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名作住宅の復活:ロベール・マレ=ステヴァンスの1930年代の名作、カヴロワ邸
モダン建築遺産の1つ、マレ=ステヴァンスによるカヴロワ邸。一時は荒れ果てていた1930年築の名作住宅が、保存活動家たちの熱意により現代に蘇りました。
Houzz
2016年5月25日
カヴロワ邸は、北フランスの裕福な実業家ポール・カヴロワのためにロベール・マレ=ステヴァンスが設計したモダン建築の名作だ。マレ=ステヴァンスは、20世紀初頭にル・コルビュジェと並び活躍した近代建築の旗手で、先進的な視点の持ち主だった。それだけに、1932年に完成した「モダンな城」とも言うべきカヴロワ邸は、時代の先を行っていたようだ。そしてこの邸宅には、稀有な復活の物語がある。
カヴロワ邸の黄金時代は1930年代。その後、第二次世界大戦中にはドイツ軍が接収し兵舎として利用。戦後は、2つの世帯に分割して再びカヴロワ一族が住むようになった。1980年代、ポール・カヴロワに先立たれていたルシー夫人が亡くなると、邸宅は不動産業者に売却された。家具もばらばらに売り払われ、建物は荒れ果てた状態になってしまった。
カヴロワ邸が奇跡的にも復活したのは、ひとにぎりの熱意ある地域住民と建築家たちが、邸宅を買い取って修復するように国に働きかけた結果だ。修復にはおよそ2,300万ユーロがつぎ込まれ、綿密な復元作業が12年近く続いた。そしてついに2015年6月、一般公開にこぎつけたのだ。
それでは、この素晴らしいモダニスト建築の内部を見てみよう。
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カヴロワ邸の黄金時代は1930年代。その後、第二次世界大戦中にはドイツ軍が接収し兵舎として利用。戦後は、2つの世帯に分割して再びカヴロワ一族が住むようになった。1980年代、ポール・カヴロワに先立たれていたルシー夫人が亡くなると、邸宅は不動産業者に売却された。家具もばらばらに売り払われ、建物は荒れ果てた状態になってしまった。
カヴロワ邸が奇跡的にも復活したのは、ひとにぎりの熱意ある地域住民と建築家たちが、邸宅を買い取って修復するように国に働きかけた結果だ。修復にはおよそ2,300万ユーロがつぎ込まれ、綿密な復元作業が12年近く続いた。そしてついに2015年6月、一般公開にこぎつけたのだ。
それでは、この素晴らしいモダニスト建築の内部を見てみよう。
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「[建物の]役割は、その美しさで住む人の生活を楽しく幸せにするだけではない。外を通る人が足を止めて、そのたたずまいや調和のとれたフォルムを眺めたときに、ふと喜びや完璧さを感じるものであるべきだ。」
―ロベール・マレ=ステヴァンス
どんなHouzz?
竣工当時の所有者:裕福な事業家で、この地方に5つの織物工場を経営し700人を雇用していたポール・カヴロワ。1932年、妻のルシー、7人の子どもたちとともに広大な緑地に囲まれた邸宅に引っ越してきた。大胆な建築にショックを受けた地元住民や保守的な北部の事業家たちは、この邸宅を「黄色いクルーズ船」「黄色の災い」「カヴロワの愚行」などと呼んでいた。
所在地:北フランス、ルーベ近郊にある裕福な町、クロワ
建設期間:1929~1932年
規模:3,800平方メートル。1,840平方メートルの居住空間と830平方メートルのテラスを含む。母屋のファサードは全長60メートル。加えて17,600平方メートルの庭園がある。
建築家:設計とコンセプト…ロベール・マレ=ステヴァンス。改修…ミシェル・グタール(歴史的記念物主任建築家)とベアトリス・グランサール。
庭園の改修:造園家 アリーヌ・ル・クール
改修期間:2003~2015年
改修費用:2,300万ユーロ
注目ポイント:国がこの邸宅を2001年に買い上げて改修計画が進み始めたとき、記録も図面も残っていなかった。マレ=ステヴァンスが遺言ですべての記録を燃やし処分するように指示していたためだ。残っていたのは、カヴロワ邸完成後に彼が自費出版した本『Une Demeure 1934(家 1934)』に掲載されていた高品質の写真が数枚だけであった。修復作業は、この写真から得られた情報と、考古学者と建築家で構成されたチームの努力によって進んでいった。
―ロベール・マレ=ステヴァンス
どんなHouzz?
竣工当時の所有者:裕福な事業家で、この地方に5つの織物工場を経営し700人を雇用していたポール・カヴロワ。1932年、妻のルシー、7人の子どもたちとともに広大な緑地に囲まれた邸宅に引っ越してきた。大胆な建築にショックを受けた地元住民や保守的な北部の事業家たちは、この邸宅を「黄色いクルーズ船」「黄色の災い」「カヴロワの愚行」などと呼んでいた。
所在地:北フランス、ルーベ近郊にある裕福な町、クロワ
建設期間:1929~1932年
規模:3,800平方メートル。1,840平方メートルの居住空間と830平方メートルのテラスを含む。母屋のファサードは全長60メートル。加えて17,600平方メートルの庭園がある。
建築家:設計とコンセプト…ロベール・マレ=ステヴァンス。改修…ミシェル・グタール(歴史的記念物主任建築家)とベアトリス・グランサール。
庭園の改修:造園家 アリーヌ・ル・クール
改修期間:2003~2015年
改修費用:2,300万ユーロ
注目ポイント:国がこの邸宅を2001年に買い上げて改修計画が進み始めたとき、記録も図面も残っていなかった。マレ=ステヴァンスが遺言ですべての記録を燃やし処分するように指示していたためだ。残っていたのは、カヴロワ邸完成後に彼が自費出版した本『Une Demeure 1934(家 1934)』に掲載されていた高品質の写真が数枚だけであった。修復作業は、この写真から得られた情報と、考古学者と建築家で構成されたチームの努力によって進んでいった。
ホールとラウンジ
巨大なガラス張りの入口から邸宅に入ると、ホール兼リビングルームのような立方体の空間がある。大きな窓から入る光が、天井の高い空間を照らす。
壁はソフトな緑色で、外の庭園を思い起こさせる。家の中には庭園の四季をそれぞれ描いた大きな絵画も飾られ、屋外を室内に取り込んでいる。「祖父は田舎に住んで、庭を楽しみたかったんです。ここでは、どこに座っていても、庭の中にいるような感覚が味わえます」と言うのは、ポール・カヴロワの孫娘であるクリスティーヌ・ジュレさん。
巨大なガラス張りの入口から邸宅に入ると、ホール兼リビングルームのような立方体の空間がある。大きな窓から入る光が、天井の高い空間を照らす。
壁はソフトな緑色で、外の庭園を思い起こさせる。家の中には庭園の四季をそれぞれ描いた大きな絵画も飾られ、屋外を室内に取り込んでいる。「祖父は田舎に住んで、庭を楽しみたかったんです。ここでは、どこに座っていても、庭の中にいるような感覚が味わえます」と言うのは、ポール・カヴロワの孫娘であるクリスティーヌ・ジュレさん。
入口の向かい側の壁には、見事な暖炉がある。客人に応対するこの場所は、ホールよりも親密感がある空間になっており、黄色のカララ大理石で仕上げられている。全体的に、応接の間はシンプルで余計な装飾はなく、機能的なモダニストスタイルの精神と一貫している。
この部屋には、当初はマレ=ステヴァンスによるデザインの家具が置かれていた。フランス国立モニュメントセンター(歴史的建造物を保存・修復する機関)は、邸宅のオリジナル家具を買い戻すため、12月に開かれたサザビーズの大規模なオークションに参加した。この結果、かつて大きなリビングルームを飾っていたウォールナット材のアームチェアとテーブルも、もうすぐもとの居場所に戻ってくる予定だ。
この部屋には、当初はマレ=ステヴァンスによるデザインの家具が置かれていた。フランス国立モニュメントセンター(歴史的建造物を保存・修復する機関)は、邸宅のオリジナル家具を買い戻すため、12月に開かれたサザビーズの大規模なオークションに参加した。この結果、かつて大きなリビングルームを飾っていたウォールナット材のアームチェアとテーブルも、もうすぐもとの居場所に戻ってくる予定だ。
この部屋のフローリングは、空き家となっていた時期にひどく傷んでしまっていた。1932年にフローリングを施工したベルギーの会社〈ジャドゥール〉に依頼し、90%以上を補修した。マグネシウムを基本素材とした着色セメントを隙間に注入しており丈夫なため、たくさんの人が通る場所でも安心だ。
ロビー
ロビーでは、黒いドアをはさんで両側に2つのライトボックスがある。映画のセットデザインも多く手掛けていたマレ=ステヴァンスの経歴を思い起こさせる。対照的な黒と白は、マレ=ステヴァンスが好んだ取り合わせで、この家の各所に見られる。
ロビーでは、黒いドアをはさんで両側に2つのライトボックスがある。映画のセットデザインも多く手掛けていたマレ=ステヴァンスの経歴を思い起こさせる。対照的な黒と白は、マレ=ステヴァンスが好んだ取り合わせで、この家の各所に見られる。
廊下にある鋳鉄製ラジエーターのカバーは、クローム加工をした帯状の金属でできている。ジャック・ル・シュヴァリエが手がけたインダストリアル風のデザインだ。これは美術品市場でオリジナルを3つ買い戻し、それをもとに複製したもの。
ダイニングルーム
夫妻用のダイニングルームの床と壁は、スウェーデン産の緑色大理石で仕上げている。オリジナルの大理石を供給した採石場が今も稼働しており、同じ模様を再現するためそこから輸入した。
時代の最先端を行く邸宅には、照明技師アンドレ・サロモンの手により、かつてない規模の人工照明が取り入れられた。こちらの部屋の天井には、間接正面のため2本の反射器具が取り付けられている。
窓の反対側の壁に取り付けられた鏡が、光を増幅してくれる。また、窓に背を向けていても庭の景色を見ることができる。
夫妻用のダイニングルームの床と壁は、スウェーデン産の緑色大理石で仕上げている。オリジナルの大理石を供給した採石場が今も稼働しており、同じ模様を再現するためそこから輸入した。
時代の最先端を行く邸宅には、照明技師アンドレ・サロモンの手により、かつてない規模の人工照明が取り入れられた。こちらの部屋の天井には、間接正面のため2本の反射器具が取り付けられている。
窓の反対側の壁に取り付けられた鏡が、光を増幅してくれる。また、窓に背を向けていても庭の景色を見ることができる。
「完全建築」を推進したマレ=ステヴァンスはこの家の家具もデザインしていたが、1987年、邸宅の売却に伴って家具も持ち出されてしまった。家具を見つけ出し、買い戻し、オリジナルの状態に修復するため、かなりの努力を要している。
カヴロワ邸のインテリアデザインは、機能主義の精神に基づいている。ナシ材を黒く塗装しニス仕上げを施したダイニングルームの調度にも、それがよく表れている。幾何学的な線を描くクローム仕上げの金属部分は、ラジエーターのカバーだ。
カヴロワ邸のインテリアデザインは、機能主義の精神に基づいている。ナシ材を黒く塗装しニス仕上げを施したダイニングルームの調度にも、それがよく表れている。幾何学的な線を描くクローム仕上げの金属部分は、ラジエーターのカバーだ。
階段
廊下から、白と黒の階段へとつながる。ジャン・プルーヴェが設計したエレベーターが、地下から屋上テラスまで通っている。
マレ=ステヴァンスからオーナーへの献辞を記した記念プレートが飾られている。「先見の明と、慣習に捉われない挑戦の精神と、熱意をもって、私に家づくりをさせてくれたカヴロワ夫妻に捧げます。感謝と友情をこめて。」
廊下から、白と黒の階段へとつながる。ジャン・プルーヴェが設計したエレベーターが、地下から屋上テラスまで通っている。
マレ=ステヴァンスからオーナーへの献辞を記した記念プレートが飾られている。「先見の明と、慣習に捉われない挑戦の精神と、熱意をもって、私に家づくりをさせてくれたカヴロワ夫妻に捧げます。感謝と友情をこめて。」
曲線の壁に寄り添う家具には、塗装を施した金属が使われている。モダニズムの時代にとくに人気のあった素材のひとつだ。アメリカ人の所有者が親切にも寄贈してくれたものだ。
子ども用ダイニングルーム
ゼブラウッド材の木製家具が置かれたダイニングは、マレ=ステヴァンスの本に掲載されている白黒写真をもとに復元された。壁の装飾は、フランス人彫刻家マルテル兄弟の作品だ。ある日、ポール・カヴロワの娘の1人、ブリジットが改修現場を訪れ、子ども用ダイニングに入ったときに「この壁は見覚えがあります。でも、昔はカラーだったわ!」と言ったそうだ。
壁のフレスコ画のモチーフは、レコード、ボウリング、ダーツ、テニス、チェッカーゲームといった遊びの時間だ。
ゼブラウッド材の木製家具が置かれたダイニングは、マレ=ステヴァンスの本に掲載されている白黒写真をもとに復元された。壁の装飾は、フランス人彫刻家マルテル兄弟の作品だ。ある日、ポール・カヴロワの娘の1人、ブリジットが改修現場を訪れ、子ども用ダイニングに入ったときに「この壁は見覚えがあります。でも、昔はカラーだったわ!」と言ったそうだ。
壁のフレスコ画のモチーフは、レコード、ボウリング、ダーツ、テニス、チェッカーゲームといった遊びの時間だ。
ゼブラウッドはゼブラノとして広く知られる、中部アフリカ原生の木。色は明るい黄褐色で、ダークブラウンの細い縞模様が多数入っている。
ポール・カヴロワの書斎
ポール・カヴロワのホームオフィスの壁は、塗装とニス仕上げを施したナシ材。その中に大きな暖炉がある。
ポール・カヴロワのホームオフィスの壁は、塗装とニス仕上げを施したナシ材。その中に大きな暖炉がある。
マスターベッドルーム
ポール・カヴロワとルシー夫人の部屋は、ダークトーンの家具に明るい色を合わせたオリジナルの姿を取り戻している。家全体に共通するツートンの色使いがここにも見られる。
ポール・カヴロワとルシー夫人の部屋は、ダークトーンの家具に明るい色を合わせたオリジナルの姿を取り戻している。家全体に共通するツートンの色使いがここにも見られる。
ルシー・カヴロワのドレッシングルーム
不法占拠者が住みついていた時期に火災が起こり、このドレッシングルームも被害を受けたが、今ではすっかり以前の輝きを取り戻した。シカモア材の家具とアルミのスタンド付きのドレッシングテーブルには、マレ=ステヴァンスの名が刻まれている。これらの家具は個人のコレクターが購入していたものを買い戻した。
不法占拠者が住みついていた時期に火災が起こり、このドレッシングルームも被害を受けたが、今ではすっかり以前の輝きを取り戻した。シカモア材の家具とアルミのスタンド付きのドレッシングテーブルには、マレ=ステヴァンスの名が刻まれている。これらの家具は個人のコレクターが購入していたものを買い戻した。
スモーキングルーム
スモーキングルームのオリジナル家具は見つけることができなかったが、オリジナルのデザインに忠実に再現している。
スモーキングルームのオリジナル家具は見つけることができなかったが、オリジナルのデザインに忠実に再現している。
子ども用ベッドルーム
2階にあるこちらの子ども部屋の家具も見つかっていない。明るい色づかい、カラフルな調度、ニス塗りの黒い天井など、オランダのモダンアート運動デ・ステイルからの影響が見られるスタイルだ。
2階にあるこちらの子ども部屋の家具も見つかっていない。明るい色づかい、カラフルな調度、ニス塗りの黒い天井など、オランダのモダンアート運動デ・ステイルからの影響が見られるスタイルだ。
マスターバスルーム
ほかの部屋も豪華だが、その中でもマスターバスルームはとびぬけている。47平方メートルを超える、非常にひろびろとした空間で、カララ大理石で仕上げられている。この部屋だけを見ても邸宅の豪奢さがよくわかり、また住人たちが衛生管理を重視していたことがうかがえる。
ほかの部屋も豪華だが、その中でもマスターバスルームはとびぬけている。47平方メートルを超える、非常にひろびろとした空間で、カララ大理石で仕上げられている。この部屋だけを見ても邸宅の豪奢さがよくわかり、また住人たちが衛生管理を重視していたことがうかがえる。
円形のセラミックのシャワー室は、当時としては非常にモダンだった。左側には壁に埋め込まれた体重計が見える。
バスルームでさえ、機能主義スタイルの調度で揃えられている。
蛇口のような細かい部分まで、オリジナルに忠実に再現された。
キッチン
キッチンは応接の間と同じ階にある。庭とエントランスに面して大きな出窓が並んでいるレイアウトも同じだ。これは当時としてはかなり珍しく、家事用の部屋は(そこで働く使用人ともども)窓のない地下に押しやられていたのが一般的だった。
キッチンは応接の間と同じ階にある。庭とエントランスに面して大きな出窓が並んでいるレイアウトも同じだ。これは当時としてはかなり珍しく、家事用の部屋は(そこで働く使用人ともども)窓のない地下に押しやられていたのが一般的だった。
この家で理想とされた衛生水準を満たすべく、キッチンはまるで病院のように真っ白にデザインされている。唯一の例外は、白と黒の市松模様が彩る石の床だ。
ほうろう仕上げの鉄製家具は、曲線を描く壁にぴったりと寄り添って一体化している。アメリカ人の所有者が引き取って保存していたのだが、もとの場所に戻すべく、寛大にも寄贈してくれた。
ほうろう仕上げの鉄製家具は、曲線を描く壁にぴったりと寄り添って一体化している。アメリカ人の所有者が引き取って保存していたのだが、もとの場所に戻すべく、寛大にも寄贈してくれた。
キッチンの蛇口。
マレ=ステヴァンスがデザインしたキッチンのテーブルは、この邸宅の地下室に眠っていたもの。1932年以来ずっと家の中に残っていた家具は、唯一このテーブルだけだ。
その隣には、同じくマレ=ステヴァンスによるデザインの、ラッカー仕上げの鉄製椅子。こちらは最近作られたものだが、オリジナルは1930年に〈トゥボール〉が製造した。積み重ねられる鉄パイプ製の椅子で、持ち運びも簡単だ。機能主義的家具の象徴のような製品で、当時は非常に斬新なデザインだった。
その隣には、同じくマレ=ステヴァンスによるデザインの、ラッカー仕上げの鉄製椅子。こちらは最近作られたものだが、オリジナルは1930年に〈トゥボール〉が製造した。積み重ねられる鉄パイプ製の椅子で、持ち運びも簡単だ。機能主義的家具の象徴のような製品で、当時は非常に斬新なデザインだった。
記憶をとどめるパーツ
「取っておいた家のパーツが箱にいっぱい残っているけれど、これはどうしましょうか?」とたずねたのは、物品の記録・保管を担当していたエリザベト・ポルテさんだ。オリジナルの家の設計図や資料が残っていないため、これらのパーツの一部を記録として巨大なワインセラーの中に保管・展示することになった。修復時の調査方法を思い起こさせてくれる、家の記憶の一片だ。
こうして、かつてワインの貯蔵用に仕切られていた棚が、ディスプレー棚として生まれ変わった。保全目的の部屋が近代住宅の中に設けられた例はこれが初めてだが、訪れた観光客にはとても人気があるという。
「取っておいた家のパーツが箱にいっぱい残っているけれど、これはどうしましょうか?」とたずねたのは、物品の記録・保管を担当していたエリザベト・ポルテさんだ。オリジナルの家の設計図や資料が残っていないため、これらのパーツの一部を記録として巨大なワインセラーの中に保管・展示することになった。修復時の調査方法を思い起こさせてくれる、家の記憶の一片だ。
こうして、かつてワインの貯蔵用に仕切られていた棚が、ディスプレー棚として生まれ変わった。保全目的の部屋が近代住宅の中に設けられた例はこれが初めてだが、訪れた観光客にはとても人気があるという。
以前使われていた分電盤も、資料室となったワインセラーに保存されている。
同じく記録を大切にする精神から、運営管理者であるポール=エルヴェ・パルシーさんの判断で、息子の1人が使っていた2階のベッドルームは改修前の状態で残された。どれほど邸宅の劣化が進んでいたかを物語っている。
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