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映画『アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー』が明かす「近代建築の母」の波乱万丈の人生
ヒット映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』のストーリーの背後にある史実とは? 専門家たちの検証に基づくアイリーン・グレイのドキュメンタリー映画が公開され、静かな注目を集めています。
Junko Kawakami
2017年11月10日
Freelance since 1999.
20世紀に活躍した女性デザイナー兼建築家、アイリーン・グレイの生涯を、巨匠・ル・コルビュジエとの複雑な関係を軸にドラマとして描いた映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』が大きな話題を呼んでいるが、もう1本、グレイをめぐる映画が公開されている。『アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー』と題したこの作品は、建築史家や研究者、コレクターや修復家など、グレイの専門家たちに、5年にわたって丁寧に取材を重ねたドキュメンタリー作品だ。
映画の原題は 『Gray Matters』。「グレイに関わること」「グレイが重要」「(白黒つけられない)グレーなこと」という3つの意味にとれるフレーズだ。グレイについての著書もある建築史家のキャロライン・コンスタント(ミシガン大学)は「アイリーン・グレイとは、白と黒の間にあるすべて色が灰色(グレー)であるのと同じように、幅広く捉えにくい存在」と評しているが、映画は、芸術家として幅広い活動を展開しながら、ひとりの個人として波乱万丈な人生を送ったグレイの生涯を丹念に解き明かしていく。
映画の原題は 『Gray Matters』。「グレイに関わること」「グレイが重要」「(白黒つけられない)グレーなこと」という3つの意味にとれるフレーズだ。グレイについての著書もある建築史家のキャロライン・コンスタント(ミシガン大学)は「アイリーン・グレイとは、白と黒の間にあるすべて色が灰色(グレー)であるのと同じように、幅広く捉えにくい存在」と評しているが、映画は、芸術家として幅広い活動を展開しながら、ひとりの個人として波乱万丈な人生を送ったグレイの生涯を丹念に解き明かしていく。
写真:クリスティーズが開催したイブ・サンローランとパートナーのピエール・ベルジェの遺品オークションは「世紀のオークション」と呼ばれた
再注目のきっかけは、イブ・サンローランの遺品
『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』のドラマと同じく、このドキュメンタリーも、2009年にクリスティーズが開催したイブ・サンローランの遺品オークションから始まる。遺品の中にあったグレイの作品「ドラゴンチェア」の落札価格が予想の数倍にまではねあがり、モダン家具としては当時史上最高の1950万ドル(約28億円)に。これが世界中でニュースとなり、デザイナー、アイリーン・グレイが再び注目を集めるきっかけとなったのだった。
映画は、グレイの人生を追いながら、初期の注文家具から「アジャスタブルテーブル」「ビベンダムチェア」「ブリックスクリーン」などのモダンな家具、「E1027」などの建築まで、グレイのさまざまな作品を時代背景とともに紹介・解説していく。モダニズム建築やデザインのファンにとっては必見の映画である。
再注目のきっかけは、イブ・サンローランの遺品
『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』のドラマと同じく、このドキュメンタリーも、2009年にクリスティーズが開催したイブ・サンローランの遺品オークションから始まる。遺品の中にあったグレイの作品「ドラゴンチェア」の落札価格が予想の数倍にまではねあがり、モダン家具としては当時史上最高の1950万ドル(約28億円)に。これが世界中でニュースとなり、デザイナー、アイリーン・グレイが再び注目を集めるきっかけとなったのだった。
映画は、グレイの人生を追いながら、初期の注文家具から「アジャスタブルテーブル」「ビベンダムチェア」「ブリックスクリーン」などのモダンな家具、「E1027」などの建築まで、グレイのさまざまな作品を時代背景とともに紹介・解説していく。モダニズム建築やデザインのファンにとっては必見の映画である。
Authorised by The World Licence Holder Aram Designs Ltd., London.
貴族の娘と画家の駆け落ちから生まれた才能
『ル・コルビュジエとアイリーン』のドラマは彼女の生い立ちや若い頃の活動にはあまり触れていないが、このドキュメンタリーではそうした部分も丹念に紹介していく。アイリーンは貴族出身の母が中流階級出身の画家の父と駆け落ちして生まれた5人きょうだいの末っ子で、グレイ研究の第一人者であるジェニファー・ゴフ(アイルランド国立博物館)によれば「自由奔放な生き方を父から受け継ぎ、経済的な自由を母の財産から手に入れた」のだった。
1900年、母とともに訪れたパリ万博でアートに目覚め、ロンドンやパリでスケッチや絵画の学校に通った後、パリに居を移し、日本人漆職人菅原精造の元で漆工芸を学んだ。自分のアトリエを構えると今度は菅原を雇い、家具デザイナーとして活躍。優雅で独創的な彼女の作品は富裕層の間で高い人気を集めた。その後、気鋭の建築家ル・コルビュジエや、恋人で建築ジャーナリズムの重要人物だったジャン・パドヴィッチとの交流を通して建築を手がけるようになっていく。
貴族の娘と画家の駆け落ちから生まれた才能
『ル・コルビュジエとアイリーン』のドラマは彼女の生い立ちや若い頃の活動にはあまり触れていないが、このドキュメンタリーではそうした部分も丹念に紹介していく。アイリーンは貴族出身の母が中流階級出身の画家の父と駆け落ちして生まれた5人きょうだいの末っ子で、グレイ研究の第一人者であるジェニファー・ゴフ(アイルランド国立博物館)によれば「自由奔放な生き方を父から受け継ぎ、経済的な自由を母の財産から手に入れた」のだった。
1900年、母とともに訪れたパリ万博でアートに目覚め、ロンドンやパリでスケッチや絵画の学校に通った後、パリに居を移し、日本人漆職人菅原精造の元で漆工芸を学んだ。自分のアトリエを構えると今度は菅原を雇い、家具デザイナーとして活躍。優雅で独創的な彼女の作品は富裕層の間で高い人気を集めた。その後、気鋭の建築家ル・コルビュジエや、恋人で建築ジャーナリズムの重要人物だったジャン・パドヴィッチとの交流を通して建築を手がけるようになっていく。
写真:南太平洋の文化にインスピレーションを得て作られた注文家具
カメレオンのような芸術家
グレイは自分の芸術をアールデコといった特定のスタイルに分類されることを嫌がったし、バウハウスやデスティールなどのデザイン運動に属することもなかった。しかし、彼女は同時代の建築雑誌を読み漁り、後には編集にも関わりながら、先端のデザインと時代精神に触れ、それを自分のものにしていった。生涯にわたってさまざまなスタイルの作品を残したグレイについて、ゴフは「カメレオンのよう」と評するが、多彩な表現もまた彼女の魅力であることがよくわかる。
カメレオンのような芸術家
グレイは自分の芸術をアールデコといった特定のスタイルに分類されることを嫌がったし、バウハウスやデスティールなどのデザイン運動に属することもなかった。しかし、彼女は同時代の建築雑誌を読み漁り、後には編集にも関わりながら、先端のデザインと時代精神に触れ、それを自分のものにしていった。生涯にわたってさまざまなスタイルの作品を残したグレイについて、ゴフは「カメレオンのよう」と評するが、多彩な表現もまた彼女の魅力であることがよくわかる。
写真:機能と美を見事に一体化した数々の作品が登場する
実験精神の塊
多様な作品の数々は、気まぐれに生み出されたわけではない。例えば、当時西洋では誰も目を向けなかった漆という伝統技術をモダンなデザインに組み合わせて独自のスタイルの作品をつくったり、最新技術を駆使してスチールをいち早く家具にとり入れたりと、グレイは常に新しい挑戦をしながら作品を生み出していった。彼女にとって実験とは、もっと新しくて、もっと美しくて、もっと心地よい家具や空間をつくりだすために必要不可欠だったのだ。
実験精神の塊
多様な作品の数々は、気まぐれに生み出されたわけではない。例えば、当時西洋では誰も目を向けなかった漆という伝統技術をモダンなデザインに組み合わせて独自のスタイルの作品をつくったり、最新技術を駆使してスチールをいち早く家具にとり入れたりと、グレイは常に新しい挑戦をしながら作品を生み出していった。彼女にとって実験とは、もっと新しくて、もっと美しくて、もっと心地よい家具や空間をつくりだすために必要不可欠だったのだ。
写真:グレイがデザインした照明。専門家たちは、史上初のスチール家具の開発はブロイヤーではなくグレイが成し遂げたと考えている
家具も住宅も、ライフスタイルとともにあるもの
一見、大胆なまでにデザイン性の高い住宅や家具であっても、使ってみるととても心地よいのがグレイの作品の特徴だ。彼女のデザインの背景には「家や孤独な現代人を優しく包み込む殻(シェル)」であり、「家具はライフスタイルとともにあるもの」という信念があった。
コルビュジエが「近代建築の五原則」(1922年)で可動式の壁を提唱するよりも前にブリックスクリーンでそれを形にし、サヴォア邸より前にE1027で五原則すべてを実現してしまったグレイ。単なる嫉妬や愛憎関係では片付けられない二人の複雑で微妙な関係も、映画は専門家たちの研究を踏まえ、史実に基づき、丁寧に解説していく。
キュレーターのクレオ・ピティオ(ポンピドゥー・センター)は、「コルビュジエが近代建築の父なら、グレイは近代建築の母だった」と述べている。グレイというデザイナー・建築家は、常に時代を先取りし、現在私たちが当たり前としてライフスタイルをつくりだした先駆者のひとりだったのだ。
コルビュジエに消されかけた女性建築家、グレイの傑作「E1027」
アイリーン・グレイ「アジャスタブル テーブル」
家具も住宅も、ライフスタイルとともにあるもの
一見、大胆なまでにデザイン性の高い住宅や家具であっても、使ってみるととても心地よいのがグレイの作品の特徴だ。彼女のデザインの背景には「家や孤独な現代人を優しく包み込む殻(シェル)」であり、「家具はライフスタイルとともにあるもの」という信念があった。
コルビュジエが「近代建築の五原則」(1922年)で可動式の壁を提唱するよりも前にブリックスクリーンでそれを形にし、サヴォア邸より前にE1027で五原則すべてを実現してしまったグレイ。単なる嫉妬や愛憎関係では片付けられない二人の複雑で微妙な関係も、映画は専門家たちの研究を踏まえ、史実に基づき、丁寧に解説していく。
キュレーターのクレオ・ピティオ(ポンピドゥー・センター)は、「コルビュジエが近代建築の父なら、グレイは近代建築の母だった」と述べている。グレイというデザイナー・建築家は、常に時代を先取りし、現在私たちが当たり前としてライフスタイルをつくりだした先駆者のひとりだったのだ。
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