に習ったこと、影響されたことを、今日この日に振り返ってみてはいかがでしょう。
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インテリアについて専門家に相談するなら、こちらから
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有難うございます。私は現在55歳。森瑤子さんの大ファンで女子美の学生の頃は森瑤子さんの作品を全て読み、生き方・生活環境・インテリア・ファッションなど全てに大きな影響を受けて大人になりました。大学を卒業してデザイナ-になり結婚しても仕事を続け、恋愛も旅もお洒落なライフスタイルを過ごしたのは瑤子さんの生活・行き方が私のバイブルだったからでしょう!
私が初めて瑤子さんにお目に掛かったのは山本マスヒロさんの結婚PARTYでした。瑤子さんはバカンス焼けした浅黒いお肌にエスニックなドレス?と大きなバンダナを巻いてかなり個性的な出で立ちでしたが~森曜子さんそのものでした。
私の今の年齢ではドキドキするような恋はもう有りませんが~三度結婚して恋多き人生を送り仕事と世界中を旅する事とそして何より自分の家で美味しい料理を作ってお友達を招いて喜んで貰える空間を共有することが私の大好きな時間。
今でも年に数回の海外旅行と軽井沢で過ごし本当に気心の知れた仲間とワインと手料理の生活が大好き!世界中からハンドキャリ-した好きなものに囲まれて。。。
森曜子さん!本当に有難うございました。私の人生~瑤子さんと遭わなければ全然違う人生になっていたことでしょう!そして私はこの行き方に誇りを持っています。
与論にお墓参りに行ったくらい森曜子さんを愛しています!(笑)
2016,5,8(母の日) 三宅(長谷井)康代