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設立から100年、バウハウスデザインの魅力
100年たっても変わらず輝き続ける簡素な機能美、バウハウスデザイン。その代表例と、バウハウス出身のデザイナー、その代表的なデザインを解説します。
西谷典子|Noriko Nishiya
2019年2月8日
2019年は、バウハウスが設立されて100周年。1919年の設立から1933年にナチスによって閉校されるまで、存在していたのはたった14年でしたが、歴史に大きく名を残すこの美術工芸学校から発信されたアイデアやデザイン、そして教育理念は世界中に影響を与え、現代にも受け継がれています。この記事では、バウハウスから生まれた代表的なデザインをご紹介します。
特徴的なモダンデザイン
バウハウスは、ドイツのワイマール、デッサウ、ベルリンと、3回校舎を移転していますが、よく写真で見かける「BAUHAUS」と縦に並んだ文字が掲げられた校舎は、ベルリンから約120kmほど南西に位置するデッサウにあります。このバウハウス校舎の建築は、初代校長、ヴァルター・グロピウスのデザインによるものです。
バウハウスは、ドイツのワイマール、デッサウ、ベルリンと、3回校舎を移転していますが、よく写真で見かける「BAUHAUS」と縦に並んだ文字が掲げられた校舎は、ベルリンから約120kmほど南西に位置するデッサウにあります。このバウハウス校舎の建築は、初代校長、ヴァルター・グロピウスのデザインによるものです。
バウハウス建築の校舎
1925年建築のこの校舎は、側面すべてにガラスウォールが採用されています。今の建築では当たり前のように使われているガラスウォールですが、当時は大変珍しく、いかにウルトラモダンな建築だったかを物語っています。たとえば校舎の中の階段や廊下の幅も通常より広く設計され、すれ違う人々がどんな場所でも立ち止まって会話しやすいように考慮されたデザインでした。空気が流れやすいような広々とした印象的な空間です。
1925年建築のこの校舎は、側面すべてにガラスウォールが採用されています。今の建築では当たり前のように使われているガラスウォールですが、当時は大変珍しく、いかにウルトラモダンな建築だったかを物語っています。たとえば校舎の中の階段や廊下の幅も通常より広く設計され、すれ違う人々がどんな場所でも立ち止まって会話しやすいように考慮されたデザインでした。空気が流れやすいような広々とした印象的な空間です。
バウハウスの教育理念
そのモダンな校舎もさることながら、グロピウスの功績は才能のあるアーティストを教官としてバウハウスに集めたことです。さまざまな分野から集められて前衛的な熱意ある教官と才能ある学生との実験による、新しい素材を使ったプロトタイプがここで数多く製作されました。
バウハウスの教育理念は、英国のアーツ&クラフツ運動を基本としており、中世の伝統にならって、親方が弟子に技術を教えるように、教官の質の高い技術を学生が間近で見て学び、ともに学んでいくスタイルでした。
そのモダンな校舎もさることながら、グロピウスの功績は才能のあるアーティストを教官としてバウハウスに集めたことです。さまざまな分野から集められて前衛的な熱意ある教官と才能ある学生との実験による、新しい素材を使ったプロトタイプがここで数多く製作されました。
バウハウスの教育理念は、英国のアーツ&クラフツ運動を基本としており、中世の伝統にならって、親方が弟子に技術を教えるように、教官の質の高い技術を学生が間近で見て学び、ともに学んでいくスタイルでした。
英国の芸術家ウィリアム・モリスが、テキスタイルやステンドグラス、家具など幅広い分野のデザインをしたことにならい、バウハウスでは総合的な芸術家を育てるため、アートの理論や知識を基礎課程として学ばせました。学生はその後、工房に入り、3年間みっちり実技を学びました。
生み出す作品は、富裕な人々だけに向けたものではない、大衆向けのデザインであること、そして機能的であること。これは、モリスの精神を通じて取り入れられた教育方針です。こういったバウハウスの理念が、「ミニマルで機能的」というバウハウスデザインの基礎をつくり上げていくのです。
生み出す作品は、富裕な人々だけに向けたものではない、大衆向けのデザインであること、そして機能的であること。これは、モリスの精神を通じて取り入れられた教育方針です。こういったバウハウスの理念が、「ミニマルで機能的」というバウハウスデザインの基礎をつくり上げていくのです。
バウハウスデザインを牽引した若きデザイナーたち
バウハウスの教官の中には、ワシリーチェアで知られるマルセル・ブロイヤーがいました。ブロイヤーは18歳でバウハウスに入学し、卒業後も残って最年少教官として家具製作を生徒に教えたのです。ワシリーチェアは、彼が教官だった1925年に発表されていますが、このときまだ23歳。その当時実験的に使われていた自転車のハンドル部分、チューブラースティールを家具のフレームに使うという、改革的なデザインで注目を浴びます。
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簡素な機能美あふれるバウハウスの家具、プロダクト
1922年から1925年までバウハウスの金属細工工房の教官だったクリスチャン・デルは、1926年に一つのスケッチを残していました。美しい曲線のアームがシンプルなシェードとデスクランプのベースをつなぎ、さらに角度を変えられるという画期的なデザインは、1933年にカイザー社により「カイザーイデルランプ」として発表されます。このランプもまたミニマルで機能的なバウハウスのスタイルを色濃く残しています。
1922年から1925年までバウハウスの金属細工工房の教官だったクリスチャン・デルは、1926年に一つのスケッチを残していました。美しい曲線のアームがシンプルなシェードとデスクランプのベースをつなぎ、さらに角度を変えられるという画期的なデザインは、1933年にカイザー社により「カイザーイデルランプ」として発表されます。このランプもまたミニマルで機能的なバウハウスのスタイルを色濃く残しています。
その時代に新素材であった、金属とガラスを取り入れたデスクランプ「WG24」。ウィルヘルム・ワーゲンフェルドとカール・ヤコブ・ユッカーによる1924年のデザインで、時代を超えたバウハウス生まれのデザインクラシックとして知られています。芯になる金属部分をガラスで覆った、このスタイリッシュで大胆な発想のランプは、発表当時から大変な人気を集めました。
ドイツの工業デザイナーの先駆者的な存在として知られるワーゲンフェルドは、1924年から1926年までバウハウスに学びました。モホリ・ナジによる金属細工の基礎講座を受講し、その後金属工房の助手としてバウハウスに残り、活躍を続けます。
彼の代表作としては他に、1930年代初頭に作られた耐熱ガラス製のティーセットがあります。薄くデリケートで繊細なフォルムに反し、耐熱450℃、耐冷35℃まで対応する頑丈なガラスでできています。機能と簡素化された美が融合された、まさしくバウハウス的なデザインです。
彼の代表作としては他に、1930年代初頭に作られた耐熱ガラス製のティーセットがあります。薄くデリケートで繊細なフォルムに反し、耐熱450℃、耐冷35℃まで対応する頑丈なガラスでできています。機能と簡素化された美が融合された、まさしくバウハウス的なデザインです。
先述のモホリ・ナジによる基礎講座の金属細工クラスには、一人の才能ある女性マリアンネ・ブラントも在籍していました。後に金属工房の主任も務めることになる彼女も、バウハウスで数々の作品を残しています。代表作は写真の幾何学的な形のティーポット。本体はシルバーメッキで、ハンドル部分は持ったときに熱くならないよう黒檀を使用し、すべて手作業で作られていています。アールデコの時代にふさわしい幾何学フォルムのスタイリッシュなポットは、この時代のアイコン的なデザインとなりました。
理論も実技も当時の最前線
バウハウスの実技教育では常に第一線で活躍しているデザイナーが教官となり、最先端のデザインや技術を学ぶには最高の場所でした。そして理論教育もまた、素晴らしい前衛アーティストが教鞭を取りました。ワシリー・カンディンスキーやパウル・クレーなど錚々たるアーティストが、色彩や造形、抽象画などの実験や講義を行いました。このように、バウハウスの門をくぐった学生たちは、非常に質の高い恵まれた環境で教育を受けることができたのです。
バウハウスの実技教育では常に第一線で活躍しているデザイナーが教官となり、最先端のデザインや技術を学ぶには最高の場所でした。そして理論教育もまた、素晴らしい前衛アーティストが教鞭を取りました。ワシリー・カンディンスキーやパウル・クレーなど錚々たるアーティストが、色彩や造形、抽象画などの実験や講義を行いました。このように、バウハウスの門をくぐった学生たちは、非常に質の高い恵まれた環境で教育を受けることができたのです。
近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエは、バウハウスで教官としてしばしば講義を行った後、1930年から校長に就任します。この頃からナチスの勢力が強まり、近代的なバウハウスのスタイルは左翼的思想として批判され、1933年には閉鎖されてしまう運命をたどります。才能ある教官の中にはユダヤ人も含まれており、彼らはバウハウスの閉鎖前にはイギリスやアメリカに亡命し、新しい地で大きな功績を残すことになります。
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バウハウスの求めた芸術の総合化を学んだ生徒や教官たちは、1つのデザイン分野に留まらず、建築、家具、プロダクトと幅広い分野で歴史に残る名作を数多く生み出しました。ごく短い期間にたくさんのタイムレスデザインを誕生させたバウハウスの偉業を、100年を迎える節目に皆さんにも興味を持っていただけたらと思います。
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