世界のHouzzから:ロシアの小さなセカンドハウス、「ダーチャ」の世界
夏になるとロシア人は、田園地帯の小さな別荘「ダーチャ」で家族や友人とともに週末を過ごします。18世紀にロシア貴族の間で始まった「ダーチャ」の歴史を詳しくご紹介します。
Екатерина Кулиничева
2016年9月3日
「ダーチャ」と呼ばれる田舎のセカンドハウスは、ロシアの建築と文化において特徴的な存在だ。ダーチャが登場したのは18世紀だが、その人気は今も衰えていない。ロシアのセカンドハウス事情は、ピョートル大帝の時代からどんなふうに変化してきたのだろうか? 歴史をたどり、そして現代のダーチャを4例ご紹介しよう。
ロシア帝国の皇后アレクサンドラ・フョードロヴナが夏を過ごすダーチャがあったのは、サンクトペテルブルク近郊の町、ペテルゴフ。1829年に建てられ、ポーチの柱が樺の木の幹のようなデザインになっている。
ダーチャとは、特定の建築様式のことではなく、どちらかといえば生活様式を指す言葉である。ロシアにダーチャが初めて登場したのは、ピョートル大帝(1672-1725)が統治していた時代だ。18世紀当時、「ダーチャ」(「与える」という意味のロシア語の動詞дать[ダーチ]に由来)とは、宮廷人が堅苦しい生活を抜け出し、田舎でガーデニングや菜園づくりをしながらゆったり過ごすための小規模(当時としては)な住まいのことだった。つまり当初のダーチャは、すでに豪華な屋敷を所有している人たちの別荘だったのだ。
ダーチャとは、特定の建築様式のことではなく、どちらかといえば生活様式を指す言葉である。ロシアにダーチャが初めて登場したのは、ピョートル大帝(1672-1725)が統治していた時代だ。18世紀当時、「ダーチャ」(「与える」という意味のロシア語の動詞дать[ダーチ]に由来)とは、宮廷人が堅苦しい生活を抜け出し、田舎でガーデニングや菜園づくりをしながらゆったり過ごすための小規模(当時としては)な住まいのことだった。つまり当初のダーチャは、すでに豪華な屋敷を所有している人たちの別荘だったのだ。
1727年にペテルゴフの町に作られ、1843年に建て直された、通称「海辺のダーチャ」(写真)。女帝エリザヴェータ・ペトロヴナがひっそりと過ごすために作られたプライベートな屋敷で、誰も約束なしに訪れることはできない場所だった。石造りの2階建ての建物に、木製の棟が1つ、そして近くには付属の農場もあった。
19世紀半ばになると、ロシア貴族は揃ってこのようなダーチャを手に入れたがるようになった。しかし全員に行きわたるだけの建物も区画もなかったため、賃貸ブームの始まりとなる。代々受け継がれた屋敷や庭園の持ち主は、敷地内にある小さな建物を貸し出すようになった。
このようなダーチャには、田舎暮らしに必要なものが一通り揃っている場合もあれば、空っぽのこともあった。何もない場合は、入居する家族が自分たちの家具や食器類、寝具などを持って来た。
独立した家屋だけでなく、広い屋敷の中の使っていない棟が貸し出されることもあった。その場合、屋敷に住み続けている持ち主は、ふだんのしきたり通りに、コルセットを締めたドレスといった正装で朝食に登場するのが常だった。一方、借り手側にはそれほど厳しい作法は求められなかったようだ。そして現在でも、ロシアでダーチャと言えば、建物のタイプではなく田舎暮らしを意味するものとなっている。
19世紀半ばになると、ロシア貴族は揃ってこのようなダーチャを手に入れたがるようになった。しかし全員に行きわたるだけの建物も区画もなかったため、賃貸ブームの始まりとなる。代々受け継がれた屋敷や庭園の持ち主は、敷地内にある小さな建物を貸し出すようになった。
このようなダーチャには、田舎暮らしに必要なものが一通り揃っている場合もあれば、空っぽのこともあった。何もない場合は、入居する家族が自分たちの家具や食器類、寝具などを持って来た。
独立した家屋だけでなく、広い屋敷の中の使っていない棟が貸し出されることもあった。その場合、屋敷に住み続けている持ち主は、ふだんのしきたり通りに、コルセットを締めたドレスといった正装で朝食に登場するのが常だった。一方、借り手側にはそれほど厳しい作法は求められなかったようだ。そして現在でも、ロシアでダーチャと言えば、建物のタイプではなく田舎暮らしを意味するものとなっている。
プライベートで気の置けないライフスタイルというのが、今でもダーチャ生活の特徴だ。小さなアパートメントに住む現代のロシア国民は、郊外にも小さなダーチャを持っていることが多い。田舎に家を所有している人なら、さらに人里離れたところにもう1軒家を建て、そこで「普段の生活」ではできないような暮らしをする、というのが定番だ。鉱山労働者がキュウリを育てるその隣では、政治家がジャガイモを荒らす害虫と戦っている……なんて光景は、ダーチャでしか見られないものだ。
1892年につくられた、アーティストのアレクサンドル・ベノワ一家のダーチャ。
ロシアの季節は2つ――冬とダーチャだ。ダーチャの習慣が始まった当初から、春に移り住んで秋の終わりまで滞在するのが一般的だった。著名なロシア人画家で美術史学者のアレクサンドル・ベノワ(1870-1960)は、家族とのダーチャ生活を振り返り「まだ寒くて雨の多い季節でも、できるだけ早くサンクトペテルブルクを抜け出してダーチャで暮らしたかった」と述べている。
当時の貴族たちは夏の別荘に来ると、庭園で長い散歩をしたり、ピクニックをしたり、ボート、体操、サイクリングなど、19世紀の都会ではできなかったさまざまな遊びを楽しんでいた。これには、当時のヨーロッパで「自然」がトレンドとなっていたことも影響している。例えば、フランスでは印象派の画家たちが自然の中に出かけて絵筆を取り、イギリスではヴィクトリア女王の統治下で自然の景観を模した庭園やピクニックが流行した。
ロシアの季節は2つ――冬とダーチャだ。ダーチャの習慣が始まった当初から、春に移り住んで秋の終わりまで滞在するのが一般的だった。著名なロシア人画家で美術史学者のアレクサンドル・ベノワ(1870-1960)は、家族とのダーチャ生活を振り返り「まだ寒くて雨の多い季節でも、できるだけ早くサンクトペテルブルクを抜け出してダーチャで暮らしたかった」と述べている。
当時の貴族たちは夏の別荘に来ると、庭園で長い散歩をしたり、ピクニックをしたり、ボート、体操、サイクリングなど、19世紀の都会ではできなかったさまざまな遊びを楽しんでいた。これには、当時のヨーロッパで「自然」がトレンドとなっていたことも影響している。例えば、フランスでは印象派の画家たちが自然の中に出かけて絵筆を取り、イギリスではヴィクトリア女王の統治下で自然の景観を模した庭園やピクニックが流行した。
20世紀初めのロシアで田園生活を楽しむ一家。
有名なロシアの作家、アントン・パブロビッチ・チェーホフの1898年の小説に『新しい別荘』という短編がある。ロシアの学生なら必ず知っている作品だ。その中で、ダーチャの暮らしが次のように描かれている。「畑を耕したり種をまくためではなく、ただ喜びを感じ、新鮮な空気を吸って生活するのだ。」
有名なロシアの作家、アントン・パブロビッチ・チェーホフの1898年の小説に『新しい別荘』という短編がある。ロシアの学生なら必ず知っている作品だ。その中で、ダーチャの暮らしが次のように描かれている。「畑を耕したり種をまくためではなく、ただ喜びを感じ、新鮮な空気を吸って生活するのだ。」
現代のロシア人は、5月から10月の夏季をダーチャで過ごす。ベノワの精神に忠実に、1年の半分をずっとダーチャで過ごす人もいるが、毎週金曜にダーチャに向かい、週末はバーベキューパーティーや自然の中の静かな生活を楽しんで、月曜には自宅に戻るという人もいる。
こちらのテラス付きダーチャは、1930年代から50年代に建てられたダーチャによく見られるタイプ。
ダーチャは、太陽が降り注ぐ夏の気候をふまえてデザインされている。昔から人々がダーチャに滞在するのは温かい時期だけだったため、建築にもそれが反映されているのだ。ステンドグラスの窓を使った明るいテラス、彫刻を施したバルコニーやメザニンは、厳しい冬に適した仕様とは言えないが、ロマンチックなムードを演出し、自然を近くに感じさせてくれる。
ガラス張りのフロントポーチやベランダは、日中に温まるように家の南側に配置するのが一般的だった。田舎暮らしの日々の生活では、ここがリビングルームやダイニングルーム、書斎になることが多かった。ときには寝室になることもあった。
ダーチャは、太陽が降り注ぐ夏の気候をふまえてデザインされている。昔から人々がダーチャに滞在するのは温かい時期だけだったため、建築にもそれが反映されているのだ。ステンドグラスの窓を使った明るいテラス、彫刻を施したバルコニーやメザニンは、厳しい冬に適した仕様とは言えないが、ロマンチックなムードを演出し、自然を近くに感じさせてくれる。
ガラス張りのフロントポーチやベランダは、日中に温まるように家の南側に配置するのが一般的だった。田舎暮らしの日々の生活では、ここがリビングルームやダイニングルーム、書斎になることが多かった。ときには寝室になることもあった。
ソビエト時代になると、ダーチャは政治家や特権階級のものとなった。1917年のロシア革命後、ダーチャはほぼすべて国有化されてしまったが、革命以前のライフスタイルが否定されるなかでも、ダーチャ文化が消え去ることはなかった。しかしダーチャの姿は大きく変化し、厳しい規制が加えられるようになった。例えば、1938年に出された『政府職員のダーチャについて』という決議では、家族世帯の職員のダーチャは8部屋まで(キッチンとリビングも含む)と制限された。
1930年代から50年代にかけて、ダーチャを持つことができるのは、政府職員や著述家、学者など、その権利を与えられた特権階級だけで、人々のあこがれの的だった。ダーチャは国有の場合も、個人で所有している場合もあった。
1930年代から50年代にかけて、ダーチャを持つことができるのは、政府職員や著述家、学者など、その権利を与えられた特権階級だけで、人々のあこがれの的だった。ダーチャは国有の場合も、個人で所有している場合もあった。
『ドクトル・ジバゴ』の著者で詩人のボリス・パステルナークが暮らした1930年代のダーチャ。モスクワ近郊、ペレデルキノ。
作家組合や建築家組合といった団体では、自分たち専用の夏の集落を作っていた。そこでは、近所に暮らす人はみんな同じ職業ということになる。これに似たかたちで、ソビエト時代の企業も土地区画を労働者に与え、同じ職場や工場で働く人たちが近所同士に暮らすダーチャができるようになった。
モスクワ近郊でもっとも有名な夏季別荘地といえば、ペレデルキノだ。ここにはノーベル賞受賞作家である詩人のボリス・パステルナーク(1890-1960)のダーチャがほぼ当時のままに残っている。この村で初期に作られたダーチャはドイツのデザインを用いており、ヨーロッパのコテージ風の趣きがある。
作家組合や建築家組合といった団体では、自分たち専用の夏の集落を作っていた。そこでは、近所に暮らす人はみんな同じ職業ということになる。これに似たかたちで、ソビエト時代の企業も土地区画を労働者に与え、同じ職場や工場で働く人たちが近所同士に暮らすダーチャができるようになった。
モスクワ近郊でもっとも有名な夏季別荘地といえば、ペレデルキノだ。ここにはノーベル賞受賞作家である詩人のボリス・パステルナーク(1890-1960)のダーチャがほぼ当時のままに残っている。この村で初期に作られたダーチャはドイツのデザインを用いており、ヨーロッパのコテージ風の趣きがある。
ダーチャは自己修練の場所でもあった。新しい時代のダーチャは、帝国時代の豪華な別荘とはまったくの別もの。軍の高官のダーチャでさえ、普通の小さな家で、特別な設備があるわけではなかった。ソビエト時代の典型的な1区画の広さは600平方メートルで、この数字(ロシア語でシェスト・ソトク)が、そのままソビエト後期のダーチャの呼び名として定着した。
郊外地域組合の規則によって、木をどこに何本植えてよいかから、認められる家の大きさまで、細かく指定されていた。例えば3人家族の場合、寝室は1つだけで、リンゴの木を植えるなら6本以下と決められていた。
面積の規定は頻繁に変更されたが、土地も家自体も決して大きいものではなかった。例えば、1960年代から70年代には、600平方メートルの区画の場合、建てることのできる家の大きさは25平方メートル以下。1980年代には、600~1000平方メートルの区画の場合、家の大きさは50平方メートル以下とされていた。
バレリーナのマイヤ・プリセツカヤ(1925-2015)は、家族で過ごしたザゴリャンカ村の共同組合ダーチャについて、下見板張りの2部屋しかない家だったが、一家にとって「王様のような贅沢」だった、と述べている。たいていどの家でも、バスルーム(トイレと洗面台)があるのは、母屋の脇に建てた下見板張りの小屋の中だった。ダーチャの住人たちにとって、日常生活の不便は大した問題ではなかったようだ。
郊外地域組合の規則によって、木をどこに何本植えてよいかから、認められる家の大きさまで、細かく指定されていた。例えば3人家族の場合、寝室は1つだけで、リンゴの木を植えるなら6本以下と決められていた。
面積の規定は頻繁に変更されたが、土地も家自体も決して大きいものではなかった。例えば、1960年代から70年代には、600平方メートルの区画の場合、建てることのできる家の大きさは25平方メートル以下。1980年代には、600~1000平方メートルの区画の場合、家の大きさは50平方メートル以下とされていた。
バレリーナのマイヤ・プリセツカヤ(1925-2015)は、家族で過ごしたザゴリャンカ村の共同組合ダーチャについて、下見板張りの2部屋しかない家だったが、一家にとって「王様のような贅沢」だった、と述べている。たいていどの家でも、バスルーム(トイレと洗面台)があるのは、母屋の脇に建てた下見板張りの小屋の中だった。ダーチャの住人たちにとって、日常生活の不便は大した問題ではなかったようだ。
ダーチャは狭かったため、キッチンは別の建物か屋外に作られることが多かった。そのため現在でも、アウトドアキッチンを設けるのがダーチャの定番になっている。こちらの夏用アウトドアキッチンは、2013年に〈ブロ・アキモフ&トポロフ〉が手掛けたもの。
ダーチャは、食料を育てる場所にもなった。ニキータ・フルシチョフがソ連の指導者となったころ(1955-64)から、食料不足に対応するため、ロシアの人々はダーチャで自分たちの食べ物を生産するようになった。
食料問題への対応にともない、ダーチャといえば、週末に車に荷物をたくさん積んで田舎に向かい、畑の世話をして、夕方には採れた果物をジャムにする…という生活を意味するものになった。ソ連国民は揃って「週末農家」となったのだ。農作業は週末まで待てないこともあるため、距離が許せば、平日でも仕事のあとでダーチャへ行って作業することもあった。
食料問題への対応にともない、ダーチャといえば、週末に車に荷物をたくさん積んで田舎に向かい、畑の世話をして、夕方には採れた果物をジャムにする…という生活を意味するものになった。ソ連国民は揃って「週末農家」となったのだ。農作業は週末まで待てないこともあるため、距離が許せば、平日でも仕事のあとでダーチャへ行って作業することもあった。
当時のダーチャはまさにDIYプロジェクト。モノもお金も不足していたソビエト時代、人々は創意工夫に励んだ。金属を鍛えて作ったポーチ飾りや、彫刻を施したコーニスや窓枠飾り、解体される革命前の建物から持ち出した色ガラスの窓枠などが、装飾的要素としてしばしばダーチャ作りに取り入れられている。手に入るものはなんでもダーチャに使う、という心意気だったようで、古いペットボトル(苗を覆ったり、温室を作るため)や、ヨーグルトの空容器(苗を植えるため)も活用していた。古いバスのドアを使って庭にシャワールームを作った例もあるようだ。
現代のDIYは趣味の要素が強いが、当時は必要に迫られてのことだった。
現代のDIYは趣味の要素が強いが、当時は必要に迫られてのことだった。
こちらの小さなダーチャでは、古い《ジグリ(ラーダ)》の車体が庭のオーナメントに。
冬場のダーチャは、一時的に使わないものや流行遅れになったものを保管しておく場所となることが多かった。レースの布地や、古いウィーンの椅子(曲木椅子)、装飾が施された給茶器(サモワール)、引き出しやキャビネットなど、「おばあちゃんの時代」を象徴するアイテムがしまい込まれた。現代になってそれを引き継いだ人たちは、アンティークショップに行かずとも個性のある調度が手に入るということで、捨てられなかったことを感謝しているようだ。
冬場のダーチャは、一時的に使わないものや流行遅れになったものを保管しておく場所となることが多かった。レースの布地や、古いウィーンの椅子(曲木椅子)、装飾が施された給茶器(サモワール)、引き出しやキャビネットなど、「おばあちゃんの時代」を象徴するアイテムがしまい込まれた。現代になってそれを引き継いだ人たちは、アンティークショップに行かずとも個性のある調度が手に入るということで、捨てられなかったことを感謝しているようだ。
近年のダーチャは、フレキシブルで個性豊かだ。現代では、設計も敷地の使い方もオーナーの自由にできる。チェーホフのような田園生活を再現する人もいれば、科学論文を執筆するための仕事場としてダーチャを建てる人もいる。畑仕事に専念する人も多い。現代ロシアでは家の大きさが制限されることもなくなったが、本物のダーチャはあまり大きく作るべきではない、というのが暗黙の了解だ。そのような建物は、ただ都会のアパートメントを大きくしたようなものと捉えられるのだ。
そんなわけで、今も小さな木造の家屋や村の暮らしが愛され続けている。古いダーチャを改装して再生することも多く、歴史的なダーチャをモデルに新しいダーチャを建てる人もいる。
次は、そんな現代のダーチャを4つの例で見てみよう。
そんなわけで、今も小さな木造の家屋や村の暮らしが愛され続けている。古いダーチャを改装して再生することも多く、歴史的なダーチャをモデルに新しいダーチャを建てる人もいる。
次は、そんな現代のダーチャを4つの例で見てみよう。
現代のダーチャ4選
1. 歴史を受けつぐダーチャ
オーナー:ヤコヴェンコ家(1954年~)
所在地:サンクトペテルブルク近郊の町、コマロヴォ
規模:161.3平方メートル(ベランダ含む)
注目ポイント:アレクサンドル・ボロディンはここで戯曲『秋のマラソン』(のちに映画化された)を執筆した。
1913年より前は、コマロヴォはケロマーキと呼ばれ、サンクトペテルブルクの住民たちに人気のエリアだった。軍医で教授のウラジミール・ヤコヴェンコ氏は、1954年にこの土地にダーチャを与えられた。写真は1958年の様子。
「このダーチャは1950年代末期に建てられました。最近の15年間で電気や水道などのシステムはすべて新しくしましたが、家自体は建て直していません」と、現在のオーナーである ウラジスラフ・ヤコヴェンコさんは言う。「もとのオーナーがロシア海軍の主席軍医だったので、温かいバスルームが用意されていました。」
1. 歴史を受けつぐダーチャ
オーナー:ヤコヴェンコ家(1954年~)
所在地:サンクトペテルブルク近郊の町、コマロヴォ
規模:161.3平方メートル(ベランダ含む)
注目ポイント:アレクサンドル・ボロディンはここで戯曲『秋のマラソン』(のちに映画化された)を執筆した。
1913年より前は、コマロヴォはケロマーキと呼ばれ、サンクトペテルブルクの住民たちに人気のエリアだった。軍医で教授のウラジミール・ヤコヴェンコ氏は、1954年にこの土地にダーチャを与えられた。写真は1958年の様子。
「このダーチャは1950年代末期に建てられました。最近の15年間で電気や水道などのシステムはすべて新しくしましたが、家自体は建て直していません」と、現在のオーナーである ウラジスラフ・ヤコヴェンコさんは言う。「もとのオーナーがロシア海軍の主席軍医だったので、温かいバスルームが用意されていました。」
「ダーチャ建築に見られる独特なところは、基準に従いながらもできるだけ居住空間を広く確保しようとした努力の現れなんです。居住空間は65平方メートル以下に収めなければなりませんでしたが、この家自体はその2倍以上の大きさになっています。だから、玄関ポーチの中央からホールへとつながる廊下もひろびろと明るいんですね」と説明する。
当時のダーチャを作る大工さんたちは、どうにか広いスペースを確保しようと技を講じていたようだ。国の規則では、廊下やエントランスホールは面積に含まれていなかったため、そういった部分を広く設計することもあった。
当時のダーチャを作る大工さんたちは、どうにか広いスペースを確保しようと技を講じていたようだ。国の規則では、廊下やエントランスホールは面積に含まれていなかったため、そういった部分を広く設計することもあった。
2. 生まれ変わった、昔ながらのダーチャ
所在地:モスクワ地域
規模:180平方メートル
建築家:ユリア・ネステロヴァ
革命以前には、帝国専属の写真家だった人物の一家が所有していた、モスクワ近郊の木造ダーチャ。春になると、たくさんの知識人たちがここに集まっていた。現在のオーナーは、チェーホフの時代のような古いダーチャを手に入れて、時間を気にせずポーチでお茶を飲んだり、庭を散歩したりする生活をずっと夢見ていたと言う。
メザニン、ポーチ、窓枠飾りの付いたこの家を見て、オーナーは一目惚れしてしまった。改装を担当した建築家のユリア・ネステロヴァさんには、ノスタルジックな雰囲気と外観を残しつつ、インテリアをアップデートしてもらうよう依頼した。外壁は修繕し、ポーチやバルコニーの古い窓ガラスもそのまま残した。ユリアさんの判断で、内部は仕切りを取り壊して、部屋を広く確保している。
所在地:モスクワ地域
規模:180平方メートル
建築家:ユリア・ネステロヴァ
革命以前には、帝国専属の写真家だった人物の一家が所有していた、モスクワ近郊の木造ダーチャ。春になると、たくさんの知識人たちがここに集まっていた。現在のオーナーは、チェーホフの時代のような古いダーチャを手に入れて、時間を気にせずポーチでお茶を飲んだり、庭を散歩したりする生活をずっと夢見ていたと言う。
メザニン、ポーチ、窓枠飾りの付いたこの家を見て、オーナーは一目惚れしてしまった。改装を担当した建築家のユリア・ネステロヴァさんには、ノスタルジックな雰囲気と外観を残しつつ、インテリアをアップデートしてもらうよう依頼した。外壁は修繕し、ポーチやバルコニーの古い窓ガラスもそのまま残した。ユリアさんの判断で、内部は仕切りを取り壊して、部屋を広く確保している。
全体のインテリアは現代的だが、ダーチャの長い歴史をヒントにして注意深くデザインされている。控えめなペンキの色づかい、アンティークの家具、刺しゅう入りのカーテン、繊細なテーブルクロスなどのディテールが、20世紀初頭を思わせる雰囲気を作り出している。
3. モダンなDIYダーチャ
オーナー:デザイナーのヴィタリー・ジュイコフ
所在地:イジェフスク地域
規模:36平方メートル(テラスは含まない)
ヴィタリー・ジュイコフさんの住まい兼仕事場があるのは、イジェフスクの町からほど近いカマ川沿いの場所。夏のあいだは、モスクワを離れてここに住んでいる。近くの村には都市への移住者が放置していった家がたくさんあり、ジュイコフさんは空き家を回って古い木材や家具、ドア、窓枠などを集め、それを利用して、自身の家具ビジネス〈メイド・イン・オーガスト〉で扱う家具を製作している。
オーナー:デザイナーのヴィタリー・ジュイコフ
所在地:イジェフスク地域
規模:36平方メートル(テラスは含まない)
ヴィタリー・ジュイコフさんの住まい兼仕事場があるのは、イジェフスクの町からほど近いカマ川沿いの場所。夏のあいだは、モスクワを離れてここに住んでいる。近くの村には都市への移住者が放置していった家がたくさんあり、ジュイコフさんは空き家を回って古い木材や家具、ドア、窓枠などを集め、それを利用して、自身の家具ビジネス〈メイド・イン・オーガスト〉で扱う家具を製作している。
「私のダーチャにあるものは、見た目はちょっと粗野かもしれませんが、すべてシンプルで素朴な素材から作られたものです。テクスチャ―の粗さや、ちょっと不完全なところから、いい味わいが生まれるんです」とジュイコフさんは言う。
ジュイコフさんのダーチャは、毎年変化しているという。「ここに来て、しょっちゅう何か作ったり改装したりしています。古い板や窓枠などを見つけて家に取り入れるたび、新しいディテールになります。例えばこの写真は、木材を保管している棚なんですが、空き家で見つけた飾り彫りのある窓枠で作りました。このあたりには、人が住まなくなった集落がたくさんあって、取り壊される寸前の家がたくさんあるんです。おもしろいアイテムを見つけて、重機の下からどうにか救い出すようなこともありますよ。」
ジュイコフさんのダーチャは、毎年変化しているという。「ここに来て、しょっちゅう何か作ったり改装したりしています。古い板や窓枠などを見つけて家に取り入れるたび、新しいディテールになります。例えばこの写真は、木材を保管している棚なんですが、空き家で見つけた飾り彫りのある窓枠で作りました。このあたりには、人が住まなくなった集落がたくさんあって、取り壊される寸前の家がたくさんあるんです。おもしろいアイテムを見つけて、重機の下からどうにか救い出すようなこともありますよ。」
4. 古くからの避暑地にあるダーチャ
所在地:モスクワ近郊、クラトヴォ
規模:180.6平方メートル(テラスは含まない)
建築家:〈アッセ・アーキテクツ〉のエフゲニー・アッセ、グリゴール・アイカジアン、アナスタシア・コネヴァ
美しい松林に囲まれたこちらのダーチャがあるのは、モスクワ近郊の村・クラトヴォ。ここは古くから人々が夏を過ごしに来る場所だった。家の建物は2つの階と屋根裏部屋という構成で、梁や桁には接着集成材を用いている。1階と2階にある屋外テラスは、昔のモスクワやサンクトペテルブルクにあったダーチャのような、白い透かし細工をあしらったテラスを思い起こさせる。
所在地:モスクワ近郊、クラトヴォ
規模:180.6平方メートル(テラスは含まない)
建築家:〈アッセ・アーキテクツ〉のエフゲニー・アッセ、グリゴール・アイカジアン、アナスタシア・コネヴァ
美しい松林に囲まれたこちらのダーチャがあるのは、モスクワ近郊の村・クラトヴォ。ここは古くから人々が夏を過ごしに来る場所だった。家の建物は2つの階と屋根裏部屋という構成で、梁や桁には接着集成材を用いている。1階と2階にある屋外テラスは、昔のモスクワやサンクトペテルブルクにあったダーチャのような、白い透かし細工をあしらったテラスを思い起こさせる。
現代的なダーチャでも、古くからの伝統に根ざしていることは変わらない。そして、いつの時代もダーチャでいちばん大切なのは何かというと、みんなと一緒に過ごす日々の生活だ。多くのロシア人にとって、ダーチャで過ごした時間は、子ども時代の大切な思い出のひとつとなっている。トマトやボタンの花を育てたり、テラスで午後のお茶を飲んだり、バーニャ(ロシアのサウナ)に入ったり、8月にリンゴをバケツいっぱいに収穫したり……。家庭の幸せと、子ども時代の楽しい記憶、自然の中に帰るよろこびを感じさせてくれるのが、ダーチャの暮らしなのだ。
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