建築家の住宅論を読む (1)
日本の建築家たちといえば、創造性あふれる住宅を生み出すことで知られていますが、その背景には、社会と住宅を巡る建築家たちの思考がありました。「住宅とは何か」について深く考察した建築家たちの著作を紹介するシリーズ、第1弾記事です。
大村哲弥
2017年11月27日
不動産・建築・住宅に関するコンセプト開発・商品企画・デザインなどを手がける有限会社プロジェ代表。一級建築士。http://www.projet-ltd.co.jp/
ブロガー。言葉とモノをめぐるブログ<Tokyo Culture Addiction>http://c-addiction.typepad.jp/blog/と料理ブログ<チキテオ>http://c-addiction.typepad.jp/txikiteo/を主宰。
不動産・建築・住宅に関するコンセプト開発・商品企画・デザインなどを手がける有限会社プロジェ代表。一級建築士。
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戦後の日本の住宅事情を振り返ってみると、庭付き一戸建てが「住宅すごろく」の “上がり” だった時代、核家族ファミリーが3LDKのマンションに憧れた時代、バブルによる値上がりで住宅が高嶺の花となった時代など、時代の変遷につれて、住宅を取り巻く環境は大きく変化し、そのたびに人々の住宅観も変わってきました。
そんななか、家族や社会とのかかわりで住宅をその根本に立ち返って、さまざまに思考してきたのが建築家でした。その捉え方は、往々にして一般に流布している住宅のイメージとは大きく異なる個性的でユニークなものでした。
人口減少社会の到来、高齢化の進展、所有にこだわらないシェアという価値観の登場など、今、住宅を取り巻く社会や環境は再び大きく変化しています。
そこで、これからの住宅に思いを馳せながら、改めて 建築家たちが深く思考を巡らせたユニークな住宅論をもう一度読んでみたいと思います。
そんななか、家族や社会とのかかわりで住宅をその根本に立ち返って、さまざまに思考してきたのが建築家でした。その捉え方は、往々にして一般に流布している住宅のイメージとは大きく異なる個性的でユニークなものでした。
人口減少社会の到来、高齢化の進展、所有にこだわらないシェアという価値観の登場など、今、住宅を取り巻く社会や環境は再び大きく変化しています。
そこで、これからの住宅に思いを馳せながら、改めて 建築家たちが深く思考を巡らせたユニークな住宅論をもう一度読んでみたいと思います。
住宅は芸術である――篠原一男の『住宅論』
「住宅は芸術である」。篠原一男の『住宅論』(鹿島出版会、1970年)は、この暴言ともとれる一言が大きな議論を巻き起こしました。
本書には、このほかにも、「住まいは美しくなければならない」「住宅はその施主のために設計してはならない。建築家はその施主からも自由でなければならない」「住まいは広ければ広いほどよい」「敷地は設計の出発点ではない」など、テーゼのような言葉が並んでいます。
本書はもっぱら、こうした施主の意向など無視して、作家主義的な意匠に走る建築家の独善の書とのイメージが流布していますが、実際に語られているのは、至極まっとうな住宅論、建築論です。
「住宅は芸術である」という言葉で篠原が言おうとしたことは、こういうことでした。
産業化・都市化が進むなか、建築は大規模なビル、工場などが主流となった産業生産の一部となっている。日常生活機能を満足させることだけを目的とした住宅もその一翼を担い、市場の商品となっている。そんななかで建築家が作る住宅の可能性として唯一、ありうるのは、人間そのものと直接かかわる存在としての住宅以外にはありえない、ということを篠原は言ったのでした。
ここでは「芸術」という言葉は、新奇なデザインやアーティスティックな造形のことではなく、人間の文化という意味で使われています。住宅は産業ではなく文化である。そう篠原は宣言したのでした。
住宅設計とは、個々の設計を通じながら人間の営みの普遍に至る創造であり、「作家」=「建築家」とは、そうした創造を担う存在であると位置づけられています。敷地の条件や都市の状況から自由で、そして施主からも自由な設計の主体性とは、そういう意味を指しています。
本書が1970年に出版されたことは象徴的です。産業化や都市化という動向から距離を置き、社会性や党派性ではなくひとりの人間としての作家性こそが、現代の状況に対して批評的有効性を持ちうる、人間の普遍に近づける、とした篠原一男の主張は、高度成長が終焉し、政治の季節が過ぎ去った時代において、社会との関係性に倦んだ建築学科の学生や若い建築家を大いに刺激しました。
時代が変わっても本書の持つアクチュアリティが失われていないのは、この徹底的に個と個の想像力に軸足を置いた篠原の言葉ゆえと言えるでしょう。
「(社会のなかの新しい文脈というものは)いついかなる場所でもひとりの人間のなかから生まれてくるものだと私は考えている。新しい文脈が住宅のなかにもつくられるとき、やがて起こるかもしれぬ建築の逆転劇の主役のひとりに住宅も割り当てられるはずである。小さな空間をつくる建築家はそのときがくることを期待して作業をつづけるのだ。」
新しい世界は、企業や組織からではなく、ひとりの個人から生まれる――篠原一男のシンプルで力強い言葉は、多くの建築家を鼓舞し、日本の住宅の個性のひとつと言われる建築家住宅が作られつづけて今日に至っています。
篠原一男(1925-2006)
東京工業大学で清家清に師事し、自身も同大学で長く教鞭をとりながら、住宅を中心に建築作品を発表。今回取り上げた『住宅論』とともに、その前衛的で抽象性の高い作品は、内外の建築家に大きな影響を与えた。「篠原スクール」と称された同研究室は、坂本一成、長谷川逸子、安田幸一など数多くの建築家を輩出している。代表作に《白の家》《から傘の家》など。
「住宅は芸術である」。篠原一男の『住宅論』(鹿島出版会、1970年)は、この暴言ともとれる一言が大きな議論を巻き起こしました。
本書には、このほかにも、「住まいは美しくなければならない」「住宅はその施主のために設計してはならない。建築家はその施主からも自由でなければならない」「住まいは広ければ広いほどよい」「敷地は設計の出発点ではない」など、テーゼのような言葉が並んでいます。
本書はもっぱら、こうした施主の意向など無視して、作家主義的な意匠に走る建築家の独善の書とのイメージが流布していますが、実際に語られているのは、至極まっとうな住宅論、建築論です。
「住宅は芸術である」という言葉で篠原が言おうとしたことは、こういうことでした。
産業化・都市化が進むなか、建築は大規模なビル、工場などが主流となった産業生産の一部となっている。日常生活機能を満足させることだけを目的とした住宅もその一翼を担い、市場の商品となっている。そんななかで建築家が作る住宅の可能性として唯一、ありうるのは、人間そのものと直接かかわる存在としての住宅以外にはありえない、ということを篠原は言ったのでした。
ここでは「芸術」という言葉は、新奇なデザインやアーティスティックな造形のことではなく、人間の文化という意味で使われています。住宅は産業ではなく文化である。そう篠原は宣言したのでした。
住宅設計とは、個々の設計を通じながら人間の営みの普遍に至る創造であり、「作家」=「建築家」とは、そうした創造を担う存在であると位置づけられています。敷地の条件や都市の状況から自由で、そして施主からも自由な設計の主体性とは、そういう意味を指しています。
本書が1970年に出版されたことは象徴的です。産業化や都市化という動向から距離を置き、社会性や党派性ではなくひとりの人間としての作家性こそが、現代の状況に対して批評的有効性を持ちうる、人間の普遍に近づける、とした篠原一男の主張は、高度成長が終焉し、政治の季節が過ぎ去った時代において、社会との関係性に倦んだ建築学科の学生や若い建築家を大いに刺激しました。
時代が変わっても本書の持つアクチュアリティが失われていないのは、この徹底的に個と個の想像力に軸足を置いた篠原の言葉ゆえと言えるでしょう。
「(社会のなかの新しい文脈というものは)いついかなる場所でもひとりの人間のなかから生まれてくるものだと私は考えている。新しい文脈が住宅のなかにもつくられるとき、やがて起こるかもしれぬ建築の逆転劇の主役のひとりに住宅も割り当てられるはずである。小さな空間をつくる建築家はそのときがくることを期待して作業をつづけるのだ。」
新しい世界は、企業や組織からではなく、ひとりの個人から生まれる――篠原一男のシンプルで力強い言葉は、多くの建築家を鼓舞し、日本の住宅の個性のひとつと言われる建築家住宅が作られつづけて今日に至っています。
篠原一男(1925-2006)
東京工業大学で清家清に師事し、自身も同大学で長く教鞭をとりながら、住宅を中心に建築作品を発表。今回取り上げた『住宅論』とともに、その前衛的で抽象性の高い作品は、内外の建築家に大きな影響を与えた。「篠原スクール」と称された同研究室は、坂本一成、長谷川逸子、安田幸一など数多くの建築家を輩出している。代表作に《白の家》《から傘の家》など。
住宅から近代を問う――黒沢隆の『個室群住居』
黒沢隆の『個室群住居』(住まいの図書館出版局、1997年)は、住宅から近代を問う住宅論です。それは今の住宅と今の家族の起源を問うことにほかなりません。
近代住居の特徴は、「単婚家族(核家族のことです)」と「私生活の場としての住居(専用住宅)」の2つです。
18世紀のバロック時代の宮殿(例えばベルサイユ宮殿)における私室の成立がきっかけになり、それまでの、多世代や他人が同居する家族形態と働く場と不可分の居住形態に変化が起り、その後19世紀の産業革命を経て、労働者と彼らのための住宅が登場し、核家族のための専有住宅という近代住居が誕生し、今に至っています。
近代住居は、家屋としては、リビングルーム+複数の個室という構成となり、家族としては「夫婦の一体的性格」に収斂します。「一体的性格」とは賃金労働を担う夫と家事・育児を担う妻が夫婦一体で役割を担っているという意味です。
日本では1970年前後からこうした近代の前提に変化が起り、今日に至りますます進行中です。企業戦士と性および家事労働を提供する専業主婦がペアとなり、高度経済成長を支えるという構図が崩れ始め、女性の就労が進み、核家族や専業主婦が主流ではなくなりました。産業の高度化とIT技術の浸透は、職住分離や専用住宅という概念をすでに古くさいものとしています。
社会を構成する単位が、家族から自立し独立した個人へと変化する、これが黒沢隆が至った結論でした。そしてそうした時代に対応する住宅として、個人単位の空間である個室が集合した「個室群住居」という概念を提唱し実践しました。
「個室群住居」という言葉で黒沢隆が思い描いていたのは、単なるワンルーム住居が集積する社会ではありませんでした。
(家族が消滅した社会とは)「社会そのものが巨大な家族であるかのように構成されずにはすまない。それは近代建築家の憧れつづけた「コミュニティ」であるかもかもしれない」との言葉の通り、住宅が個室の集まりになると同時に、団欒や家事や育児や高齢者のケアなどを個室を取り巻く外部が担うような社会のあり様が想像されていました。
近代によって伝統的コミュニティが崩壊し「家族」が生まれた。歴史はもう一回転して、近代の終焉により、「家族」が消滅すると同時に、自立した「個」と社会の家族化が実現する、そう黒沢隆は主張しました。
住宅から近代を問い続けた黒沢隆の論理は、近代の終焉は新たな包摂の社会を生み出す可能性を示唆することに帰結しました。この帰結を、非現実的な夢想やユートピアと思うか、それとも、賭けるに値する可能性と思うか、「家族」の黄昏はいよいよ明らかなように思えます。
黒沢隆(1941-2014)
日本大学理工学部、同大学院で建築を学び、自らの設計事務所で住宅作品を発表しながら、同大学生産工学部などをはじめとして、非常勤講師を多数歴任し建築教育に当たった。人類学や近代史に領域を広げた思考から生まれたのが書籍名にもなっている『個室群住居』という概念。『近代=時代のなかの住居』『集合住宅原論の試み』など評論も多数。山本理顕は後輩にあたる。
黒沢隆の『個室群住居』(住まいの図書館出版局、1997年)は、住宅から近代を問う住宅論です。それは今の住宅と今の家族の起源を問うことにほかなりません。
近代住居の特徴は、「単婚家族(核家族のことです)」と「私生活の場としての住居(専用住宅)」の2つです。
18世紀のバロック時代の宮殿(例えばベルサイユ宮殿)における私室の成立がきっかけになり、それまでの、多世代や他人が同居する家族形態と働く場と不可分の居住形態に変化が起り、その後19世紀の産業革命を経て、労働者と彼らのための住宅が登場し、核家族のための専有住宅という近代住居が誕生し、今に至っています。
近代住居は、家屋としては、リビングルーム+複数の個室という構成となり、家族としては「夫婦の一体的性格」に収斂します。「一体的性格」とは賃金労働を担う夫と家事・育児を担う妻が夫婦一体で役割を担っているという意味です。
日本では1970年前後からこうした近代の前提に変化が起り、今日に至りますます進行中です。企業戦士と性および家事労働を提供する専業主婦がペアとなり、高度経済成長を支えるという構図が崩れ始め、女性の就労が進み、核家族や専業主婦が主流ではなくなりました。産業の高度化とIT技術の浸透は、職住分離や専用住宅という概念をすでに古くさいものとしています。
社会を構成する単位が、家族から自立し独立した個人へと変化する、これが黒沢隆が至った結論でした。そしてそうした時代に対応する住宅として、個人単位の空間である個室が集合した「個室群住居」という概念を提唱し実践しました。
「個室群住居」という言葉で黒沢隆が思い描いていたのは、単なるワンルーム住居が集積する社会ではありませんでした。
(家族が消滅した社会とは)「社会そのものが巨大な家族であるかのように構成されずにはすまない。それは近代建築家の憧れつづけた「コミュニティ」であるかもかもしれない」との言葉の通り、住宅が個室の集まりになると同時に、団欒や家事や育児や高齢者のケアなどを個室を取り巻く外部が担うような社会のあり様が想像されていました。
近代によって伝統的コミュニティが崩壊し「家族」が生まれた。歴史はもう一回転して、近代の終焉により、「家族」が消滅すると同時に、自立した「個」と社会の家族化が実現する、そう黒沢隆は主張しました。
住宅から近代を問い続けた黒沢隆の論理は、近代の終焉は新たな包摂の社会を生み出す可能性を示唆することに帰結しました。この帰結を、非現実的な夢想やユートピアと思うか、それとも、賭けるに値する可能性と思うか、「家族」の黄昏はいよいよ明らかなように思えます。
黒沢隆(1941-2014)
日本大学理工学部、同大学院で建築を学び、自らの設計事務所で住宅作品を発表しながら、同大学生産工学部などをはじめとして、非常勤講師を多数歴任し建築教育に当たった。人類学や近代史に領域を広げた思考から生まれたのが書籍名にもなっている『個室群住居』という概念。『近代=時代のなかの住居』『集合住宅原論の試み』など評論も多数。山本理顕は後輩にあたる。
住宅は公と私の間にある――山本理顕の『住居論』
「空間化された規範」。『住居論』(住まいの図書出版局、1993年)において、山本理顕は、住宅をそう呼んでいます。 山本は住宅を徹底的に空間の性格として捉え、隠された本質に迫ります。
玄関があり、リビングがあり、キッチンとお風呂があり、いくつかの個室が集まった空間を私たちは普段、住宅と呼び、こうした部屋や機能の組み合わせは、そこに住む家族やその生活の実態を反映させた結果であると思って疑わないのではないでしょうか。
これに対して山本理顕は、家族や生活が大きく変わっているなかで、なぜ住宅は変わらないか、という素朴な疑問を呈します。
なぜ住宅は変わらないのか。それは住宅というものが、もともと家族や生活の実態や現実を反映したものではなく、人々の抱いている家族像や生活像といった期待や願望や理想、いってみれば現実ではないヴァーチャルなものを反映してできあがっているものだからである、と喝破します。
「専業主婦」や「核家族」や「家族団らん」という現実がとっくに変わってしまっているのに、今もってnLDKと呼ばれる間取りが主流であることに変わりがないのは、それに代わる確たる家族像や生活像が未だ見えていないから、ということになります。
冒頭の「空間化された規範」という言葉はそういう意味です。
「規範」は外部からやってきます。家族像や生活像、理想や願望は、社会や集団の習慣や制度や秩序など外部との関係性のなかで生まれてくるものです。
「住居は家族という共同体とその外側の社会(その家族を含む上位の共同体)との関係を調停する空間装置なのである」と私たちが当たり前に思っている、住宅は家族のための私的な空間であるという常識も覆されます。
事実、日本においても、近代以前までの住宅は、家父長のための座敷や客間といった封建共同体の秩序を反映した空間を内包していましたし、また、町屋などでは「店」や「見世」と呼ばれる労働や生産や商取引を通じて市場という外部につながった空間を持っていました。
現在、私たちの多くは、住宅=私的(プライベート)、外部=公的(パブリック)という図式を当たり前のこととして暮らしています。近代以降、当たり前のように考えられてきたこうした住宅のあり方(規範)も決して当たり前ではないということになります。
人口の減少、単身世帯の増加、社会の急速な高齢化、新しい働き方、シェアという価値観など、今の日本が直面する問題はすべて、住宅に直結する問題であり、さらには住宅を私的な空間として囲い込むだけではもはや解決できない問題と言えます。
住宅は本来、私的な空間だけではなく、公的な空間でもあった――山本理顕の指摘は、これからますます重さを増してくるに違いありません。
山本理顕(1945-)
日本大学理工学部、東京芸術大学大学院で建築を学ぶ。横浜国立大学大学院教授、日本大学大学院特任教授などを歴任。研究生として在籍した東京大学原広司研究室での集落調査の知見に基づいた独自の領域論や、「住居とはなにか」を問題提起する作品を発表。近年は地域コミュニティ構想『地域社会圏主義』などを提起している。代表作に《岡山の住宅》《熊本県営保田窪第一団地》など。
*写真は現在、新刊で入手可能な山本理顕『新編住居論』(ちくま文庫、2004年)のものです。
教えてHouzz
ご感想をおきかせください。
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「空間化された規範」。『住居論』(住まいの図書出版局、1993年)において、山本理顕は、住宅をそう呼んでいます。 山本は住宅を徹底的に空間の性格として捉え、隠された本質に迫ります。
玄関があり、リビングがあり、キッチンとお風呂があり、いくつかの個室が集まった空間を私たちは普段、住宅と呼び、こうした部屋や機能の組み合わせは、そこに住む家族やその生活の実態を反映させた結果であると思って疑わないのではないでしょうか。
これに対して山本理顕は、家族や生活が大きく変わっているなかで、なぜ住宅は変わらないか、という素朴な疑問を呈します。
なぜ住宅は変わらないのか。それは住宅というものが、もともと家族や生活の実態や現実を反映したものではなく、人々の抱いている家族像や生活像といった期待や願望や理想、いってみれば現実ではないヴァーチャルなものを反映してできあがっているものだからである、と喝破します。
「専業主婦」や「核家族」や「家族団らん」という現実がとっくに変わってしまっているのに、今もってnLDKと呼ばれる間取りが主流であることに変わりがないのは、それに代わる確たる家族像や生活像が未だ見えていないから、ということになります。
冒頭の「空間化された規範」という言葉はそういう意味です。
「規範」は外部からやってきます。家族像や生活像、理想や願望は、社会や集団の習慣や制度や秩序など外部との関係性のなかで生まれてくるものです。
「住居は家族という共同体とその外側の社会(その家族を含む上位の共同体)との関係を調停する空間装置なのである」と私たちが当たり前に思っている、住宅は家族のための私的な空間であるという常識も覆されます。
事実、日本においても、近代以前までの住宅は、家父長のための座敷や客間といった封建共同体の秩序を反映した空間を内包していましたし、また、町屋などでは「店」や「見世」と呼ばれる労働や生産や商取引を通じて市場という外部につながった空間を持っていました。
現在、私たちの多くは、住宅=私的(プライベート)、外部=公的(パブリック)という図式を当たり前のこととして暮らしています。近代以降、当たり前のように考えられてきたこうした住宅のあり方(規範)も決して当たり前ではないということになります。
人口の減少、単身世帯の増加、社会の急速な高齢化、新しい働き方、シェアという価値観など、今の日本が直面する問題はすべて、住宅に直結する問題であり、さらには住宅を私的な空間として囲い込むだけではもはや解決できない問題と言えます。
住宅は本来、私的な空間だけではなく、公的な空間でもあった――山本理顕の指摘は、これからますます重さを増してくるに違いありません。
山本理顕(1945-)
日本大学理工学部、東京芸術大学大学院で建築を学ぶ。横浜国立大学大学院教授、日本大学大学院特任教授などを歴任。研究生として在籍した東京大学原広司研究室での集落調査の知見に基づいた独自の領域論や、「住居とはなにか」を問題提起する作品を発表。近年は地域コミュニティ構想『地域社会圏主義』などを提起している。代表作に《岡山の住宅》《熊本県営保田窪第一団地》など。
*写真は現在、新刊で入手可能な山本理顕『新編住居論』(ちくま文庫、2004年)のものです。
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