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フランク・ロイド・ライトの「自邸兼スタジオ」
ルイス・サリヴァンの事務所で働いていた若きライトが建てた自邸。後に事務所も兼ねることになるこの住宅から、数々の名作建築が生まれました。
Bud Dietrich, AIA
2018年6月8日
1888年、若きフランク・ロイド・ライトは上司のルイス・サリヴァンに5千ドルを借り、これから家族で暮らす家を建てるべく、イリノイ州オークパークに土地を購入した。時代を問わず多くの建築家がそうであるように、ライトもまた、自邸を実験台として建築のアイデアを模索していったのだ。
家族が増えたため1895年に最初の増築を行い、子ども用プレイルームとキッチンのある新しいウィング棟を追加。そして1898年には、2度目の増築で事務所(スタジオ)を追加する。このスタジオで、ライトと所員たちは20世紀の最重要建築となった建物の数々を設計したのだ。また、プレーリースタイルが発展し円熟に至ったのも、この自邸兼スタジオだった。
しかし、ライトは1909年、キャリアの絶頂期にこの家を永久的に去ることになる。妻キャサリンと子どもたちを捨て、施主であったエドウィン・チェニーの妻、ママー・チェニーと不倫関係となり、ヨーロッパへ駆け落ちしたのだ。ライトが去ったのち、家と仕事場はいくつかのアパートメントに分割され、キャサリンと子どもたちの生活費を賄う収入源となった。1960年代になるころには建物はすっかり荒れてしまい、1970年代半ばには、フランク・ロイド・ライト・トラストに所有権が移された。
同トラストが数年間を費やして1909年当時の状態に修復し、現在は見学ツアーも行っている。フランク・ロイド・ライト、建築、プレーリースタイルに興味がある人ならだれでも、ぜひ訪問するべき価値のある場所だ。
家族が増えたため1895年に最初の増築を行い、子ども用プレイルームとキッチンのある新しいウィング棟を追加。そして1898年には、2度目の増築で事務所(スタジオ)を追加する。このスタジオで、ライトと所員たちは20世紀の最重要建築となった建物の数々を設計したのだ。また、プレーリースタイルが発展し円熟に至ったのも、この自邸兼スタジオだった。
しかし、ライトは1909年、キャリアの絶頂期にこの家を永久的に去ることになる。妻キャサリンと子どもたちを捨て、施主であったエドウィン・チェニーの妻、ママー・チェニーと不倫関係となり、ヨーロッパへ駆け落ちしたのだ。ライトが去ったのち、家と仕事場はいくつかのアパートメントに分割され、キャサリンと子どもたちの生活費を賄う収入源となった。1960年代になるころには建物はすっかり荒れてしまい、1970年代半ばには、フランク・ロイド・ライト・トラストに所有権が移された。
同トラストが数年間を費やして1909年当時の状態に修復し、現在は見学ツアーも行っている。フランク・ロイド・ライト、建築、プレーリースタイルに興味がある人ならだれでも、ぜひ訪問するべき価値のある場所だ。
この家の竣工当時の外観においてもっとも目を引くのは、宙に浮いたような印象の、大きくシンプルなかたちの切妻だろう。この家のデザインには、多くの点で、子どもが描く家の姿を思わせるところがある。簡単な図形を組み合わせ、窓をいくつかとドアを1つ付けたような家の絵である。
ライト自身に聞いたならば、先行する設計で参考にした作品などないと言っただろうが、シングル(こけら板)様式の家を作っていた建築家の一派からヒントを得ていることは明らかだ。ロードアイランド州ニューポートにあるアイザック・ベル邸とは、似ている点が非常に多い。また、オープンスペースの間取り、大きなガラス面、シンプルなフォルム、水平方向の強調などは、すべて現在の住宅デザインに見られる要素でもある。言うなれば、これらの家がアメリカで最初のモダン住宅だったのだ。
ライト自身に聞いたならば、先行する設計で参考にした作品などないと言っただろうが、シングル(こけら板)様式の家を作っていた建築家の一派からヒントを得ていることは明らかだ。ロードアイランド州ニューポートにあるアイザック・ベル邸とは、似ている点が非常に多い。また、オープンスペースの間取り、大きなガラス面、シンプルなフォルム、水平方向の強調などは、すべて現在の住宅デザインに見られる要素でもある。言うなれば、これらの家がアメリカで最初のモダン住宅だったのだ。
オリジナルの1階にはリビングルーム、ダイニングルーム、キッチンがあった。この階の中心には、暖炉と造作のベンチを備えたイングルヌック(暖炉の脇の小部屋)がある。どっしりとした暖炉まわりが中心となるしつらえは、のちにライトの設計のトレードマークとなっている。こちらでは、家のまさに中央にあたる場所に、家族が集まる暖かな暖炉を配置している。
オークパークで、ライトとキャサリンは何人もの子どもたちに恵まれた。1895年に追加された2階のプレイルームで、子どもたちは楽器の演奏を習い、家族や友人たちの前で劇を披露する機会もよく設けられていた。
ライトの家族愛がいちばん感じられるのも、このプレイルームだ。たしかに、ライト自身の家庭はやがて破たんすることになるのだが、この自宅をはじめとする住宅デザインにおいては、何より家庭の喜びが表現されていると言えるだろう。
オリジナルのキッチンは、1890年代半ばに独立型のダイニングルームへと改装された。この部屋では、空間のなかに空間をつくるという試みを行っている。大きな長方形の装飾的な照明が部屋の中心に位置し、背もたれの高い椅子によって囲い込まれたスペースを形成している。
造作家具を取り入れているようすも、この部屋を見るとよくわかる。部屋の形状から、家具や色使いといったディテールのすみずみまで、ライトは住環境をコントロールしたがった。家具を別個のモノとしてあとから付け足すよりも、サイドボードから収納、座席まで造作としてしまうことで、部屋の中の不確定要素をなるべく排除することを好んだのだ。
造作家具を取り入れているようすも、この部屋を見るとよくわかる。部屋の形状から、家具や色使いといったディテールのすみずみまで、ライトは住環境をコントロールしたがった。家具を別個のモノとしてあとから付け足すよりも、サイドボードから収納、座席まで造作としてしまうことで、部屋の中の不確定要素をなるべく排除することを好んだのだ。
最後の増築が行われたのは1890年代の末。オークパークに住んでいた最後の10年間、ライトの設計事務所となる建物だ。
写真中央に位置するのが、スタジオへの入口。その左側に2階建てのスタジオ本体、その右側にプレゼンテーション室がある。背後には母屋の切妻屋根が見える。今回の追加部分は、クライアントを迎え入れる「ビジネス」の場所であるため、「家庭」としてのオリジナルの家とは趣きがはっきりと異なっているが、ディテールと素材が共通していることでまとまりが感じられる。
このスタジオの中で、20世紀を代表する名作建築の数々が設計された。ロビー邸やラーキンビル、そのほかにもたくさんの建物のアイデアがここから誕生し、建築のありかたを一変させていったのだった。
絶対に知っておきたいモダニズムの傑作住宅10選
写真中央に位置するのが、スタジオへの入口。その左側に2階建てのスタジオ本体、その右側にプレゼンテーション室がある。背後には母屋の切妻屋根が見える。今回の追加部分は、クライアントを迎え入れる「ビジネス」の場所であるため、「家庭」としてのオリジナルの家とは趣きがはっきりと異なっているが、ディテールと素材が共通していることでまとまりが感じられる。
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