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作家ジャック・ロンドンが暮らした広大な牧場と屋敷をたずねて
2016年に生誕140周年を迎えた作家ジャック・ロンドン。『野性の呼び声』で名高い作家が愛した牧場付きの邸宅は、彼の設計と農場経営の才能を示す家でもありました。
Stacy Briscoe
2016年4月20日
『野性の呼び声』『白い牙』『マーティン・イーデン』をはじめ、数々の名作を残したジャック・ロンドン。作家、冒険家、旅行家として知られたロンドンだが、カリフォルニア州グレン・エレンにあるジャック・ロンドン州立史跡公園に保存されているランチ(牧場)と屋敷を訪れてみると、まったく違った顔が見えてくる。
今年は、ロンドン生誕140周年にあたる。そこで、歴史家であり、教育担当マネジャーを務めるキャレン・ブキャナンさんとともに、サンフランシスコのベイエリアのランドマークとなっているこの公園を巡りながら、建築家、デザイナー、そしてサステナブルな農場経営者という、ロンドンの知られざる面をご紹介していこう。
今年は、ロンドン生誕140周年にあたる。そこで、歴史家であり、教育担当マネジャーを務めるキャレン・ブキャナンさんとともに、サンフランシスコのベイエリアのランドマークとなっているこの公園を巡りながら、建築家、デザイナー、そしてサステナブルな農場経営者という、ロンドンの知られざる面をご紹介していこう。
ブキャナンさんによれば、ジャック・ロンドンが船乗り・旅行家となったのは15歳のときのこと。人生の大半を、海外や米国内の旅に費やし、その旅が彼の名作に大きな影響を与えたことはよく知られている。しかし、ロンドンが心の底で求めていたのは、心静かに安住することのできる、「わが家と呼べる場所」だった。
カリフォルニア州グレン・エレンの地をロンドンに紹介したのは、彼の2人めの妻、チャーミアンだった。ここがロンドンがついに見つけた「わが家」となった。ジャック・ロンドン州立史跡公園が出版した『ジャック・ロンドン州立史跡公園史』によれば、1906年に初めてここに52万6000平方メートルの土地を購入したロンドンは、「カリフォルニアで最も美しく、最も原始の大地を手に入れた」と誇らしげに述べたそうだ。また、後には、『私が欲しかったのは、物を書き、のんびりと暮らすことのできる田園地帯の静かな場所だったのだ」と述べていた。最終的に土地を566万6000平方メートルまで買い足し、大牧場を経営しながら、作家としても成功を収めたのだった。
「ビューティー・ランチ」と名付けたこの地に暮らした時代、ロンドンは『ジョン・バーリーコーン』や『月の谷 (The Valley of the Moon)』等の有名な作品を執筆した。しかし、執筆に加え、土地を耕し、サステナブルな農法の開発や、新しい家の建設にも同じくらい時間をかけてとりくんだという。
ロンドンが最初の56万平方メートル余りを購入したとき、この土地は肥沃とはとても言えず、自然農法やサステナブルな牧場経営など夢のまた夢にしか思えない状態だった。だが、ロンドンには明確なヴィジョンがあり、将来の世代のために作物が豊かに実る農場をつくりあげるのだという決意があった。
カリフォルニア州グレン・エレンの地をロンドンに紹介したのは、彼の2人めの妻、チャーミアンだった。ここがロンドンがついに見つけた「わが家」となった。ジャック・ロンドン州立史跡公園が出版した『ジャック・ロンドン州立史跡公園史』によれば、1906年に初めてここに52万6000平方メートルの土地を購入したロンドンは、「カリフォルニアで最も美しく、最も原始の大地を手に入れた」と誇らしげに述べたそうだ。また、後には、『私が欲しかったのは、物を書き、のんびりと暮らすことのできる田園地帯の静かな場所だったのだ」と述べていた。最終的に土地を566万6000平方メートルまで買い足し、大牧場を経営しながら、作家としても成功を収めたのだった。
「ビューティー・ランチ」と名付けたこの地に暮らした時代、ロンドンは『ジョン・バーリーコーン』や『月の谷 (The Valley of the Moon)』等の有名な作品を執筆した。しかし、執筆に加え、土地を耕し、サステナブルな農法の開発や、新しい家の建設にも同じくらい時間をかけてとりくんだという。
ロンドンが最初の56万平方メートル余りを購入したとき、この土地は肥沃とはとても言えず、自然農法やサステナブルな牧場経営など夢のまた夢にしか思えない状態だった。だが、ロンドンには明確なヴィジョンがあり、将来の世代のために作物が豊かに実る農場をつくりあげるのだという決意があった。
ロンドンはここで、世界中を旅するうちに学んだサステナブルな農法を実践した。その多くは、当時のカリフォルニアの農夫たちにはほとんど馴染みのないものばかりだった。ロンドンは自然肥料を使用し、風土と気候にあった家畜だけを選んで飼育した。前のオーナーの農法のせいですっかり痩せてしまったこの土地を、環境に負担をかけない農法を実践することで、肥沃な大地に蘇らせたのだ。
写真の「ピッグ・パレス(豚の城)」は、ロンドンが設計・建設した建物で、建築家兼自然農法家としてのロンドンの才能を示している。養豚小屋を円形にすることで、メンテナンスが楽になり、1人でも充分に運営できるようになったのだ。雌豚は1匹ずつ、日当たりのいいポーチと運動エリアの付いたコンパートメントで飼育されていた。こうした雌豚用の「スイート」が取り囲む内側に餌場があり、中央には、各コンパートメントに水を供給するタンクが設置されていた。
写真の「ピッグ・パレス(豚の城)」は、ロンドンが設計・建設した建物で、建築家兼自然農法家としてのロンドンの才能を示している。養豚小屋を円形にすることで、メンテナンスが楽になり、1人でも充分に運営できるようになったのだ。雌豚は1匹ずつ、日当たりのいいポーチと運動エリアの付いたコンパートメントで飼育されていた。こうした雌豚用の「スイート」が取り囲む内側に餌場があり、中央には、各コンパートメントに水を供給するタンクが設置されていた。
1911年に、ロンドンは隣接する農場も購入する。コーラー&フローリング・ワイナリーが所有していた農場だが、1906年の地震で破壊されてしまっていた。新しく入手した土地で、ロンドンはさらに新プロジェクトに着手する――新居を建てることにしたのだ。
しかし、ロンドン自身のニックネーム「ウルフ(狼)」に因んで「ザ・ウルフ」と呼ばれたその家は、完成することはなかった。1913年、ロンドンが数キロ先のコテージで眠っているときに、原因不明の火事が起きたのだ。火事ですべての構造が焼け落ちてしまい、現在はわずかな残骸があるのみだ。ロンドンはいずれ再建に着手するつもりだったが、果たすことなく亡くなってしまった。
しかし、ロンドン自身のニックネーム「ウルフ(狼)」に因んで「ザ・ウルフ」と呼ばれたその家は、完成することはなかった。1913年、ロンドンが数キロ先のコテージで眠っているときに、原因不明の火事が起きたのだ。火事ですべての構造が焼け落ちてしまい、現在はわずかな残骸があるのみだ。ロンドンはいずれ再建に着手するつもりだったが、果たすことなく亡くなってしまった。
ジャック・ロンドン州立史跡公園のブキャナンさんによれば、古いワイナリーの建物にキッチンをつくり、この家に暮らしていたのだそう。残念ながら、当時のキッチンの写真は残っていないが、現在は友人や家族の回想を元にキュレーターたちが再現した空間が展示されている。
ロンドン夫妻には、家政婦、男性の召使、料理人など、数人の使用人がいた。ブキャナンさんによれば、ロンドンの好物はローストダックで、料理人に作らせたり、カリフォルニア州オークランド、サドルロックにあるお気に入りのレストランから取り寄せたりしていたのだそう。
ロンドン夫妻には、家政婦、男性の召使、料理人など、数人の使用人がいた。ブキャナンさんによれば、ロンドンの好物はローストダックで、料理人に作らせたり、カリフォルニア州オークランド、サドルロックにあるお気に入りのレストランから取り寄せたりしていたのだそう。
ロンドンは、執筆で稼いだお金を土地の購入やリノベーションに費やした。つまり、家や農場をもっと大きくしたいという気持ちが、彼の作家活動の原動力になっていたのだ。ジャック・ロンドン州立史跡公園の出版物によれば、「現在所有している美しきものたちをもっと増やしたいということ以外に、私の執筆の理由はありません。土地を買い足して私のすばらしい家と農場を拡大することこそ、私が本を書く理由なのです」とロンドンは生前話していたそうだ。
ロンドンが執筆をしていた書斎。デスク、タイプライター、ディクタフォン(速記用の口述録音再生装置)、書棚、本など、ロンドンが生前使用していた品々が並んでいる。アート作品やイラストは、『月の谷』に掲載されたもの。
ロンドンが執筆をしていた書斎。デスク、タイプライター、ディクタフォン(速記用の口述録音再生装置)、書棚、本など、ロンドンが生前使用していた品々が並んでいる。アート作品やイラストは、『月の谷』に掲載されたもの。
書斎には、横になれる屋内ポーチが隣接してついている。ブキャナンさんによれば、ロンドンは夜中にしばしば目を覚まし、酒を飲んだり、タバコを吸ったり、執筆したりしたという。ロンドンは夜中に思いついたことがあると紙切れに書き留め、朝になって仕分けし、洗濯ひもにピンチで留めていた。
ロンドンは「ビューティー・ランチ」を、作家やクリエイターの仲間が集まるコミュニティの場にしたいと夢見ていた。コミューンは実現しなかったが、ロンドン夫妻は、メキシコ人画家のハビエル・マルティネス、ノルウェー人彫刻家のフィン・フローリック、詩人のジョージ・スターリング、小説家のジミー・ホッパーなど、著名なアーティストたちをこのコテージでもてなした。
写真はコテージのゲストルーム。
写真はコテージのゲストルーム。
ロンドンの生前の主寝室を撮影した写真は残っていないので、ここでもキュレーターたちが家族や友人の証言をもとに空間を再現している。
夫妻はこの部屋で一緒に寝ていたが、ロンドンはしばしば夜中に目を覚ますし、チャーミアンは眠りが浅いタイプだったので、それぞれ、別々のポーチで眠ることも多かった。
夫妻はこの部屋で一緒に寝ていたが、ロンドンはしばしば夜中に目を覚ますし、チャーミアンは眠りが浅いタイプだったので、それぞれ、別々のポーチで眠ることも多かった。
写真はチャーミアンが寝泊まりしていたポーチ。ここで執筆もしていた。チャーミアンは夫との生活を振り返った回想記を3作出版している。
ここは100年前、1916年11月22日にロンドンが亡くなった部屋でもある(死因は腎臓病と思われる)。
ここは100年前、1916年11月22日にロンドンが亡くなった部屋でもある(死因は腎臓病と思われる)。
ロンドンの死後、チャーミアンは、ロンドンの父親違いの義姉であるイライザ・シェパードとともに「幸せな壁の家」を設計した。チャーミアンが1955年に亡くなるまで暮らしたこの家は、現在、ロンドンの生涯を展示する博物館となっている。
ブキャナンさんによれば、厚さ60センチの石壁、レッドウッドの梁、鉄フレームの窓を使ったこの家は、「ウルフ・ハウス」のオリジナルの計画を真似た設計だそう。2階建て、延べ床面積約440平方メートルのアーツ・アンド・クラフツ様式の建物で、各階とも大きな暖炉と窓際のベンチがあるオープンフロア(ワンルーム)の空間になっている。
現在、この家には、ロンドンの全作品の初版本、チャーミアン愛用のピアノ、夫妻が世界旅行で集めた品々が展示されている。
ブキャナンさんによれば、厚さ60センチの石壁、レッドウッドの梁、鉄フレームの窓を使ったこの家は、「ウルフ・ハウス」のオリジナルの計画を真似た設計だそう。2階建て、延べ床面積約440平方メートルのアーツ・アンド・クラフツ様式の建物で、各階とも大きな暖炉と窓際のベンチがあるオープンフロア(ワンルーム)の空間になっている。
現在、この家には、ロンドンの全作品の初版本、チャーミアン愛用のピアノ、夫妻が世界旅行で集めた品々が展示されている。
ジャック・ロンドン州立史跡公園についての詳細やイベント情報は、公園のホームページ(英語)をご覧ください。
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