名作住宅:伝説のUFO住宅《フトゥロ》を完全復元!
宇宙時代の幕開けとなった60年代。あの時代の実験精神が生み出した、伝説の住宅プロダクト「フトゥロ」が、ロンドンでかつての輝きを取り戻した姿を見せています。
Victoria Harrison
2016年5月12日
「フトゥロを初めて見たのは、3歳のときでした」とクレイグ・バーンズさんは言う。フトゥロは、1960年代に生産されていた宇宙船のようなプレハブ住宅で、バーンズが子どもの頃によく訪れていた南アフリカにも1軒建っていたのだ。家族と一緒にその近辺に行くと、必ずフトゥロを見に行くようせがんだと言う。それから何年も経ち、アーティストとしてロンドンで暮らすようになったバーンズさんは、南アフリカへ再び旅行したとき、子ども時代からの夢を叶えるべくフトゥロを購入。それから復元のための長い道のりが始まった。
どんなHouzz?
所有者:アーティストのクレイグ・バーンズさん
所在地:ロンドン芸術大学、セントラル・セント・マーチンズ・カレッジの屋上
規模:ベッドルーム×1、バスルーム×1。リクライニング式の座席6つ付き。
フトゥロが登場したのは「スウィンギング・シックスティーズ」と呼ばれた1960年代。フィンランドの建築家マッティ・スーロネンが、簡単に組み立てられる休暇用レジャーハウスとして設計した。新鮮なスタイルとモダンなフォルムは、楽観的で実験精神にあふれた当時の時代風潮を映し出している。フトゥロは世界各地に建てられたが、流行がすたれるとともに、オリジナルの多くは放置されてしまう。バーンズさんが見つけたのもそんな中の1軒で、ぼろぼろで色あせ、すぐにも修理が必要な状態だった。でも、バーンズさんには、大掛かりな修復をする覚悟があった。そしてついに、フトゥロはつくられた当時のすばらしい姿を取り戻した。
「私は収集癖があって、旅行に行くと見つけたものを持ち帰りたくなるんです」と語るバーンズさん。とはいえ、旅先で家を手に入れて持ち帰るというのは、さすがに初めてのこと。「スーツケースに詰め込んでくるわけにはいきませんからね!」
所有者:アーティストのクレイグ・バーンズさん
所在地:ロンドン芸術大学、セントラル・セント・マーチンズ・カレッジの屋上
規模:ベッドルーム×1、バスルーム×1。リクライニング式の座席6つ付き。
フトゥロが登場したのは「スウィンギング・シックスティーズ」と呼ばれた1960年代。フィンランドの建築家マッティ・スーロネンが、簡単に組み立てられる休暇用レジャーハウスとして設計した。新鮮なスタイルとモダンなフォルムは、楽観的で実験精神にあふれた当時の時代風潮を映し出している。フトゥロは世界各地に建てられたが、流行がすたれるとともに、オリジナルの多くは放置されてしまう。バーンズさんが見つけたのもそんな中の1軒で、ぼろぼろで色あせ、すぐにも修理が必要な状態だった。でも、バーンズさんには、大掛かりな修復をする覚悟があった。そしてついに、フトゥロはつくられた当時のすばらしい姿を取り戻した。
「私は収集癖があって、旅行に行くと見つけたものを持ち帰りたくなるんです」と語るバーンズさん。とはいえ、旅先で家を手に入れて持ち帰るというのは、さすがに初めてのこと。「スーツケースに詰め込んでくるわけにはいきませんからね!」
フトゥロは、休暇用の別荘や週末のスキー宿用の組み立て式住居として売り出された。傾斜地や地面が整っていない場所でも、簡単に分解・組み立てができる設計だ。「楽観的で実験精神旺盛なあの時代を象徴するようなプロダクトでした」と、モダン建築に特化した不動産会社〈ザ・モダン・ハウス〉の設立者、アルバート・ヒルさんは言う。安価で軽量にするため、当時の新素材、ポリエステルを建材として使っている。
フトゥロが発売されたのは、1969年7月、ニール・アームストロングが月面を歩いたのとまさに同じ週。「宇宙ブームの波に乗って発売されたんですよ」と言うのは、ユニークな建築を紹介するウェブサイト〈ワウハウス〉のデヴィッド・ウォーカーさんだ。「自分専用の宇宙船を持つ気分が味わえます。今でも、みんなが思い描くUFOのイメージに近いですよね。」
フトゥロが発売されたのは、1969年7月、ニール・アームストロングが月面を歩いたのとまさに同じ週。「宇宙ブームの波に乗って発売されたんですよ」と言うのは、ユニークな建築を紹介するウェブサイト〈ワウハウス〉のデヴィッド・ウォーカーさんだ。「自分専用の宇宙船を持つ気分が味わえます。今でも、みんなが思い描くUFOのイメージに近いですよね。」
しかし、発売当初は大きな話題になったものの(1968年には船の上に載せられてテムズ川を下り、展示会場へ移送された)、商業的には失敗だった。生産されたのは100軒に満たず、コレクターの間ではカルト的アイテムとなったが、時が経ち流行が変わるにつれて、多くは放置されてしまった。失敗の原因は、1970年代のオイルショックでプラスチック価格が高騰したせいだとも、単に円形のフォルムが住まいに向いていなかったからともいわれている。「手持ちの家具をフトゥロハウスに置くことを考えてみれば、わかりますよね。コンセプトは素晴らしいけれど、生活空間として実用的ではないんです」とウォーカーさんは語る。
そんなわけで、バーンズさんが手に入れたフトゥロも悲惨な状態だった。「私が買う前に、何人か持ち主が変わっていました」とバーンズさんは言う。「家として使われていたんですが、手入れはされておらず、入口のドアも外れたまま、内部もぼろぼろでした。」
バーンズさんは前のオーナーを説得し、フトゥロを譲ってもらうことに成功。残る問題は、それをどうやって南アフリカからロンドンへ持ち帰るかだった。
そんなわけで、バーンズさんが手に入れたフトゥロも悲惨な状態だった。「私が買う前に、何人か持ち主が変わっていました」とバーンズさんは言う。「家として使われていたんですが、手入れはされておらず、入口のドアも外れたまま、内部もぼろぼろでした。」
バーンズさんは前のオーナーを説得し、フトゥロを譲ってもらうことに成功。残る問題は、それをどうやって南アフリカからロンドンへ持ち帰るかだった。
パーツのひとつひとつに番号を書き込んだうえで慎重に分解し、ひとまとめの貨物にしてロンドンに移送した。「コンテナ1つに収まると思ったんですが、大きさ的に無理でした。」とバーンズさんは言う。「結局、ひとまとめにし、かきあつめた綱でしっかり巻いて固定しました。」
それから2か月、バーンズさんにとっては心配で神経のすり減るような期間を経て、フトゥロはめでたく無事にイギリスへ到着した。そのまま半年間倉庫に保管したのち、2013年末にイングランド地方のヘレフォードシャーにある小屋へと移送。ここで、バーンズさんはゆっくりと、着実に修復プロセスを進めていった。この頃にはロンドンに住んでいたため、家と小屋を行き来しながらの作業となった。
それから2か月、バーンズさんにとっては心配で神経のすり減るような期間を経て、フトゥロはめでたく無事にイギリスへ到着した。そのまま半年間倉庫に保管したのち、2013年末にイングランド地方のヘレフォードシャーにある小屋へと移送。ここで、バーンズさんはゆっくりと、着実に修復プロセスを進めていった。この頃にはロンドンに住んでいたため、家と小屋を行き来しながらの作業となった。
リサーチを徹底したいと考えたバーンズさんは、フトゥロの歴史について書かれた唯一の本『Futuro: Tomorrow’s House From Yesterday(フトゥロ:過去から来た未来の家)』の著者であるマルコ・ホームさんに会うため、フィンランドへ向かった。
フトゥロ研究では第一人者として広く知られるホームさんが、初めてフトゥロに興味を持ったのは1995年のことだった。「当時、フトゥロのことは忘れ去られていて、建築やデザインの本にも載っていませんでした」とホームさんは言う。そこで、映画監督のミカ・ターニラと協力し、ゼロからフトゥロの物語をまとめあげることにした。「マッティ・スーロネンのほか、当時のフトゥロの関係者にインタビューして、あらゆるアーカイブ資料を掘り返し、とにかくフトゥロに関する情報を可能な限り収集しました。」
「フトゥロのいちばん面白い点は、商業製品としては失敗したものの、時の試練に耐え、60年代のスペースエイジ建築やデザインを代表する存在として復活したこと。アート作品としての価値まで出てきています。」
フトゥロ研究では第一人者として広く知られるホームさんが、初めてフトゥロに興味を持ったのは1995年のことだった。「当時、フトゥロのことは忘れ去られていて、建築やデザインの本にも載っていませんでした」とホームさんは言う。そこで、映画監督のミカ・ターニラと協力し、ゼロからフトゥロの物語をまとめあげることにした。「マッティ・スーロネンのほか、当時のフトゥロの関係者にインタビューして、あらゆるアーカイブ資料を掘り返し、とにかくフトゥロに関する情報を可能な限り収集しました。」
「フトゥロのいちばん面白い点は、商業製品としては失敗したものの、時の試練に耐え、60年代のスペースエイジ建築やデザインを代表する存在として復活したこと。アート作品としての価値まで出てきています。」
イギリスに戻ったバーンズさんは、まず外壁パネルにやすりをかけていくという気の遠くなるような作業からはじめた。劣化した部分は修復しつつ、1枚ずつやすりをかける。オリジナルのような、艶のあるターコイズブルーにスプレー塗装する下地を作るためだ。
「オリジナルのフィンランド的なデザインを再現したかったんです」とバーンズさんは言う。「もの本来の完成された形を尊重したいと考えました。必ずしもアップサイクルが良いとは限りません。もちろん、将来的にはこのデザインに手を加えていく可能性もあるかもしれませんが、まずは大きく変化させず、元の状態に戻したかったんです。」
「オリジナルのフィンランド的なデザインを再現したかったんです」とバーンズさんは言う。「もの本来の完成された形を尊重したいと考えました。必ずしもアップサイクルが良いとは限りません。もちろん、将来的にはこのデザインに手を加えていく可能性もあるかもしれませんが、まずは大きく変化させず、元の状態に戻したかったんです。」
楕円形の窓も、かろうじて1枚だけ残っていたオリジナルを元に、新しい窓を制作した。
入口のドアは捨てられてしまったので、新しいドアをゼロから作る必要があった。「ホームセンターですぐ手に入るものでもないですからね!」とバーンズさん(写真)。別のフトゥロのオーナーがもっていたドア型を利用してドアをつくり、階段も新しいものを設置した。
コーナーに設置されていたダブルベッドも復活させた。寝心地もなかなか悪くない。オリジナルのフトゥロでは、この部分を仕切ってベッドルームにしているものが多かった。
購入したときからあった小さなキチネットも、一部復元した。完全装備とはなっていないが、今後そうする可能性もある。
残りのインテリアは、あえてミニマルに抑えている。「構造自体が見えるように、余計なものは置きたくなかったんです。飾りを加えると、空間としてのまとまりが崩れるように感じたので」とバーンズさんは言う。
リビングとベッドのあるエリアから、こちらのドアを通って「ポーチ」に出る。その横にバスルームがある。
リビングとベッドのあるエリアから、こちらのドアを通って「ポーチ」に出る。その横にバスルームがある。
玄関ドアの左側に位置する小さなバスルームも、オリジナルのスタイルを参考にした。オリジナルには、シャワーとトイレ、小さな洗面台が付いているものが多かった。
順調なペースで修復作業が進んでいたある日、完成したフトゥロをロンドンのギャラリーで展示するという話が舞い込んだ。そこで、どんなプロジェクトでもそうだが、締切が設定されたことで修復のスピードがあがった。
2014年10月、10ヵ月間の苦労を経て完成したフトゥロは〈マッツ・ギャラリー〉の展覧会に向けてロンドンへ輸送された。丹念に磨き上げられ、本来の輝きを取り戻してみると、不思議な魅力のある建築だ。「フトゥロは、実に小さくてかわいらしい建物で、見ているとふと笑顔になってしまうんです」とヒルさんは言う。
こうしてフトゥロが現存するのも、バーンズさんのような熱狂的なファンがいるおかげだ。「彼らがいなければ、歴史の廃棄物の山に埋もれてしまっていたはず」とウォーカーさんは言う。
こうしてフトゥロが現存するのも、バーンズさんのような熱狂的なファンがいるおかげだ。「彼らがいなければ、歴史の廃棄物の山に埋もれてしまっていたはず」とウォーカーさんは言う。
数ヵ月後、フトゥロはロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズ・カレッジの屋上に移動し、現在に至っている。月に1日一般開放され、グループでレンタルすることも可能だ。
さて、このフトゥロの今後は? いつかは永住の地を見つけてあげたいとバーンズさんは言うが、今のところは、たくさんの人に開放されたスペースとして活用することが大切だと考えている。
「芸術作品は、人々に体験してもらってはじめて完成形になるもの。理想的には、各地を回っていろいろな役目を果たしてくれたら、と思っています。重要な建築作品ですから、他の人にも体験してほしいんです」とバーンズさんは言う。
ホームさんも同じ意見だ。「フトゥロには、従来の建築のあり方に挑戦した作品であり、1960年代のユートピア建築の精神がよく表れています。フトゥロを後世に残すべき理由はたくさんありますが、実験精神の記録という意義だけでも十分な理由になるでしょう。」
「芸術作品は、人々に体験してもらってはじめて完成形になるもの。理想的には、各地を回っていろいろな役目を果たしてくれたら、と思っています。重要な建築作品ですから、他の人にも体験してほしいんです」とバーンズさんは言う。
ホームさんも同じ意見だ。「フトゥロには、従来の建築のあり方に挑戦した作品であり、1960年代のユートピア建築の精神がよく表れています。フトゥロを後世に残すべき理由はたくさんありますが、実験精神の記録という意義だけでも十分な理由になるでしょう。」
個人的な今後の計画を聞かれると、バーンズさんは笑いながら「世界中に残っているフトゥロを巡る旅ができたら最高ですね」と答えてくれた。
教えてHouzz
フトゥロに住んでみたいと思いますか? ご感想をおきかせください。
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