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低価格住宅の先駆け。2018年プリツカー賞受賞者、バルクリシュナ・ドーシの建築
ル・コルビュジエやルイス・カーンのもとで働いたドーシは、母国のために数多くのプロジェクトに取り組んできました。
Mitchell Parker
2018年5月16日
バルクリシュナ・ドーシ(VSF)
2018年、建築界最大の栄誉であるプリツカー賞に輝いたのは、低価格住宅のパイオニアと称えられる90歳のインド人建築家、バルクリシュナ・ドーシ(写真)。インド人として初の受賞者となる。
2018年、建築界最大の栄誉であるプリツカー賞に輝いたのは、低価格住宅のパイオニアと称えられる90歳のインド人建築家、バルクリシュナ・ドーシ(写真)。インド人として初の受賞者となる。
アランヤ・ローコスト・ハウジング地区(1989年)
インド、インドール
ドーシは、自然や東洋の文化、そしてインドの寺院・霊廟やにぎやかな街角の生活を豊かな源泉として、目にも耳にもいきいきと生命力にあふれた建築をつくり出す。プリツカー賞は1979年に創設され、ハイアット財団によって主催されてきた建築賞だ。10名で構成される審査員団はドーシについて「建設に携わった100以上の建築物にみられる類まれな才能、母国やコミュニティへの尽力と貢献、教育者としての影響力、長いキャリアを通して世界中のプロフェッショナルと建築の学生たちにとって、卓越した模範となったことを称える」と述べた。
ドーシは1927年、インドの都市プネに生まれた。ヒンドゥー教徒の親族たちは家具製作業を2代にわたって営んでいた。幼少期から職人技術やプロポーション(間取りや空間の比率)に触れていたこと、また、3人の叔父とその家族を住まわせるために祖父の家を繰り返し増築して階を増やしていたことが、建築の道に進むきっかけになったとドーシは言う。NPRのインタビュー(英語サイト)でドーシは、「私はずっと、空間は生きていると感じてきました。空間と光、そして空間の中に入り込んでくる動きが、私にとっては非常に重要なんです。そこから対話が生まれます。そこから活動が生まれます。そこから、人が生活の一部となり始めるのです。私の建築哲学は『建築は生活の背景である』なのです」と語っている。
インド、インドール
ドーシは、自然や東洋の文化、そしてインドの寺院・霊廟やにぎやかな街角の生活を豊かな源泉として、目にも耳にもいきいきと生命力にあふれた建築をつくり出す。プリツカー賞は1979年に創設され、ハイアット財団によって主催されてきた建築賞だ。10名で構成される審査員団はドーシについて「建設に携わった100以上の建築物にみられる類まれな才能、母国やコミュニティへの尽力と貢献、教育者としての影響力、長いキャリアを通して世界中のプロフェッショナルと建築の学生たちにとって、卓越した模範となったことを称える」と述べた。
ドーシは1927年、インドの都市プネに生まれた。ヒンドゥー教徒の親族たちは家具製作業を2代にわたって営んでいた。幼少期から職人技術やプロポーション(間取りや空間の比率)に触れていたこと、また、3人の叔父とその家族を住まわせるために祖父の家を繰り返し増築して階を増やしていたことが、建築の道に進むきっかけになったとドーシは言う。NPRのインタビュー(英語サイト)でドーシは、「私はずっと、空間は生きていると感じてきました。空間と光、そして空間の中に入り込んでくる動きが、私にとっては非常に重要なんです。そこから対話が生まれます。そこから活動が生まれます。そこから、人が生活の一部となり始めるのです。私の建築哲学は『建築は生活の背景である』なのです」と語っている。
アランヤ・ローコスト・ハウジング地区の通りの一つ
インドが独立を獲得した1947年、20歳のドーシはボンベイ(現ムンバイ)にあるインドでもっとも歴史と権威ある建築学校のひとつ、サー・J・J・スクール・オブ・アーキテクチャーで建築の勉強を始めた。1950年代には、伝説的なモダニズム建築家ル・コルビュジエのもとでシニアデザイナーとして働き、アーメダバードやチャンディーガルなど、コルビュジェのインドでのプロジェクトを指揮した。
インドが独立を獲得した1947年、20歳のドーシはボンベイ(現ムンバイ)にあるインドでもっとも歴史と権威ある建築学校のひとつ、サー・J・J・スクール・オブ・アーキテクチャーで建築の勉強を始めた。1950年代には、伝説的なモダニズム建築家ル・コルビュジエのもとでシニアデザイナーとして働き、アーメダバードやチャンディーガルなど、コルビュジェのインドでのプロジェクトを指揮した。
ドーシのアトリエ《サンガス》の外観(1980年)
インド、アーメダバード
その後、ドーシの事務所《ヴァスツ・シルパ》は、インドにおける低価格住宅と近代的都市計画のパイオニアとして知られるようになった。プリツカー審査員団による発表では次のように述べられている。「バルクリシュナ・ドーシが長年にわたって生み出してきた建築は常に真面目で、決して派手でなく、トレンドを追うこともありません。ドーシは、品質の高いオーセンティックな建築を通じ、母国と国民のために貢献するという深い責任感と意思をもって、行政機関や公共サービス、教育文化機関のための建築、個人向け住宅など、多様なプロジェクトに取り組んできました」
インド、アーメダバード
その後、ドーシの事務所《ヴァスツ・シルパ》は、インドにおける低価格住宅と近代的都市計画のパイオニアとして知られるようになった。プリツカー審査員団による発表では次のように述べられている。「バルクリシュナ・ドーシが長年にわたって生み出してきた建築は常に真面目で、決して派手でなく、トレンドを追うこともありません。ドーシは、品質の高いオーセンティックな建築を通じ、母国と国民のために貢献するという深い責任感と意思をもって、行政機関や公共サービス、教育文化機関のための建築、個人向け住宅など、多様なプロジェクトに取り組んできました」
ドーシのアトリエ《サンガス》、草のステップと円形講堂
ドーシは、建築に携わる人間が儲けだけを追い求めがちな風潮があると考えており、それについてしばしば苦言を呈してきた。「いつも利益がいくら出るかを考えている人がいるが、それだけが人生じゃありません」と、ニューヨーク・タイムズ(英語サイト)に語ったドーシは、こう続けた。「健やかに生きることへの意識が欠けています」
ドーシは、建築に携わる人間が儲けだけを追い求めがちな風潮があると考えており、それについてしばしば苦言を呈してきた。「いつも利益がいくら出るかを考えている人がいるが、それだけが人生じゃありません」と、ニューヨーク・タイムズ(英語サイト)に語ったドーシは、こう続けた。「健やかに生きることへの意識が欠けています」
地下ギャラリー《アムダヴァード・ニ・グファ》(1994年)には、インドを代表するアーティスト、マクブール・フィダ・フセインの作品が所蔵されている。
インド、アーメダバード
少なくとも西洋では、ドーシはまだ一般に知られる存在ではないものの、長年にわたって彼の作品は高い評価をうけているし、今までプロジェクトを共にしてきた人物たちの顔ぶれも立派なものだ。ロサンゼルス・タイムズ(英語サイト)の建築批評家、クリストファー・ホーソーンによると、ドーシの選出には多少の意外性はあったものの、無名同然だった3名のスペイン人建築家〈RCR アーキテクツ〉が受賞した昨年に比べたら驚かないという。
また、初期にル・コルビュジエやルイス・カーンと一緒に働いてきたことから、ドーシは「モダニズムの建築史や、モダニズム建築とインドやほかのアジアの国々とつながりの歴史の中では、たびたび登場する存在だ」とホーソーンは述べている。
インド、アーメダバード
少なくとも西洋では、ドーシはまだ一般に知られる存在ではないものの、長年にわたって彼の作品は高い評価をうけているし、今までプロジェクトを共にしてきた人物たちの顔ぶれも立派なものだ。ロサンゼルス・タイムズ(英語サイト)の建築批評家、クリストファー・ホーソーンによると、ドーシの選出には多少の意外性はあったものの、無名同然だった3名のスペイン人建築家〈RCR アーキテクツ〉が受賞した昨年に比べたら驚かないという。
また、初期にル・コルビュジエやルイス・カーンと一緒に働いてきたことから、ドーシは「モダニズムの建築史や、モダニズム建築とインドやほかのアジアの国々とつながりの歴史の中では、たびたび登場する存在だ」とホーソーンは述べている。
インド経営大学院バンガロール校(1977-1992、段階的に完成)の半屋外廊下
インド、バンガロール
ドーシの手掛けたプロジェクトのなかでもとくに有名なものに、インド・アーメダバードにあるドーシのアトリエ《サンガス》、《アーメダバード・スクール・オブ・アーキテクチャー(のちの環境計画・技術センター(CEPT)》、インド経営大学院バンガロール校、インド農業・肥料業者協同組合のためにカロルにつくられたローコスト・ハウジング地区、1995年に栄誉あるアガ・カーン建築賞を受賞したインドールの《アランヤ・コミュニティ・ハウジング》などが挙げられる。
「私の仕事は、私の人生や哲学や夢の延長であり、私はそこで建築精神の宝庫を創造しようとしてるのです」ドーシは受賞に際しての発表でこう述べている。「この栄誉ある賞をいただけるのは、私の師であるル・コルビュジエのおかげです。彼の教えによって、私はアイデンティティに疑問を抱くようになり、持続可能で全体性を重視した生活環境を実現するため、地域に受け入れられる時代をとらえた最新の表現を発見せざるをえなくなったのです。私の仕事がこうして評価されることはとても感慨深く、努力の実った思いであり、心から謙虚に感謝の念をもって、プリツカー審査員の皆さまへお礼を申し上げます。今回の受賞によって、『ライフスタイルと建築がひとつになったとき、祝福がある』という私の信念を再確認しました」
受賞式は今月トロントのアガ・カーン美術館で行われ、賞金として10万ドルが贈られる。
ここからは、写真でドーシの代表的な作品をもう少しご紹介しよう。
インド、バンガロール
ドーシの手掛けたプロジェクトのなかでもとくに有名なものに、インド・アーメダバードにあるドーシのアトリエ《サンガス》、《アーメダバード・スクール・オブ・アーキテクチャー(のちの環境計画・技術センター(CEPT)》、インド経営大学院バンガロール校、インド農業・肥料業者協同組合のためにカロルにつくられたローコスト・ハウジング地区、1995年に栄誉あるアガ・カーン建築賞を受賞したインドールの《アランヤ・コミュニティ・ハウジング》などが挙げられる。
「私の仕事は、私の人生や哲学や夢の延長であり、私はそこで建築精神の宝庫を創造しようとしてるのです」ドーシは受賞に際しての発表でこう述べている。「この栄誉ある賞をいただけるのは、私の師であるル・コルビュジエのおかげです。彼の教えによって、私はアイデンティティに疑問を抱くようになり、持続可能で全体性を重視した生活環境を実現するため、地域に受け入れられる時代をとらえた最新の表現を発見せざるをえなくなったのです。私の仕事がこうして評価されることはとても感慨深く、努力の実った思いであり、心から謙虚に感謝の念をもって、プリツカー審査員の皆さまへお礼を申し上げます。今回の受賞によって、『ライフスタイルと建築がひとつになったとき、祝福がある』という私の信念を再確認しました」
受賞式は今月トロントのアガ・カーン美術館で行われ、賞金として10万ドルが贈られる。
ここからは、写真でドーシの代表的な作品をもう少しご紹介しよう。
《インド学研究所》(1962年)は、古い文献の保管施設、研究センター、そして博物館を収容するために設計された。ドーシはこのデザインについて「インドの建物に見られる要素がすべて備わっている」と述べている。2階建て、高さのある柱礎、端から端まで延びるベランダといった要素だ。「この設計に取り組む前、建物にふさわしい伝統建築を理解するために、ジャイナ教の僧侶たちの住居であるウパシュラーヤを研究し、この町で数人のジャイナ教の高僧に会った」
インド、アーメダバード
インド、アーメダバード
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