絶対に知っておきたい名作モダン住宅:ファンズワース邸
ミース・ファン・デル・ローエが手がけたガラス箱のような住宅。建築家と施主は決裂したものの、20世紀を代表するモダン建築の傑作として、ファンズワース邸は今も輝き続ける作品だ。
ミース・ファン・デル・ローエの〈ファンズワース邸〉とフィリップ・ジョンソンの〈グラスハウス〉はよく似ている。だが細部を見るとドラマチックな違いがある。どちらもワンルームの平面を持つガラスの箱のような建築であり、規模もほぼ同じ、また、個人所有の広大な敷地に立っている。だがジョンソンのグラスハウスは地面に接しているのに対し、ミースがエディス・ファンズワースのために設計したファンズワース邸は高床構造だ。グラスハウスが構造体とガラスフレームの境界を曖昧にしているのに対し、ファンズワース邸は構造を明確に見せている。また前者は黒色、後者は白という違いもある。
ジョンソンのグラスハウスが完成したのはファンズワース邸が竣工する2年前の1949年のことだが、ジョンソンは1947年にニューヨーク近代美術館(MOMA)でミースのファンズワース邸の模型を見て大きな影響を受けていたのだという。ふたつの家はフォルムという面で非常に似ているが、ミースにとってファンズワース邸とは、それまで長年追い求めてきた「ユニバーサル・スペース」という壮大な概念を表現するための一作品であった。この概念はのちに1950年代になり、スケールを拡大して、数々のオフィス用および居住用高層ビルの形に結実していった。その意味で、ミースにとってのファンズワース邸は、自らのアイデアを小規模で形にした実験的な作品であり、非常に重要な意味を持つ住宅だった。あとで触れるように施主のファンズワースは苦い思いもするのだが、モダン建築の傑作として、ファンズワース邸の評価は今日まで揺らいでいない。
ファンズワース邸とは?
竣工年:1951年
建築家:ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ
所在地:アメリカ、イリノイ州プレイノ
見学情報:個人見学、団体見学可
規模:139.35平方メートル
ジョンソンのグラスハウスが完成したのはファンズワース邸が竣工する2年前の1949年のことだが、ジョンソンは1947年にニューヨーク近代美術館(MOMA)でミースのファンズワース邸の模型を見て大きな影響を受けていたのだという。ふたつの家はフォルムという面で非常に似ているが、ミースにとってファンズワース邸とは、それまで長年追い求めてきた「ユニバーサル・スペース」という壮大な概念を表現するための一作品であった。この概念はのちに1950年代になり、スケールを拡大して、数々のオフィス用および居住用高層ビルの形に結実していった。その意味で、ミースにとってのファンズワース邸は、自らのアイデアを小規模で形にした実験的な作品であり、非常に重要な意味を持つ住宅だった。あとで触れるように施主のファンズワースは苦い思いもするのだが、モダン建築の傑作として、ファンズワース邸の評価は今日まで揺らいでいない。
ファンズワース邸とは?
竣工年:1951年
建築家:ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ
所在地:アメリカ、イリノイ州プレイノ
見学情報:個人見学、団体見学可
規模:139.35平方メートル
ファンズワース邸の細部を見ていると、柱が屋根と床の両面を支えているという感じはほとんどしない。だが、同時に床と屋根は柱の一部となっており、どこまでも横に広がっていくような印象もある。実際、床と屋根の梁は柱と柱の間で支えられており、巧みに接合されているため、「軽くキス」するかのように、ごくわずかに触れ合っているようような印象を与えている。
ファンズワース邸の建設中、ミースはシカゴのレイクショアドライブ沿いの2棟の高層アパートメントも設計していた。ガラスの住宅の構造体は表面に出ていてもよかったが、レイクショアドライブのアパートメントやのちに造られた高層ビルの場合、構造体の鉄骨柱等は耐火構造にする(コンクリートで覆う)必要があった。そのため、外部構造に用いる鉄骨は小さくなっている。
ファンズワース邸の建設中、ミースはシカゴのレイクショアドライブ沿いの2棟の高層アパートメントも設計していた。ガラスの住宅の構造体は表面に出ていてもよかったが、レイクショアドライブのアパートメントやのちに造られた高層ビルの場合、構造体の鉄骨柱等は耐火構造にする(コンクリートで覆う)必要があった。そのため、外部構造に用いる鉄骨は小さくなっている。
ポーチからフォックス川を望むこちらの写真からは、ミースが景観を、天井と床という平行する2面によって切り取った「絵」として際立たせようとした意図がうかがえる。また、家の基盤になる床面は約60センチ四方のグリッド状になっているのがわかる。グリッドにそって、正方形の石板が敷き詰められている。
ファンズワースがこの家を使うにあたって取り付けた、目隠しの壁(スクリーン)は、この写真には写っていない。スクリーンと屋内のワードローブ部分は、ミースの事務所員が担当していたが、このころは、ミースとファンズワースは交流を絶っていた。設計料が支払われないためミースはファンズワースを相手に訴訟を起こし、ファンズワースもこんな家には住めない、とミースを訴えた。どちらの訴訟もミースが勝訴したが、プロジェクトの顛末に疲弊したミースは、その後個人住宅を手がけることはなかった。
ファンズワースがこの家を使うにあたって取り付けた、目隠しの壁(スクリーン)は、この写真には写っていない。スクリーンと屋内のワードローブ部分は、ミースの事務所員が担当していたが、このころは、ミースとファンズワースは交流を絶っていた。設計料が支払われないためミースはファンズワースを相手に訴訟を起こし、ファンズワースもこんな家には住めない、とミースを訴えた。どちらの訴訟もミースが勝訴したが、プロジェクトの顛末に疲弊したミースは、その後個人住宅を手がけることはなかった。
建築家と施主の間に起きた訴訟は、両者の関係にとって苦い幕切れとなったものの、ファンズワースは20年以上にわたってこの家を使用した。1972年、ファンズワース邸は土地とともにピーター・パルンボが買い取る。パルンボはファンズワースが増設したスクリーンを外し、空調設備を導入したほか、自ら周囲の土地を購入して敷地を拡大し、手を入れた。パルンボは自身が使用していないときには家を公開し、見学者を迎え入れた。
2003年、パルンボは家をオークションに出す。保存活動家とナショナルトラストが協力して運動を展開し、ナショナルトラストが家を購入した。現在、ファンズワース邸はミュージアムとして運営されている。コネチカット州ニューケイナンにあるフィリップ・ジョンソンのグラスハウスも同様だ。
2003年、パルンボは家をオークションに出す。保存活動家とナショナルトラストが協力して運動を展開し、ナショナルトラストが家を購入した。現在、ファンズワース邸はミュージアムとして運営されている。コネチカット州ニューケイナンにあるフィリップ・ジョンソンのグラスハウスも同様だ。
ファンズワース邸 平面図
過去20年の間、2度、フォックス川が大洪水を起こし、ファンズワース邸は床上浸水した。1996年の洪水では床上1.5メートルまで到達して家の修復を余儀なくされ、2008年にも床上50センチ近くまで浸水し、多少の修復をしている。2013年にも川の氾濫による浸水のおそれがあったが、家を管理するナショナルトラストは過去の経験から学び、内装を保護する緊急措置をとった。
建築スタイル:絶対に知っておきたいモダニズムの傑作住宅10選
過去20年の間、2度、フォックス川が大洪水を起こし、ファンズワース邸は床上浸水した。1996年の洪水では床上1.5メートルまで到達して家の修復を余儀なくされ、2008年にも床上50センチ近くまで浸水し、多少の修復をしている。2013年にも川の氾濫による浸水のおそれがあったが、家を管理するナショナルトラストは過去の経験から学び、内装を保護する緊急措置をとった。
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ファンズワース邸 立面図
参考文献
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参考文献
- Blaser, Werner. Mies van der Rohe, Farnsworth House: Weekend House. Birkhäuser, 1999.
- Cadwell, Michael. Strange Details. MIT Press, 2007.
- Farnsworth House + The Glass House. Modern Views. Assouline, 2010.
- Farnsworth House, National Trust for Historic Preservation
- Frampton, Kenneth and Larkin, David. American Masterworks: The Twentieth Century House. Rizzoli, 1995.
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二人の打ち合わせや設計者と施主としてのやりとりの記録を見ると、ファンズワースはミースの創造性を尊重し、設計については彼の裁量にゆだねた部分が大きかったようだ。ファンズワースは、自分の家が新しいアメリカ建築のプロトタイプになることをうれしく思っていた。