明治維新から150年。モースを魅了した日本人の住まい
エドワード・S・モースの著作『日本のすまい・内と外』から、近代以前の日本の住まいと暮らしを振り返ってみます。
大村哲弥
2018年4月2日
不動産・建築・住宅に関するコンセプト開発・商品企画・デザインなどを手がける有限会社プロジェ代表。一級建築士。http://www.projet-ltd.co.jp/
ブロガー。言葉とモノをめぐるブログ<Tokyo Culture Addiction>http://c-addiction.typepad.jp/blog/と料理ブログ<チキテオ>http://c-addiction.typepad.jp/txikiteo/を主宰。
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大森貝塚を発見し、日本の人類学、考古学の基礎をつくったと言われるエドワード・S・モースは、明治初期の日本の住宅を詳細に記録した書『日本のすまい・内と外』(上田篤、加藤晃規、柳美代子訳、鹿島出版会、1979年一刷)を残したことでも知られています。
好奇と共感のまなざしによる観察と自身による雰囲気のあるイラストで、近代化される前の日本人の住まいを克明に記録した本書は、日本の伝統的な住宅に関する人類学的研究の傑作と評されています。
モース以外にも、明治初期に日本を訪れた外国人の多くが、まだ江戸の名残りを留める日本とそこに住む日本人の暮らしに感嘆し、魅了されました。彼ら自身が近代化のなかで失ったものを日本に見たからです。
日本はその後、近代化の道をまっしぐらに進み、今日に至っています。今年2018年は明治維新から150年目にあたります。モースの書を紐解きながら、近代以前の日本の住まいと暮らしを振り返り、その後の近代化のなかで私たちが失ったもの、また、日本の住まいや暮らしの個性として現代に継承されたものなどに思いを馳せてみます。
好奇と共感のまなざしによる観察と自身による雰囲気のあるイラストで、近代化される前の日本人の住まいを克明に記録した本書は、日本の伝統的な住宅に関する人類学的研究の傑作と評されています。
モース以外にも、明治初期に日本を訪れた外国人の多くが、まだ江戸の名残りを留める日本とそこに住む日本人の暮らしに感嘆し、魅了されました。彼ら自身が近代化のなかで失ったものを日本に見たからです。
日本はその後、近代化の道をまっしぐらに進み、今日に至っています。今年2018年は明治維新から150年目にあたります。モースの書を紐解きながら、近代以前の日本の住まいと暮らしを振り返り、その後の近代化のなかで私たちが失ったもの、また、日本の住まいや暮らしの個性として現代に継承されたものなどに思いを馳せてみます。
大森貝塚の発見者として知られるアメリカ人エドワード・S・モース(1838~1925)は、1877年(明治10年)、1878年(明治11年)、1882年(明治15年)の計3回来日し、東京大学の動物学の教授をつとめながら日本中を旅しています。
モ-スは、飾り気がなく正直で、礼儀正しい日本人の人柄と、すべてが調和のなかで営まれ、簡素で趣味が良く、芸術的な雰囲気が感じられる、当時の日本人の暮らしと住まいに魅了されます。
近代化による物質文明がすでに社会を席巻していた20世紀末の欧米人にとって、「ゆたかさ」とは裕福さ(お金や物の豊富さ)を意味していましたが、近代以前の日本では、「ゆたかさ」と裕福さは必ずしも同じではなく、近代的視点からは「貧しい」と見えるような暮らしにおいても、人間としての「ゆたかさ」や「しあわせ」が実感できる世界でした。
モ-スは、飾り気がなく正直で、礼儀正しい日本人の人柄と、すべてが調和のなかで営まれ、簡素で趣味が良く、芸術的な雰囲気が感じられる、当時の日本人の暮らしと住まいに魅了されます。
近代化による物質文明がすでに社会を席巻していた20世紀末の欧米人にとって、「ゆたかさ」とは裕福さ(お金や物の豊富さ)を意味していましたが、近代以前の日本では、「ゆたかさ」と裕福さは必ずしも同じではなく、近代的視点からは「貧しい」と見えるような暮らしにおいても、人間としての「ゆたかさ」や「しあわせ」が実感できる世界でした。
しかし、そうした「ゆたかさ」や「しあわせ」とは、当時の封建社会が持っていた専制、身分制、因習などの負の側面と表裏一体のもので、近代化とは、そうしたプラスもマイナスも含めて、社会全体に対してまるごとの変革を迫る、そして決して引き返すことのできない、文明史的な一大転換でした。
モースに限らず、明治初期に来日した外国人のほとんどが、自分たちの国が既に失ってしまったこの「異次元のゆたかさ」に目を見張り、魅せられていきます。当時の日本に魅せられた多くの外国人の様子は、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年初版)などに詳しく描かれています。
彼らは、近代以前の日本に、かつては自分たちも有していたであろう「ゆたかさ」や「しあわせ」を発見し、その消え行く運命を愛惜したのでした。
モースに限らず、明治初期に来日した外国人のほとんどが、自分たちの国が既に失ってしまったこの「異次元のゆたかさ」に目を見張り、魅せられていきます。当時の日本に魅せられた多くの外国人の様子は、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー、2005年初版)などに詳しく描かれています。
彼らは、近代以前の日本に、かつては自分たちも有していたであろう「ゆたかさ」や「しあわせ」を発見し、その消え行く運命を愛惜したのでした。
モースは、そうした調和と洗練の暮らしを実現していた当時の日本の住まいを『日本のすまい・内と外』に詳細に記録しました。
例えば、低く、遠くまで広がる、まるで静かな海のような穏やかな東京の街、油やニスやペンキが塗られていない、くすんだ木の生地の色で統一された美しい東京の家並み、小さくて清潔で開放的な家、絵に描いたような美しさの茅葺屋根、素朴な大工道具で家を建てる優秀な大工たち、上品な中間色で構成された室内空間、まるで芸術品のような欄間の打ち抜き細工、どの家にもある季節ごとの花や花器が飾られた床の間、実用品をアートに昇華させた屏風や衝立、壊れやすい繊細な材料が平気で使われていることから窺われる日本人の礼儀正しさ、象牙のように磨かれた木の床、樹種や枝ぶり、加工方法などに吟味を重ねる木に対する情熱と独創性、アシンンメトリーな空間構成により退屈さを回避する美学、自然を活かした完璧ともいえる庭造りの技術など、150年前の日本の住まいの様子が活写されています。
科学者であったモースは、外見やデザインだけではなく、仕組みや機能や方法にまでさかのぼって、その鋭い観察眼を発揮します。
例えば、低く、遠くまで広がる、まるで静かな海のような穏やかな東京の街、油やニスやペンキが塗られていない、くすんだ木の生地の色で統一された美しい東京の家並み、小さくて清潔で開放的な家、絵に描いたような美しさの茅葺屋根、素朴な大工道具で家を建てる優秀な大工たち、上品な中間色で構成された室内空間、まるで芸術品のような欄間の打ち抜き細工、どの家にもある季節ごとの花や花器が飾られた床の間、実用品をアートに昇華させた屏風や衝立、壊れやすい繊細な材料が平気で使われていることから窺われる日本人の礼儀正しさ、象牙のように磨かれた木の床、樹種や枝ぶり、加工方法などに吟味を重ねる木に対する情熱と独創性、アシンンメトリーな空間構成により退屈さを回避する美学、自然を活かした完璧ともいえる庭造りの技術など、150年前の日本の住まいの様子が活写されています。
科学者であったモースは、外見やデザインだけではなく、仕組みや機能や方法にまでさかのぼって、その鋭い観察眼を発揮します。
茅葺屋根の葺き方とそのための道具、蔵の煤を混ぜた漆喰壁の磨き方、天井板の貼り方の手順、障子の桟の矯正法、畳を敷く際のルール、雨戸のコーナーローラーの役目、錠が機能する仕組みの図解など、一般の人はもちろん、専門家でももはや知りえないような情報が、愛情溢れる言葉と、当時の様子を伝えるいきいきとした雰囲気のイラストで描かれます。
こうした150年前の日本の住まいは今の日本人の目には、どう映るでしょうか。昭和30年代ぐらいまでは、まだ、日本にもかろうじてあったねと、懐かしい思いを抱く人もいるでしょう。あるいは、ほとんどモースと同じような驚きと新鮮さで目を見張る人もいるでしょう。
鍵をかける家などまったくない日常、外から覗かれることなど一向に気にしていない開放的な住まい、家具などがなにもない、がらんどうの室内、よそ者が入り込んでも縁側でお茶を出して歓待してくれる気さくさなどのエピソードは、今の日本人にとっては、まるで別の国の話にしか聞こえないのではないでしょうか。
私たちの暮らしと住まいの現実は、いつの間にか当時の世界から、それほどまでに遠くに来てしまっていることに深い感慨を禁じえません。まさに文明の断絶と言ってもいいような隔たりようです。
こうした150年前の日本の住まいは今の日本人の目には、どう映るでしょうか。昭和30年代ぐらいまでは、まだ、日本にもかろうじてあったねと、懐かしい思いを抱く人もいるでしょう。あるいは、ほとんどモースと同じような驚きと新鮮さで目を見張る人もいるでしょう。
鍵をかける家などまったくない日常、外から覗かれることなど一向に気にしていない開放的な住まい、家具などがなにもない、がらんどうの室内、よそ者が入り込んでも縁側でお茶を出して歓待してくれる気さくさなどのエピソードは、今の日本人にとっては、まるで別の国の話にしか聞こえないのではないでしょうか。
私たちの暮らしと住まいの現実は、いつの間にか当時の世界から、それほどまでに遠くに来てしまっていることに深い感慨を禁じえません。まさに文明の断絶と言ってもいいような隔たりようです。
モースは、簡素で、抑制されていて、全体が調和のなかにある日本の住まいを見てこう感嘆の声を記します。
「日本の住まいを少し研究すると分かることだが、こうしたもの(注:欧米の家具や室内装飾品)を飾ることは日本人にとっては論外のことであり、厳格なクエーカー教徒のようなシンプリシティこそが日本の部屋の最大の魅力のひとつであることが理解できるようになる。視界に入るところには目を煩わすようなものをほとんどなにも置かないという完璧な清浄さと洗練こそが、日本人が努力して止まないインテリアの重要なポイントであり、そのシンプルで効果的な成果は、アメリカ人が望んでもとても真似できないものである」
「日本の住まいを少し研究すると分かることだが、こうしたもの(注:欧米の家具や室内装飾品)を飾ることは日本人にとっては論外のことであり、厳格なクエーカー教徒のようなシンプリシティこそが日本の部屋の最大の魅力のひとつであることが理解できるようになる。視界に入るところには目を煩わすようなものをほとんどなにも置かないという完璧な清浄さと洗練こそが、日本人が努力して止まないインテリアの重要なポイントであり、そのシンプルで効果的な成果は、アメリカ人が望んでもとても真似できないものである」
一方で、母国アメリカのインテリアに対してはユーモアたっぷりにこう罵詈雑言を投げています。
「日本人の目にはアメリカ人の部屋は、まるで一軒の骨董屋のように映るだろうし、この上なく息が詰まりそうにしか思えないだろう。花瓶や絵や額やブロンズの置物、そしてガラクタでいっぱいになった棚や壁掛けやキャビネットやテーブルによる迷路のような空間は、日本人を半狂乱にさせるに十分なシロモノだ」
モースの来日と同時期にあたる1880~1890年代は、手仕事にとって代わった機械化が、劣悪なデザインや装飾過多の粗悪品しか生み出していないことに対する異議申し立てが行われ始めた時期でした。イギリスにおけるウィリアム・モリスらによるアーツ・アンド・クラフツ運動です。こうした近代の工業化、機械化による弊害への問題意識が、その後、ドイツにおけるドイツ工作連盟やバウハウスにつながっていき、市民生活のためのシンプルなモダニズムデザインとして結実し、世界に普及し、今日に至っています。
あらためて今、振り返ってみると、モースの認識の背景には、生活の美を生み出せない近代化への疑問があったことがわかります。
「日本人の目にはアメリカ人の部屋は、まるで一軒の骨董屋のように映るだろうし、この上なく息が詰まりそうにしか思えないだろう。花瓶や絵や額やブロンズの置物、そしてガラクタでいっぱいになった棚や壁掛けやキャビネットやテーブルによる迷路のような空間は、日本人を半狂乱にさせるに十分なシロモノだ」
モースの来日と同時期にあたる1880~1890年代は、手仕事にとって代わった機械化が、劣悪なデザインや装飾過多の粗悪品しか生み出していないことに対する異議申し立てが行われ始めた時期でした。イギリスにおけるウィリアム・モリスらによるアーツ・アンド・クラフツ運動です。こうした近代の工業化、機械化による弊害への問題意識が、その後、ドイツにおけるドイツ工作連盟やバウハウスにつながっていき、市民生活のためのシンプルなモダニズムデザインとして結実し、世界に普及し、今日に至っています。
あらためて今、振り返ってみると、モースの認識の背景には、生活の美を生み出せない近代化への疑問があったことがわかります。
今の日本においては、モースが記録したような住まいのほとんどは消え去ってしまいました。しかしながら、日本人の暮らしを支える基底のところで、形は変わりながらも、今日の日本の住まいに継承されているものもあるのではないでしょうか。
例えば、住まいの清潔さ。家の中では靴を脱いで生活するスタイルや、湯舟にたっぷりと湯をはって入る快適な入浴スタイルなど、清潔で心地よいことに対する敏感さは日本人ならではです。
例えば、小空間の巧みな利用。引き戸を使って狭さを払拭する空間づくり、ちょっとした収納やニッチを設け、空間を無駄なく使うきめ細かい間取り、狭小敷地に巧みに建てられる都市のミニマム戸建などの根底には、当時からの小さきものをないがしろにしないという価値観をみることができるかもしれません。
例えば、自然や外部空間と親和的な住まい。どんなに小さくても、猫の額と揶揄されても、緑を植え花を育てる情熱、バルコニーや坪庭など自然や外部を取り込んだプランなど、日本人にとって住まいとは自然や外部と一体となったものです。
立派な床の間がなくても、ちょっとしたスペースを見出して季節の花や飾りを設えながら、あるいは、大きな庭がなくても、まちなかの草木に季節の変化を感じながら、日々の暮らしを営んでいるのが日本人の感性です。
本書は、そうした私たちの暮らしと住まいに対する感性のルーツを改めて教えてくれます。
*引用およびイラストはEdawrd Sylvester Morse JAPANESE HOMES AND THEIR SURROUNDINGS (Harper & Brothers, Franklin Square, New York, 1889) より
*本書の翻訳には『日本人のすまい』(斉藤正二、藤本周一訳、八坂書房、1991年)もある
こちらもあわせて
建築家の住宅論を読む (1) 〜篠原一男『住宅論』他
建築家の住宅論を読む(2)~宮脇檀『住まいとほどよくつきあう』
建築家の住宅論を読む (3) ~磯崎新『栖すみか十二』
建築家の住宅論を読む(4)~隈研吾『10宅論』
教えてHouzz
記事の感想をお聞かせください。
例えば、住まいの清潔さ。家の中では靴を脱いで生活するスタイルや、湯舟にたっぷりと湯をはって入る快適な入浴スタイルなど、清潔で心地よいことに対する敏感さは日本人ならではです。
例えば、小空間の巧みな利用。引き戸を使って狭さを払拭する空間づくり、ちょっとした収納やニッチを設け、空間を無駄なく使うきめ細かい間取り、狭小敷地に巧みに建てられる都市のミニマム戸建などの根底には、当時からの小さきものをないがしろにしないという価値観をみることができるかもしれません。
例えば、自然や外部空間と親和的な住まい。どんなに小さくても、猫の額と揶揄されても、緑を植え花を育てる情熱、バルコニーや坪庭など自然や外部を取り込んだプランなど、日本人にとって住まいとは自然や外部と一体となったものです。
立派な床の間がなくても、ちょっとしたスペースを見出して季節の花や飾りを設えながら、あるいは、大きな庭がなくても、まちなかの草木に季節の変化を感じながら、日々の暮らしを営んでいるのが日本人の感性です。
本書は、そうした私たちの暮らしと住まいに対する感性のルーツを改めて教えてくれます。
*引用およびイラストはEdawrd Sylvester Morse JAPANESE HOMES AND THEIR SURROUNDINGS (Harper & Brothers, Franklin Square, New York, 1889) より
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昔勤めていた会社でお世話になった社長のおばあさまが、モースのアシスタントだったお兄さんと共にアメリカについていっていた、とお聞きした事があったのですが、モースが貝塚を発見したという事は知っていたもののこんなに素敵な日本の観察記を描いていらしていたのは初めて知りました。
奇遇にもその社長の趣味の一つがペン画で、去年はその展覧会にお伺いしたのですが、また今年お伺いした時にこのエントリーのお話しをしたい、と思いました。
素敵なエントリー、ありがとうございました。
Office Kさん
モースにつながる素敵なご縁ですね。こちらこそコメントありがとうございます。