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5分でわかるデザイン様式:イタリア・ルネサンスの建築とインテリア
歴史上のさまざまなデザイン様式のこと、どこまで知っていますか? 名前は聞いたことがあり、なんとなくこんなイメージというのもわかるけれど、もっと詳しく知りたいという方のための解説シリーズです。
西谷典子|Noriko Nishiya
2016年8月18日
15世紀のイタリアで始まった、ギリシャ・ローマ時代の文化の復興と再生の流れ、ルネサンス。歴史上の用語としてなら誰もが知っているこの様式が始まり、そして広まっていった当時の時代背景と今につながる流れを、代表的な建築物や世界最初の建築家とされる人物のストーリー、住宅インテリアデザインの特徴とともに、コンパクトに解説します。
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ルネサンス建築の始まり
15世紀初頭、イタリアではペスト(黒死病)の大流行から生き残った人々の生きる喜びと希望にあふれ、国にもようやく活気が戻ってきました。その時代、ヨーロッパで最も栄えていた都市フィレンツェでは、世界一大きな大聖堂を建設する工事が始まっていました。そのスケールの大きさは、着工から既に100年以上が経っていたにもかかわらず、この巨大なドーム部分だけ取り残されていたほど。ルネサンス建築は、このドームを建設する壮大なプロジェクトから始まったのです。
15世紀初頭、イタリアではペスト(黒死病)の大流行から生き残った人々の生きる喜びと希望にあふれ、国にもようやく活気が戻ってきました。その時代、ヨーロッパで最も栄えていた都市フィレンツェでは、世界一大きな大聖堂を建設する工事が始まっていました。そのスケールの大きさは、着工から既に100年以上が経っていたにもかかわらず、この巨大なドーム部分だけ取り残されていたほど。ルネサンス建築は、このドームを建設する壮大なプロジェクトから始まったのです。
メディチ家とフィレンツェの繁栄
イタリア中部の都市、フィレンツェはヨーロッパ一の商業都市として発展し、その中でもメディチ家は銀行業、毛織物業で巨大な富を得ていました。コジモ・デ・メディチはフィレンツェの公共事業や芸術家のパトロンとして積極的に財政的な支援をしていましたが、これは商いという行為が聖書では場合によっては罪とされるため、贖罪の意味もあったのだそうです。支援の結果、彼らは政治的にも徐々に力を持つようになり、フィレンツェはやがてメディチ家の富と権力とともに繁栄することになります。
イタリア中部の都市、フィレンツェはヨーロッパ一の商業都市として発展し、その中でもメディチ家は銀行業、毛織物業で巨大な富を得ていました。コジモ・デ・メディチはフィレンツェの公共事業や芸術家のパトロンとして積極的に財政的な支援をしていましたが、これは商いという行為が聖書では場合によっては罪とされるため、贖罪の意味もあったのだそうです。支援の結果、彼らは政治的にも徐々に力を持つようになり、フィレンツェはやがてメディチ家の富と権力とともに繁栄することになります。
フィレンツェ大聖堂のドーム完成のために
フィレンツェの公共事業の一環として、未完成のまま放置されていたフィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)のドーム部分を完成させるコンペの話が持ち上がった際、コジモ・デ・メディチも実行委員会のメンバーの一人でした。
問題は山積していて、従来のゴシック建築ではドームの中側から仮枠を立てなければならず、その木材だけでトスカーナ地方のすべての木を伐採する必要がありました。また何より、今までに例のないこの巨大なスペースに、本当にドームを建てることができるのかどうか、しっかりと立証できる人はいなかったのです。そこに登場したのが彫刻家であったフィリッポ・ブルネレスキです。彼は、ある例を使ってその場の皆を説得し始めました。
フィレンツェの公共事業の一環として、未完成のまま放置されていたフィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)のドーム部分を完成させるコンペの話が持ち上がった際、コジモ・デ・メディチも実行委員会のメンバーの一人でした。
問題は山積していて、従来のゴシック建築ではドームの中側から仮枠を立てなければならず、その木材だけでトスカーナ地方のすべての木を伐採する必要がありました。また何より、今までに例のないこの巨大なスペースに、本当にドームを建てることができるのかどうか、しっかりと立証できる人はいなかったのです。そこに登場したのが彫刻家であったフィリッポ・ブルネレスキです。彼は、ある例を使ってその場の皆を説得し始めました。
高い見識を有した建築家、ブルネレスキ
それは紀元128年古代ローマ、ハドリアヌスの時代に建てられたパンテオンでした。ブルネスキは、古代ローマまたはその礎となったギリシャの建築物に感銘を受け、まるで取り憑かれたようにこの時代の建築物を研究し尽くしていました。このドームも理論的に仮枠なしでパンテオンのような二重構造のドームでつくるというアイデアをプレゼンテーションし、説得に努めたのです。1000年以上も忘れられていたこの古代の方法で、本当に巨大なドームをつくることができるのかと当初は誰もが反対しましたが、ここでコジモ・デ・メディチが責任を持つということで手を挙げ、ブルネレスキの提案したアイデアが採用されることになりました。
それは紀元128年古代ローマ、ハドリアヌスの時代に建てられたパンテオンでした。ブルネスキは、古代ローマまたはその礎となったギリシャの建築物に感銘を受け、まるで取り憑かれたようにこの時代の建築物を研究し尽くしていました。このドームも理論的に仮枠なしでパンテオンのような二重構造のドームでつくるというアイデアをプレゼンテーションし、説得に努めたのです。1000年以上も忘れられていたこの古代の方法で、本当に巨大なドームをつくることができるのかと当初は誰もが反対しましたが、ここでコジモ・デ・メディチが責任を持つということで手を挙げ、ブルネレスキの提案したアイデアが採用されることになりました。
ルネサンス最初の建築家として
パンテオンの時代はコンクリートでドームを建設していましたが、ブルネレスキはレンガを使用しました(コンクリートでつくる方法は19世紀に復興)。これも古代ローマの建築方法に従って、レンガをヘリンボーン形に組み、重力が均等に配分される積み方を採用。約400万個のレンガを使って、ドームは1436年、無事に完成しました。
このプロジェクトのスタートから、ブルネレスキはまるでコジモ・デ・メディチのお抱えの建築家のように、次々と病院や教会、宮殿の建設を任されるようになり、フィレンツェの街には古代ローマ・ギリシャの時代のような建物が数多く再生しました。この様式はその後、ヨーロッパ全体に広まることになり、これがルネサンス(復興)様式の始まりといわれ、ブルネレスキは歴史上最初に登場した建築家とされています。
パンテオンの時代はコンクリートでドームを建設していましたが、ブルネレスキはレンガを使用しました(コンクリートでつくる方法は19世紀に復興)。これも古代ローマの建築方法に従って、レンガをヘリンボーン形に組み、重力が均等に配分される積み方を採用。約400万個のレンガを使って、ドームは1436年、無事に完成しました。
このプロジェクトのスタートから、ブルネレスキはまるでコジモ・デ・メディチのお抱えの建築家のように、次々と病院や教会、宮殿の建設を任されるようになり、フィレンツェの街には古代ローマ・ギリシャの時代のような建物が数多く再生しました。この様式はその後、ヨーロッパ全体に広まることになり、これがルネサンス(復興)様式の始まりといわれ、ブルネレスキは歴史上最初に登場した建築家とされています。
ブルネレスキの活躍と偉大な発明
ブルネレスキをはじめとするルネサンスの建築家たちは、古代ローマ・ギリシャの建築様式をただ模倣したのではなく、あくまでも昔の原理を使いながら、そのルールを打ち破る革新的なデザインやアイデアを生み出していきました。たとえばブルネレスキは、川から資材を運ぶ船や100mの高さまで資材を無理なく運び上げる、工学エンジニア的な発明をしてこのドーム建設に役立てました。彼はもうひとつ、「線遠近法(リニア・パースペクティブ)」という代表的な発明の実績も残しています。この遠近法によって3次元の世界を2次元の中で表現することができ、絵画と建築の世界で多大な影響を与えることになります。
ブルネレスキをはじめとするルネサンスの建築家たちは、古代ローマ・ギリシャの建築様式をただ模倣したのではなく、あくまでも昔の原理を使いながら、そのルールを打ち破る革新的なデザインやアイデアを生み出していきました。たとえばブルネレスキは、川から資材を運ぶ船や100mの高さまで資材を無理なく運び上げる、工学エンジニア的な発明をしてこのドーム建設に役立てました。彼はもうひとつ、「線遠近法(リニア・パースペクティブ)」という代表的な発明の実績も残しています。この遠近法によって3次元の世界を2次元の中で表現することができ、絵画と建築の世界で多大な影響を与えることになります。
数学的な根拠のある “理詰めの美”
古代ローマの建築物はもともと、ギリシャから影響を受けていますが、それは数学的な根拠のうえに普遍的な美があると信じられ、このルネサンス時代から数学、科学、幾何学、音楽と、すべていわば “理詰めの美” を追求し始めるのです。そして柱や柱の直径、高さや長さなど、すべてに秩序立った比例関係が用いられ、調和の取れた美しいシンメトリー(左右対称)の建物が次々とつくられていきました。
古代ローマの建築物はもともと、ギリシャから影響を受けていますが、それは数学的な根拠のうえに普遍的な美があると信じられ、このルネサンス時代から数学、科学、幾何学、音楽と、すべていわば “理詰めの美” を追求し始めるのです。そして柱や柱の直径、高さや長さなど、すべてに秩序立った比例関係が用いられ、調和の取れた美しいシンメトリー(左右対称)の建物が次々とつくられていきました。
尖頭アーチから丸いアーチへ
ゴシック建築で使われた尖頭アーチは姿を消し、ルネサンス時代の建築物には、古代ギリシャ・ローマ時代と同じ丸いアーチやドームがつくられました。柱もドーリア様式、イオニア様式、コリント様式というギリシャ時代からのデザインが用いられ、窓の上にも神殿に使われていた「ペディメント」と呼ばれる三角形の破風(はふ)が多用されるようになりました。そして、街全体がかつての古代ローマのような、エレガントで美しく、そして巨大な建物で埋め尽くされるようになっていきます。
ゴシック建築についてはこちらも参考に
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ルネサンス時代のインテリア
それまでの時代は王族、貴族だけが室内を飾る楽しみを享受していましたが、ルネサンス時代からは中流階級の人々も、家具や彫刻、タペストリーやフレスコ画などで家の中を飾るようになります。大理石が柱や床、家具にも積極的に使われるようになったのもこの時代から。ゴシック時代で使われていたオーク材から、ウォールナット材や柳などの変わった木材も登場します。
ルネサンス時代の家具
またこの時代、イタリアの誰もが持っていた家具の中で「カッソーネ」と呼ばれるリネンチェストがあります。これはベッドの足元に置くもので、テーブルや腰かけとしても使え、上流階級の中では特にこのカッソーネに素晴らしい彫刻や金箔やペイントなどで飾る贅沢なものが流行したそうです。
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ルネサンス時代の家具
またこの時代、イタリアの誰もが持っていた家具の中で「カッソーネ」と呼ばれるリネンチェストがあります。これはベッドの足元に置くもので、テーブルや腰かけとしても使え、上流階級の中では特にこのカッソーネに素晴らしい彫刻や金箔やペイントなどで飾る贅沢なものが流行したそうです。
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贅沢品としての椅子
ルネサンス時代には、たとえば1つの椅子を製作するのにも大変長い時間がかかっており、従って家具一般もまだまだ高価なものでした。その中でもこの時代の椅子の背に施された木彫りはとりわけ豪華なものです。足がXの形の「サボナローラ」と名つけられたフォールディングチェアは、クッションを置くとさらに座り心地がよいと評判になり、この時代に流行します。テーブルやクレデンザにも大理石のインレイ(象嵌細工)が施され、家具の装飾もさらに複雑で豪華になるのです。
クレデンザについてはこちらも参考に
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インレイについてはこちらも参考に
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ミケランジェロとサン・ピエトロ大聖堂
大理石の産地カッラーラからフィレンツェまでは130kmほどの距離ですが、このカッラーラの白やブルーグレーの大理石が、ルネサンス時代のイタリアでは彫刻やフロア、家具などあらゆるところで使われるようになります。この地で育ったミケランジェロは、彫刻家としてのあらゆる知識を幼少のうちから学び、その後絵画や建築までその才能を広げ、やがてブラマンテやラファエロが続けてきたヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂の設計を任されます。この大聖堂はやがて彼の死後、ルネサンス・バロック建築の傑作として完成し、ヨーロッパのデザイン史に大きな影響を与えることになります。
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ヨーロッパ各国への伝播
ルネサンスという文化復興と再生の動きがここまで大きくなったのは、その目的が神や王族だけではなく、まさに古代ローマがそうだったように、あくまで人民の暮らしに焦点が当てられたからでした。ルネサンスの芸術家たちはその後、ヨーロッパ各国に散らばり、その国々で活躍します。次回はイタリア発祥のルネサンスが、他のヨーロッパ諸国でどう発展していったか、さらに解説します。
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