「茶室」の伝統と革新性
インスタレーションとしての茶室 名門〈中村外二工務店〉で数寄屋大工としての修業を積んだ経歴をもつ建築家・美術家の佐野文彦氏が手がけた〈Ma Ba〉はニューヨークのアートギャラリーにおいてインスタレーションとして制作された茶室である。縄文文化をテーマとした展覧会の一環としてつくられた作品であり、物質ではなく意識よってつくられる「間」と人が集まる「場」をテーマとしている。 ギャラリー空間の中に置かれた木箱は「非物質的な境界線を定義する光」を発して「間」をつくりだす。空間内の人の数や距離、動きといった関係性を4つのセンサーが感知して、客へのもてなしとしての光が変化していく。 火があれば人が集まり、生活が生まれ、集落が発生していく。縄文時代、火のまわりではシャーマニズム的な儀式が行われたことだろう。火、光といった求心性のあるコアの周りに「場」がつくられていくことは人間の暮らしの根源であり、それは、炉でお湯を沸かして茶を味わいながら主客が心を通わせる茶の湯の時空間に通じている。
ブリコラージュによる樹上の茶室 〈茶室 徹〉は建築史家の藤森照信氏が設計した4つ目の樹上の茶室だ。竣工は2009年。藤森氏は自身の茶室論として 時代や社会や世界全体といった大きな存在に対しては、個人を核とした反転的存在である 小空間、閉鎖性、火の投入によって建築の極小、基本単位を探究する 建築の極小、基本単位は、ブリコラージュ(ありあわせのものでものをつくるDIY的な手法)により作られる 以上の理由により、人類の課題となる という4本柱を立て、利休の茶室からは「極小化」「火の投入(炉)」「躙口」「デザインの自由」「素材の自然性」を踏襲しつつ、利休にはない要素として「眺望性」「床の廃止」といった工夫を行い、ユニークな茶室を手がけている(『藤森照信の茶室学』六曜社、2012年)。この茶室も高さ4メートル、樹齢80年のヒノキの木の上につくられており、屋根の銅板葺きや漆喰壁は藤森氏の仲間である「縄文建築団」のメンバー、つまり素人が手伝って作り上げた。かつては小学校だった敷地には数十本のソメイヨシノが植えられており、桜の季節は夢のような眺めとなる。
集合住宅の中の伝統的茶室 現代日本の都市では、戸建てではなく集合住宅に住んでいる人も多い。裏千家の流派に師事して約30年の施主の奥様の夢を叶え、集合住宅に本格的な茶室を実現したのが、〈Atelier 137〉の建築家・鈴木宏幸氏が設計を手がけた〈渋谷区Tさんの家〉である。 集合住宅に茶室をしつらえるのは、それほど簡単ではない。炉をきるには防火対策に加え、床下に空間を確保する必要がある。水屋を設置するためには給排水設備を整える必要があるが、集合住宅ではパイプシャフト(PS)の位置が決まっているため融通がきかない。 これらの問題の解決策として、茶室部分はリビングよりも床面を40センチメートル高くすることとなった。
・茶室の広さ 茶室の広さは4畳半(約3メートル四方)が標準で、それより小さいものは「小間」、大きいものは「広間」と呼ばれる(左の写真の茶室は2帖中板の小間で、2.3メートル×1.9メートル)。ここに亭主1人、客3人が入り、茶事が行われる。 ・炉 茶室では、11月から4月までは、畳の一部を切って設置された炉でお湯を沸かし、5月から10月までは、畳を入れ替えて、炉を塞ぎ、風炉と呼ばれる置き型の炉を使う。 ・床 掛物や花などを飾る場所。客は茶室に入るとまず床の前に進み掛物を鑑賞する。床は床柱、床框、相手柱、落掛で構成するが、こうした部材は趣や由緒のあるもの何年もかけて探して使うことも珍しくない。床の壁は塗り壁とし、場合によって、片側の壁に墨蹟窓や花明窓といった下地窓をつけ、明かりをとりいれる。床面は畳または板張り。 ・水屋 亭主が茶事の準備や道具の片付けをする場所。
茶室の条件 茶室とは、茶事を行うためにつくられる施設である。だが、茶室研究の第一人者中村昌生によれば、「茶の湯の機能を持ちあわせていればそれだけで茶室であるとはいえない。茶の湯に使えるという機能を充たしていることに加え、茶の湯の雰囲気を感じさせる空間でなければならない」(『図説 茶室の歴史』淡交社、1998年)。茶の湯は日本の自然を感じ取る感性によって育まれたものであり、それを反映するのが茶室という空間である。 伝統的茶室の基本要素 茶室とは、具体的にはどのような空間だろうか? 最初に、伝統的茶室の基本要素をみていこう。 ・露地(ろじ) 茶室の前には露地とよばれる庭があり、茶事に招かれた客は露地の飛び石の上を渡りながら、植栽やその風情を眺め、蹲で手口を清めて茶室に向かう。いったん露地という屋外の自然を経由して、茶室という非日常空間に向かうところに、茶室への導入の面白さがある。茶事を催す亭主は、茶道口と呼ばれる別の出入り口を使う。
この作品は、2011年のベネチア・ビエンナーレ美術展で構想が発表されたが、完成品が披露されたのは2015年4月。京都・フィレンツェの姉妹都市提携50周年を記念して、京都の街を一望できる将軍塚青龍殿の檜舞台に現在も展示中だ。(展示終了については、終了日の3ヵ月前に吉岡徳仁デザイン事務所と将軍塚青龍殿のホームページにて告知)。
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