タイムレスデザインの名作椅子《トリックスチェア》
トリックスチェアの愛称で広く知られる、〈トリックス〉社の《Aチェア》。その歴史背景と魅力を解説します。
西谷典子|Noriko Nishiya
2015年11月27日
新しいものと古いものをミックスしたり、ユーモアやひねりのある意外な組み合わせをするという、少し上級のスタイリングが必要とされるエクレクティックスタイルに、デザインクラシックの定番とされる家具は大切な役割を果たします。家具自体にストーリー性があり、時代を経て愛されてきた存在感が、インテリアにさりげない風格や味わいを醸し出すからです。
今回ご紹介するのは、昨今人気のインダストリアルスタイルに合う椅子の代名詞ともいえる《トリックスチェア》。メタル素材を知り尽くしたフランス人、グザビエ・ポシャールが1907年、亜鉛メッキを施すと鉄が錆びないことを発見し、その後自分の工場で使えるような椅子を目指してつくられた《Aチェア》をはじめ、その後発売されたスツール、テーブル、ロッカーなどアイテムは、フランスのパブリックスペースの定番家具として今も人気です。
今回ご紹介するのは、昨今人気のインダストリアルスタイルに合う椅子の代名詞ともいえる《トリックスチェア》。メタル素材を知り尽くしたフランス人、グザビエ・ポシャールが1907年、亜鉛メッキを施すと鉄が錆びないことを発見し、その後自分の工場で使えるような椅子を目指してつくられた《Aチェア》をはじめ、その後発売されたスツール、テーブル、ロッカーなどアイテムは、フランスのパブリックスペースの定番家具として今も人気です。
この代表的な椅子《Aチェア》は、1934年にデザインされました。室内のほか、庭でも使えるような耐久性があり、デザイン性の高い椅子をつくったポシャールの功績は、今でも高く評価されています。その当時は画期的だった、メタルを素材としたこの椅子の歴史をご紹介しましょう。
金属加工の知識を生かして
鉄を酸化から守り、錆びなくさせるため、450℃で溶かした亜鉛に鉄をつけるという方法は、1742年に既にフランスでは発明されていましたが、その方法で実際に商品化して販売したのは、フランスではポシャールが初めてと言われています。グザビエ・ポシャールは、3代続く、亜鉛を施す屋根職人で、亜鉛のことは知り尽くしていましたが、今までにない安価で長持ちする、錆びない鉄の商品化のために、科学者のように何度も実験を繰り返し、キッチン用品や椅子を作ることに成功したのです。ポシャール25歳、1907年のことでした。
鉄を酸化から守り、錆びなくさせるため、450℃で溶かした亜鉛に鉄をつけるという方法は、1742年に既にフランスでは発明されていましたが、その方法で実際に商品化して販売したのは、フランスではポシャールが初めてと言われています。グザビエ・ポシャールは、3代続く、亜鉛を施す屋根職人で、亜鉛のことは知り尽くしていましたが、今までにない安価で長持ちする、錆びない鉄の商品化のために、科学者のように何度も実験を繰り返し、キッチン用品や椅子を作ることに成功したのです。ポシャール25歳、1907年のことでした。
1920年代、近代化に伴う急成長
商品の数も増やし、玩具まで生産していた頃、第一次世界大戦が始まりました。スペイン風邪が流行するという不幸も重なり、その4年間でフランスの人口はかなり減少してしまいます。そんな大変な時代をへて、1920年代半ばになると街も復興して人口も増え、景気も回復。その頃のヨーロッパではロンドン、パリ、ベルリンが最も栄えたそうです。自動車、電話、映画、電気などの普及により、世の中は一気に近代化され、芸術、文化の振興も活発に。ポシャールも1925年に会社を株式会社にし、27年にはトレードマーク〈トリックス〉が誕生します。インダストリアルファニチャー、いわゆる工場で使われていた家具がこの時代のものに多いのも、こういった近代化に伴う産業成長があったからなのです。
商品の数も増やし、玩具まで生産していた頃、第一次世界大戦が始まりました。スペイン風邪が流行するという不幸も重なり、その4年間でフランスの人口はかなり減少してしまいます。そんな大変な時代をへて、1920年代半ばになると街も復興して人口も増え、景気も回復。その頃のヨーロッパではロンドン、パリ、ベルリンが最も栄えたそうです。自動車、電話、映画、電気などの普及により、世の中は一気に近代化され、芸術、文化の振興も活発に。ポシャールも1925年に会社を株式会社にし、27年にはトレードマーク〈トリックス〉が誕生します。インダストリアルファニチャー、いわゆる工場で使われていた家具がこの時代のものに多いのも、こういった近代化に伴う産業成長があったからなのです。
機能的な椅子を安価に
ベントウッドチェアの記事でご説明した通り、マルセル・ブロイヤーが既に1926年、メタルチューブラーによる椅子を発表していましたが、ポシャールも自分の工場でこの斬新なチューブのデザインを取り入れた椅子を作りたいと考え、以前から生産していた椅子の鉄板を曲げるのではなく、チューブの鉄を曲げるデザインに没頭するようになりました。彼の右腕である職人、ピエール・モローと試行錯誤の末、ついに1934年、《Aチェア》が完成します。彼らもまたベントウッドチェアのマイケル・トーネットと同じく、皆が買いやすい、機能的かつ安価な一般庶民用の椅子を作るということを第一に考えました。
ベントウッドチェアの記事でご説明した通り、マルセル・ブロイヤーが既に1926年、メタルチューブラーによる椅子を発表していましたが、ポシャールも自分の工場でこの斬新なチューブのデザインを取り入れた椅子を作りたいと考え、以前から生産していた椅子の鉄板を曲げるのではなく、チューブの鉄を曲げるデザインに没頭するようになりました。彼の右腕である職人、ピエール・モローと試行錯誤の末、ついに1934年、《Aチェア》が完成します。彼らもまたベントウッドチェアのマイケル・トーネットと同じく、皆が買いやすい、機能的かつ安価な一般庶民用の椅子を作るということを第一に考えました。
豪華客船ノルマンディー号のデッキにも
〈トリックス〉の椅子は外に置いても錆びないので、海辺のレストランやカフェなどで特に多く使われました。その後、アールデコ時代を象徴するノルマンディー豪華客船のクルー用の椅子として選ばれ、すぐにデッキのお客様用にも使われるようになりました。ノルマンディー号のテーブルでは、銀製のクリストフル社のカトラリーが使われ、船内のステンドグラスはドーム社がデザインするなど、すべてフランスを代表するメーカーの製品が使われ、《Aチェア》のイメージを向上させるよいチャンスとなったのでした。実際にこの頃からトリックス社の商品はしばしば女優のポスターや広告などの背景に登場するようになりました。現在のスタイリッシュなイメージは、この頃に確立されたのかもしれません。
〈トリックス〉の椅子は外に置いても錆びないので、海辺のレストランやカフェなどで特に多く使われました。その後、アールデコ時代を象徴するノルマンディー豪華客船のクルー用の椅子として選ばれ、すぐにデッキのお客様用にも使われるようになりました。ノルマンディー号のテーブルでは、銀製のクリストフル社のカトラリーが使われ、船内のステンドグラスはドーム社がデザインするなど、すべてフランスを代表するメーカーの製品が使われ、《Aチェア》のイメージを向上させるよいチャンスとなったのでした。実際にこの頃からトリックス社の商品はしばしば女優のポスターや広告などの背景に登場するようになりました。現在のスタイリッシュなイメージは、この頃に確立されたのかもしれません。
完成度の高い、コンパクトで機能的な構造
マルセル・ブロイヤーから学んだアイデアに、組み立てがしやすく、そしてばらしやすい構造、という点があります。このような実験的なメタル製ファニチャーは、特に1925~26年にかけて前衛的なデザイナーたちによって作られていましたが、ポシャールがデザインしたテーブルも天板とベースが別々になり、頑丈に組み立てることができるもので、また、大量輸送できるように工夫もされました。その後顧客からの希望でアームチェアがより小さいサイズに改良され、現代のキッチンなどにもコンパクトに収まる使い勝手のよい椅子という評価にもつながりました。
マルセル・ブロイヤーから学んだアイデアに、組み立てがしやすく、そしてばらしやすい構造、という点があります。このような実験的なメタル製ファニチャーは、特に1925~26年にかけて前衛的なデザイナーたちによって作られていましたが、ポシャールがデザインしたテーブルも天板とベースが別々になり、頑丈に組み立てることができるもので、また、大量輸送できるように工夫もされました。その後顧客からの希望でアームチェアがより小さいサイズに改良され、現代のキッチンなどにもコンパクトに収まる使い勝手のよい椅子という評価にもつながりました。
1920年代に椅子の最初のモデルを完成させて以来、今でも〈トリックス〉の家具の製造工程には、職人の手作業が含まれています。それはクオリティを大切にしているため、責任をもって商品を作る、いわゆる匠の誇りからなのです。
戦後は色バリエーションも豊富に
グザビエ・ポシャールは1948年に亡くなりますが、その後息子ジャンが遺志を継ぎ、第二次世界大戦後のフランス復興とともに会社を盛り立て、学校や病院などにもたくさんの椅子を供給しました。1950年代には、ベッドやサイドテーブルやワードローブなどのデザインも広げ、形もモダンに、そしてカラーもより明るい色の種類を増やし、当時のカタログには30種類のカラーバリエーションがあったほどだそうです。
グザビエ・ポシャールは1948年に亡くなりますが、その後息子ジャンが遺志を継ぎ、第二次世界大戦後のフランス復興とともに会社を盛り立て、学校や病院などにもたくさんの椅子を供給しました。1950年代には、ベッドやサイドテーブルやワードローブなどのデザインも広げ、形もモダンに、そしてカラーもより明るい色の種類を増やし、当時のカタログには30種類のカラーバリエーションがあったほどだそうです。
ポシャールによるデザインの見分け方
《Aチェア》は販売当初からいくつかの製造競合他社があり、現在でもちょっと見分けがつかないものもたくさん生産されています。現在はシートの後ろには「Tolix」 と刻印が入っていてわかりやすいですが、基本的な見分け方としては、《Aチェア》 のシートの角はシンプルで、背中の型押しも扇を閉じたような台形であるという点です。そして椅子をひっくり返してみると、クロスした鉄のバーがシートの後ろに施されているはずです。それはグザビエ・ポシャールのイニシャル「X」を用いたもので、彼が最初に椅子を生産した1925年から、彼のアイデンティティーとして、今でも守られ続けているそうです。
《Aチェア》は販売当初からいくつかの製造競合他社があり、現在でもちょっと見分けがつかないものもたくさん生産されています。現在はシートの後ろには「Tolix」 と刻印が入っていてわかりやすいですが、基本的な見分け方としては、《Aチェア》 のシートの角はシンプルで、背中の型押しも扇を閉じたような台形であるという点です。そして椅子をひっくり返してみると、クロスした鉄のバーがシートの後ろに施されているはずです。それはグザビエ・ポシャールのイニシャル「X」を用いたもので、彼が最初に椅子を生産した1925年から、彼のアイデンティティーとして、今でも守られ続けているそうです。
二度の世界大戦をくぐり抜けた〈トリックス〉の家具は、そのたびに復興とともに甦りました。フランスの産業を支える工場で、労働者のための頑丈な家具として使われたポシャールの家具は近代におよんで、さらに一般的な身近な家具として使われるようになりましたが、これからもフランスが誇る永遠の傑作椅子として、インダストリアルスタイルだけではなく、さまざまな時代の流行とともに使われていくことでしょう。
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いいですね。取り入れたいです。
骨太なイメージの椅子ですが、意外にいろいろなタイプの部屋に合いそうですね。面白い。