南仏の白いヴィラにまつわる数奇なドラマ
建築家ル・コルビュジエとアイリーン・グレイの運命的な巡り合わせを描いた映画「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」が10月14日より日本で公開に。グレイの傑作《E.1027》をめぐる謎が解き明かされます。
河内タカ|Taka Kawachi
2017年10月10日
河内タカ 高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し、展覧会のキュレーションや写真集の編集を数多く手がけ2011年に帰国。アマナの写真コレクションのディレクターに就任。2016年には自身の体験を通したアートや写真のことを綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行した。現在は、京都便利堂において写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した業務に携わっている。
河内タカ 高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し、展覧会のキュレーションや写真集の編集を数多く手がけ2011年に帰国。アマナの写真コレクションのディレクターに就任... もっと見る
上:南仏カップマルタンに立つアイリーン・グレイ設計の《E.1027》 左:建築家ル・コルビュジエ
1920年代以降からの建築の新しい様式を提唱した建築家として、また日本においては2016年に世界遺産に登録された国立西洋美術館を設計した人物として知られるル・コルビュジエ。近代建築の巨匠と誉れ高いそのコルビュジエが嫉妬を覚え続けた1軒の邸宅があるのをご存知だろうか。それが《E.1027》と呼ばれている南仏コートダジュールの地に立つヴィラなのだが、現在公開されている「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」という映画に、その建物に関する知られざる背景となぜコルビュジエがそういう気持ちを抱いていたのかが描かれている。
1920年代以降からの建築の新しい様式を提唱した建築家として、また日本においては2016年に世界遺産に登録された国立西洋美術館を設計した人物として知られるル・コルビュジエ。近代建築の巨匠と誉れ高いそのコルビュジエが嫉妬を覚え続けた1軒の邸宅があるのをご存知だろうか。それが《E.1027》と呼ばれている南仏コートダジュールの地に立つヴィラなのだが、現在公開されている「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」という映画に、その建物に関する知られざる背景となぜコルビュジエがそういう気持ちを抱いていたのかが描かれている。
上:映画の中でオーラ・ブラディが演じるアイリーン・グレイ © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved. 下:アイリーン・グレイ Authorised by The World Licence Holder Aram Designs Ltd., London.
《E.1027》のことを語るうえで、まず最初にこの家を設計した女性建築家でありデザイナーだったアイリーン・グレイに関してお話ししなければならない。グレイは1878年にアイルランドで生まれ、最初はロンドンで日本人工芸家の菅原精造と知り合い、彼から漆工芸を学び、漆を使った家具デザインを手がけた。やがてインテリアデザイナーとしてメキメキと頭角を現し、1922年から彼女と友人が設計した家具を販売するためにギャラリーをオープン。その頃に知り合った気鋭の建築評論家で編集者のジャン・バドヴィッチと恋仲になったことで、彼の依頼に応える形で初となる建築を手がけたのがこの《E.1027》だったのだ。
《E.1027》のことを語るうえで、まず最初にこの家を設計した女性建築家でありデザイナーだったアイリーン・グレイに関してお話ししなければならない。グレイは1878年にアイルランドで生まれ、最初はロンドンで日本人工芸家の菅原精造と知り合い、彼から漆工芸を学び、漆を使った家具デザインを手がけた。やがてインテリアデザイナーとしてメキメキと頭角を現し、1922年から彼女と友人が設計した家具を販売するためにギャラリーをオープン。その頃に知り合った気鋭の建築評論家で編集者のジャン・バドヴィッチと恋仲になったことで、彼の依頼に応える形で初となる建築を手がけたのがこの《E.1027》だったのだ。
実際にカップマルタンでロケ撮影が行われた © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.
ちなみに、コードのようなこの奇妙な名称は、グレイとバドヴィッチの関係を示す暗号になっていて、Eはアイリーン・グレイのイニシャルのE、10はジャン・バドヴィッチのJ(=アルファベットの10番目)を意味し、2はB、7はGを表していた。
ちなみに、コードのようなこの奇妙な名称は、グレイとバドヴィッチの関係を示す暗号になっていて、Eはアイリーン・グレイのイニシャルのE、10はジャン・バドヴィッチのJ(=アルファベットの10番目)を意味し、2はB、7はGを表していた。
自身がデザインした《ビバンダム》に座るグレイ © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.
1926年から約3年をかけて出来上がったこの白いヴィラは、当時流行っていたアール・デコの装飾をできるだけ排除し、高い壁や大きな窓、平らな屋根や新しい工業用材料を取り入れたような様式であり、そのスタイリッシュさはモダニズム建築のお手本のようなものであった。この丘の上の家が完成したときグレイはすでに51歳。そして、彼女よりも9歳も若かったコルビュジエにしてみれば、まだ構想していたものをいきなり完璧に造り上げた彼女への羨望と、プライドが人並み以上に高かった彼からすれば悔しさも大いに渦巻いていたことは容易に理解できる。
1926年から約3年をかけて出来上がったこの白いヴィラは、当時流行っていたアール・デコの装飾をできるだけ排除し、高い壁や大きな窓、平らな屋根や新しい工業用材料を取り入れたような様式であり、そのスタイリッシュさはモダニズム建築のお手本のようなものであった。この丘の上の家が完成したときグレイはすでに51歳。そして、彼女よりも9歳も若かったコルビュジエにしてみれば、まだ構想していたものをいきなり完璧に造り上げた彼女への羨望と、プライドが人並み以上に高かった彼からすれば悔しさも大いに渦巻いていたことは容易に理解できる。
《E.1027》のインテリア © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.
この映画ではその《E.1027》がセットでなくロケ地として使われているところが兎にも角にも素晴らしく、加えて、グレイが手がけたさまざまな家具や調度品を忠実に再現していることも魅力的だ。というのも、これまで最も高く売られた椅子(それは《ドラゴンズ》という漆塗りの木を使った特徴的な形状をした1917〜1919年に作られたアームチェアで、2009年のクリスティーズで28億円という途方もない価格で落札されたのだ)を手がけたのが、他でもない、このアイリーン・グレイであり、これまであまり知られることがなかった彼女の家具を垣間見ることができ、インテリアや家具好きにとっていろいろな興味深いポイントが散りばめてあるからだ。
この映画ではその《E.1027》がセットでなくロケ地として使われているところが兎にも角にも素晴らしく、加えて、グレイが手がけたさまざまな家具や調度品を忠実に再現していることも魅力的だ。というのも、これまで最も高く売られた椅子(それは《ドラゴンズ》という漆塗りの木を使った特徴的な形状をした1917〜1919年に作られたアームチェアで、2009年のクリスティーズで28億円という途方もない価格で落札されたのだ)を手がけたのが、他でもない、このアイリーン・グレイであり、これまであまり知られることがなかった彼女の家具を垣間見ることができ、インテリアや家具好きにとっていろいろな興味深いポイントが散りばめてあるからだ。
コルビュジエを演じるのはフランスの名優、ヴァンサン・ペレーズ © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.
話をコルビュジエにもどすと、コルビュジエの《E.1027》に対する複雑な気持ちが形となって現れたのが悪名高い「壁画事件」だった。《E.1027》が完成した直後、実はアイリーンはバドヴィッチと決別しすでにこの家を出ていっていて、彼女がいなくなったことをいいことに以前より頻繁に訪れるようになっていたコルビュジエは、許可もなく女性のヌードなどの壁画を8カ所も描いてしまったのだ。そして、そのことを知ったグレイは、彼のこの身勝手とも幼稚ともとれる行為を「野蛮」と非難、おそらくそのことが要因となり二人の関係も悪化していき、その後の彼女の活動にも大きく影響を及ぼしていくことになっていくことに..…. 。
話をコルビュジエにもどすと、コルビュジエの《E.1027》に対する複雑な気持ちが形となって現れたのが悪名高い「壁画事件」だった。《E.1027》が完成した直後、実はアイリーンはバドヴィッチと決別しすでにこの家を出ていっていて、彼女がいなくなったことをいいことに以前より頻繁に訪れるようになっていたコルビュジエは、許可もなく女性のヌードなどの壁画を8カ所も描いてしまったのだ。そして、そのことを知ったグレイは、彼のこの身勝手とも幼稚ともとれる行為を「野蛮」と非難、おそらくそのことが要因となり二人の関係も悪化していき、その後の彼女の活動にも大きく影響を及ぼしていくことになっていくことに..…. 。
ヴィラを舞台にしたグレイ、バドヴィッチ、コルビュジエ、画家のフェルナン・レジェの交流も見どころの1つ © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.
そもそも、《E.1027》はグレイが自分のすべてをつぎ込んだ最初にして最高のマスターピースであったわけだから、コルビュジエの行為が非難されるのは当然といえば当然なのだが、それにしても、コルビュジエともあろう偉大な人物が彼女を激怒させようとしたそもそもの要因はどこにあったのだろうか。
《E.1027》のことは誰よりも深く愛し評価していた彼ゆえ、自分が関わったのだという痕跡(実はコルビュジエは画家でもあった)を残すことで、この家が彼女とのコラボレーション、または自分が作品だと世間に思われたかったのか……そもそも壁画を描くことになにも罪悪感がなかったのかもしれないが、その真意は明らかになってはいない。
そもそも、《E.1027》はグレイが自分のすべてをつぎ込んだ最初にして最高のマスターピースであったわけだから、コルビュジエの行為が非難されるのは当然といえば当然なのだが、それにしても、コルビュジエともあろう偉大な人物が彼女を激怒させようとしたそもそもの要因はどこにあったのだろうか。
《E.1027》のことは誰よりも深く愛し評価していた彼ゆえ、自分が関わったのだという痕跡(実はコルビュジエは画家でもあった)を残すことで、この家が彼女とのコラボレーション、または自分が作品だと世間に思われたかったのか……そもそも壁画を描くことになにも罪悪感がなかったのかもしれないが、その真意は明らかになってはいない。
写真:《E.1027》の設計図
不思議なことに、この事件の後もコルビュジエは足しげくこの地へ通い詰め、1952年には《E.1027》のすぐ近くに休憩小屋《カバノン》を建て見守り続け、その13年後の1965年8月、コルビュジエは家の前に広がる海で泳いでいる最中に心臓麻痺で亡くなっている。裏を返せば、自身が手がけた数々の名作建築よりも、死ぬ間際まで彼を魅了し続けたなにか特別なものがこの《E.1027》にはあったということだろう。そして、一方の主役であるアイリーン・グレイだが、20世紀のモダニズムの方向性を示すような素晴らしい業績を残したにもかかわらず、MoMAの永久コレクションにも収められている《アジャスタブル・テーブル》や白い革張りアームチェア《ビバンダム》といったテーブルや椅子のみで知られていただけなのに、今こうやって(コルビュジエとの関わりによって)新たな脚光を浴びていることにどこか運命的な巡り合わせを感じてしまうのである。
映画公開情報
映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』は10月14日(土)より、Bukamura ル・シネマ 他にて全国順次公開
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